蝶と夜光①【創作小説】
「ねえ、君は私としたいって思う?」
この女は何を言っているのだろうか、今にでも貴女が今座っているベッドに押し倒して、貴女の唇にキスをしたい。その細い首に指を滑らせ、その浮き上がった首筋に噛みつきたい。
「当たり前じゃないですか」
「それってやっぱり当たり前?」
「好きなので、貴女のことが」
「私も君が好き」
「ほんと何なんです」
「私の身体に大きな傷跡があっても?」
「あるんですか?」
「いいから質問に答えてよ」
「その傷跡さえも愛せますよ、僕なら」
「じゃあ、」
「どんな答え求めてるんです」
「私ね、君に触れられる夢を最近よく見るの。その時の私ってすごく幸せなの。でもね、いつも私は服を着てる。君は着ていないのに」
「貴女は服を着ていて、僕は着ていない。」
「それでも君は無理に脱がそうとはしない。服の上から優しく触れるの。」
「それは夢の中の僕ですよね、ここにいる本物の僕は上からなんかじゃなくて直接触れます。」
「君ってやっぱおもしろい」
彼女は僕のことをじっと見た。長い沈黙だった。
「身体で繋がるなんて意味ないって思ってた」
「でもね、触れたいって求められたいってあの夢を見るといつも思う。もっと私に近づいて欲しい。私を知って欲しい。」
長い沈黙の末、彼女は僕を真っ直ぐみてそう言った。その目に嘘はないはずなのに。なぜだろう、彼女を求めてることに罪の意識を感じてしまうのは
彼女は夜の光に包まれて憂いを秘めていた。その夜光で彼女の白い肌がくっきりと見える。二の腕の真ん中ら辺にある蝶のタトゥーが窮屈そうに彼女の細い腕に収まっていた。
一匹の黒い蝶。
どうして僕は今まで気づかなかったのだろう。
その蝶は今までずっといたのに。
その蝶はあまりに馴染みすぎていた。あんなに窮屈そうなのに、そこが当たり前みたいに思ってるようだった。
「似合わないでしょこの蝶」
「前のパートナーとお揃いでいれたの」
「本気で愛してた」
僕には分からなかった。身体にお揃いの印を刻む事は彼女にとってどんな意味があったのだろう。“その人"はまだその印を彼女と同じ場所に持っているのだろうか。
僕はその人を知らなかった。“その人“ということしか知らなかった。
彼女がその人の話をする時、決まっていつも話すスピードがゆっくりになる。僕に話しているというよりは自分自身に語りかけているようにも見えた。
彼女はまだその人のことが好きなのだろうか、それとも昔の恋人をただ懐かしんでいるだけなんだろうか、
「ねえ、こっちにきて」
「どうしてですか」
「来て欲しいから。私の側に」
「いけません」
「それに、もうここには来ません。」
僕は昨日の夜にここに来た時に決めていた。彼女の部屋に行くのは今日で最後にしようと。最初から彼女と僕を繋ぐものなんてなにもなかった。彼女はいつもベッドに座っていて窓から差し込む夜光特有の白い光を正面に受けていた。こちらをたまに向くと“その人“の話をした。そして唐突に僕を惑わすような事を言った。でも彼女から僕に寄ってきてくれたことはなかった。いや、出来なかったのかもしれない。
“だって僕はもうこの世にはいないのだから"
いつからだろう。僕は夜が深まった頃、この部屋にいた。その時、僕が知っていたことは、自分が死んでいるということだけだった。その事実だけが僕の頭に常にあった。
"僕は死んでいる"
彼女には僕がどう映っているのだろうか、
どうしてなにも聞いてこないのだろう。
一番は僕が怖くないのか、
聞きたいことは日に日に募っていった。でも聞けなかった。聞いてしまったら、僕はもうここには来れない気がした。それだけは避けたかった。僕はこの部屋で彼女にあった日から強く惹かれ、恋焦がれていたから。
「聞きたいことがあります」
「嫌」
気づいた時には、彼女は大量の涙を流し、その白く細い身体を大きく震わせながら嗚咽していた。初めてほんとの彼女を見た気がした。今までの彼女はいなかった。そこには、弱く、脆く、今にでも壊れてしまいそうな女の子がいた。
「僕は一体誰なんですか」
「そんなの知らなくていい。なにも知らなくていい。ずっとここにいればいい。」
「僕もそうしようと思っていた。貴女といれるなら、もうこのままなにも知らずにいようと。でも多分、それじゃダメなんですよ。」
「私は君になりたい。君と一緒になればもうなにも失わずに済む。」
「どういうことですか」
「君をもう失いたくない」
彼女の言葉は、だんだんと力をなくした。その細い首からやっとのこと捻り出したような“君をもう失いたくない“と言う言葉が頭の中でぐるぐるとまわる。"彼女は一度僕を失っている"ということだろうか。それは僕が生きている時に。
「タトゥー消しちゃったの?」
「それとも消えちゃったのかな」
もう今までの彼女とは何もかもが違うように見えた。その小さな身体が背負ってきたであろう大きな何かは彼女には酷く重たく、そして悲しい現実なのだろうということが分かった。その何かが僕であることも容易に想像出来た。僕は貴女のなんなのか、それを彼女に聞くことは、正解なのだろうか。混乱していた。でも、知りたい。どれだけ辛い悲しい真実だとしても。
「全て教えてください。」
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