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19歳、のこり31日。 幸せについて。

今日は、最近思う「幸せ」についてをnoteで書いてみようと思う。
実は、19歳ものこり一ヶ月となっていて、最後の10代を記録し続けた日記も、7万字に近づいている。
さすがにその日記を公開することはできない(前回のnoteを読んだ方はお察しだと思いますが、私は病む時は病んでいる)。

でも、私は今とっても幸せだ。
少し前までの私は幸せが怖かった。今でもちょっと怖い。
だって、幸せがなくなるのが怖いからだ。
幸せがなくなる前からなくしてしまうことに怯えていて、今ある幸せに目を向けることができないときもあった。
だけど、なくす前から心配したってしょうがないな、と気づいてからは今ある最高の瞬間を、幸せを素直に楽しめるようになった。

唯一の日記の読者である主治医からは
「まだ19歳でこれだけのことを書けるってすごいよ」
と言われたけれど、私にすごいっていう自覚はない。
あえて書くなら、私は精神的に成長する機会が人より多かった、のだと思う。過去の経験や今抱えている病気があるから、私は自分自身と向き合わざるを得ない状況に何度もぶつかった。
その度に何度も自分と話した。今何が苦しくて、何が問題で、どうすればその問題をクリアできるか。何度も頭の中で、心の中で、自分と話し合った。
そうしてきたことが、私を成長させてきたのかもしれない。
日常でも自分にとってどんなことが好きでどんなことがしんどいのか、それを日記をつけながら分析している。そのうち、だんだんと自分が苦手なことやシチュエーションがわかってくる。
日記をつけはじめたのも、私が自分の感情を整理したり、主治医に今の病状を伝えるためだったりしたけれど、読み返すことができるから自分がどんなことに悩んでいてどんな風に対応しているかがよく分かる。

もちろん、幸せだったこと、楽しかったことも積極的に書いている。
そうすることでだんだんと幸せをちゃんと受け止められるようになった気もする。

だから、今病気でも全然不幸じゃない。むしろ今が一番幸せだって胸を張って言える。

大好きな友達と笑い合えること。
先輩方に優しい言葉をかけてもらえること。
好きなことを勉強できること。
大切な家族と一緒にご飯を食べられること。
恋に落ちて好きな人のことを思えること。

その全てが、当たり前じゃないって気づいているから、
私はどんなに小さなことにも幸せを感じることができる。

それだけでもう、私は幸せでいっぱいなのだ。
だから、今度はその幸せを大切な人に分けられる人でいたいと思う。
もっと優しくなって、自立して、強くなりたい。
そう思っている。


"毒なのは 考えすぎで 生きている それだけでもう 笑い合えるんだ"

咲原百々


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