紫苑【創作小説】【Can You Hold Me?】

恋なんて、暇なやつがするものだって思ってた。人生に意義を持たず、なんとなく生きているやつだけが「人生に必要なのは愛だ」などと高らかに言うのだと。俺の周りの奴らは欲深く、甘かった。知恵を持たずに目先の利益にしがみつく。そういう奴らは決まって壮大な愛を口にした。俺が欲しかったのは、そんな実感の持たない愛ではなく、着実なものだったのに。母さんが俺に伝え続けた愛は言葉にしてしまえばあまりにも安っぽくて、吐き出した煙草の匂いがした。その香ばしさを今だって鮮明に思い出すことが出来る。失った温かさと得た痛み。それはらはあまりに似ていた。どちらも正真正銘の愛でありながら、いつか終わりがくると分かっていたものだったから。終わりがくるものを望む必要はないと思っていた。しおんに出逢うまでは。

「なあ、どうした?眉間に皺よってる」

そう言いながら覗き込んでくる瞳にある隠しきれない優しさが昔の傷をそっと癒す。どうしたって思い出してしまう過去を純粋な愛が上書きしていくのが分かる。眉間に触れようと伸ばされる手を掴んで自分の頬にすり寄せた。そうすれば柔らかく微笑んで甘やかしてくれることを数多の経験から知っている。目を瞑り、その温もりに心を寄せる。俺は知らなかった。痛みのない愛があることを。

「俺さ、甘えられるのって全然好きじゃなかったんだー。信頼を寄せられてることが重荷だった。」

だって、その愛に終わりがあることを知ってたから。しおんの声がゆっくりと確実に脳に届く。俺もそうだった。そして、愛し愛されることを馬鹿にした。そうしないと自分があまりにも惨めだったから。

「お前が俺に甘えてくれる時、たまにこう思うんだよ。この恋が死によって終わりを迎えて、もし生まれ変わったら」

俺はお前の母親になりたいなって。そう言いながら俺を引き寄せてキスをした。狭いソファで、押し倒すのを避けられない勢いのあるキス。それでも官能的なものではなかった。あまりにも感傷的で、2人してキスをしながら泣き出してしまいそうな、哀しいキス。言葉の真意なんて知らなくて良かった。ただ、胸の鼓動が速くなるのを感じながら、死にたくないなと強く思った。


「でもさ、母親になったらキスはできないよなー。困った」


本当に困ったような顔をして、茶化すようにそう言った。その表情に浮かぶ慈悲が愛を確信させる。終わることのない、永遠の愛。

「俺はお前と一生恋をしていたいよ。生まれ変わっても恋人として俺のことを愛してくれ」

こんなことを言うのはあまりに照れ臭くて、しおんの首に顔を埋めるようにして言った。嫌いだった甘ったるい香水の匂いもこいつが付けていると自然と爽やかさを持った甘さになる。あまりに毒されているかもしれない。でも、それでいい。触れているのか分からないほど軽やかに俺の髪を撫でる。それが心地良くて眠ってしまいそうになる。ほとんど夢心地でその手に神経を集中させていた時、しおんは先程までと同じようにゆっくりと話始めた。

「お前のお母さんが羨ましい。こんなに優しくて愛情深い息子がいるなんて。お母さんはお前のこと絶対愛してるよ、生まれてからずっとこれからも永遠に愛してる。愛してない訳ないんだよ。ぜんぶ愛なんて言わせないけど、俺より愛してるとは言わせないけど、俺はお前のお母さんを絶対否定しない。お前の心も身体も傷つけたけど愛してるから、絶対愛してるから否定しない。俺、死んだらお前のお母さんに一番最初にありがとうって言いにいく。産んでくれてありがとうございます。愛してくれてありがとうございます。俺にあいつを会わせてくれてありがとうございますって。」

震える声。きっと泣いてるだろうこいつを抱きしめたいと思っているのに、抗えない眠気には勝てそうになかった。眠りたくない。夢で虚像のしおんに会うのなら、本物のぬくもりを抱きしめていたい。眠りから醒めたら一人にさせたことを謝ろう。思いっきり甘やかそう。泣き腫らした瞼を冷やして、そこにキスをしよう。眠りから醒めたら、愛していると伝えよう。

おやすみ愛してるよ
その言葉は微睡の中でいつになく甘く響いた。














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