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【全編無料】課題図書レビュー②『小野寺ひかり スケッチー』

Sugomoriで始めた課題図書レビューも、今回は2回目。小野寺さんの登場です。

数名のライターたちが課題図書スケッチーのレビューをくり広げます。それぞれが同じ内容に関してどのような感想を持つのか?ぜひ巣篭もりのお供にお楽しみください!

レンタルショップの社員・川住憧子。仕事に彼氏、せわしないけれど、どこかぼんやりとした毎日を送る彼女は、ある日、一人のガールズスケーターに心を奪われる。ちょっとずつ見失ってきた希望、ちょっとずつ見えてきた将来。自分を変えるには今しかない。スケートボードに魅せられた女子の挫折と再生の日々。
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「30過ぎ」女性の運命は動くのか

「もう30過ぎてるんだから無茶しちゃだめですよ」

主人公のレンタルビデオ店に勤める憧子(あこ)に向かって、年下のアルバイト女性の志帆が窘める。当人は衝撃を受けた表情を残しながらも、何も言い返すことない。おとなしくアドバイスに従い、バックヤードで「スケートボードサークル」とネット検索する。パソコンを前に座る背は丸まって、老域そのものだ。何もかも受け入れ、あえて年寄りじみたカオを見せることが、憧子の生存戦略らしい。その場で、予約申し込みをした所から憧子の運命が動く予感を読者に抱かせる。

Sketchy、スケッチーの軽やかな語感の通り、大雑把を意味する。転じてうわべだけの、不完全さもの意味を持つ。さらにはスケート用語ではバッサリ「イケてない人」を指すこともあるという。

憧子が装う平凡さ

実際憧子の東京暮らしは、華やかなものとは言い難い。仕事への態度もレンタルビデオ店に勤めながら「配信サービスを利用したらいいのに」と冷ややかな目を向け、社員ではあるものの貧乏くじのような扱いを受けている身分だ。出世や業績向上どころではなく、業務もアルバイトのシフト作成や、クレーム対応に追われ日々を忙殺されている。私生活も同様で、どうにか話の合う恋人はいるが、相手は脚本家志望で実家暮らしの33歳。結婚どころか同棲にでさえ消極的で、将来を約束できる人間とは言えなさそうだ。ぱっとしない毎日。その状況に納得しているのかどうか、彼女は不満を吐露しない。いわば「30過ぎらしい」落ち着きと平凡さを装って過ごす姿に同世代からの共感は高い。

著者マキヒロチの真骨頂は

 そして一見何の魅力もない主人公像こそが著者のマキヒロチ氏の真骨頂だ。『いつかティファニーで朝食を』『吉祥寺だけが住みたい街ですか?』でも、街角を行き交う人の見落とされがちな内面やわずかな変化を描き出してきた。迷うことさえ寛容でない世の中と、他人の目に評価されてしまう怖さ。そんな今と、未来に不安を抱く若者を、食や街を通して見事に昇華していた。

今回の物語は、30歳を過ぎた憧子を中心に、スケートボードする女性らによって展開される。スポーツ競技としての地位もまだまだ低い。実際にスケートボードを習い始めたばかりの初心者としての基礎知識から、ボードの買い方、先輩スケーターからのテクニカルな指摘も豊富だ。レクチャー漫画としての要素も読み飛ばせない。

戸惑いや迷い、悩みの数だけ新たなキャラクターも続々登場する。技を磨き合い、時に、趣味として、時にライフワークとして、競技へのステージを進む。夢を諦めた女性や、不倫によって左遷された女性、日本人初の何かになりたかった女性……。何かを抱えながら、スケートボードという新しい「かっこよさ」に気づき始めた彼女らは、ケガや痛みへの恐れを乗り越える。次第に挑戦ができる魅力にハマっていく。

正体のつかめない主人公

憧子の生活には、毛色の違うシーンがたびたび登場する。それは学生時代の友人らとの女子会だ。彼女らは、憧子の地味な生活とは一変、煌びやかに着飾り「種族が違う」高水準な生活ぶりを見せつける。そこで疑問が浮かぶ。なぜ憧子は「平凡さ」を装っているのか。

仕事ぶりから服装や見た目にこだわりがないのは分かるにしても、生活に困窮しているわけでない。そこにほぼ化粧もせず、パーカー姿で登場するのはなぜなのか。価値観が異なるメンバーのいる女子会に、なぜわざわざ参加するのか。いつまで憧子は「平凡さ」を装うのだろうか。

憧子が時折、白昼夢のように思い出す「アスカ」なる女性をめぐり、学生時代の友人らメンバー内にはすでに不穏な空気も漂う。誰もが口を閉ざしたままだ。

共感を呼ぶキャラクターにもかかわらず、実のところ憧子の正体はつかめないでいる。2巻では、ぶしつけな「傷つける側」である酔っ払いの友人らを自宅に招き入れ、あえて「傷つく側」でいようとし続ける。そんな理由が3巻以降では明かされていくことを期待せずにはいられない。

痛みナシには成長できないスポーツ

憧子は鈍感なフリをし続けて、本当に鈍感になってしまったのかとさえ考えがよぎる。ただ30代でハマれそうな何かを見つけた。後から始めた同僚の志保が、自分より先に技をマスターしてくエピソードがある。軽い嫉妬を覚えた憧子は、なんと「そう思いたくない」と彼氏に不安を打ち明けると「本気の証拠」と彼氏から諭されて、ほっと胸をなでおろすのだ。スケートボードと出会って、自分のネガティブな感情に気がつき始めている。

当然のようにスケートボードは、痛みナシには成長できないスポーツだ。これから憧子は、ますます痛みを思い出すことだろう。不思議なことに、痛みを忘れ大人になってからつける擦り傷はとんでもなく痛いものだ。

最期に、22歳の大坂なおみが2度目の全米優勝を飾ったことで知った出来事があった。それは若き17歳のマリア・シャラポワを下したベテラン選手、マリー・ピエルスによるもので、勝因を尋ねられたときの発言だ。「私は17歳の女の子がどういうものか知っている。でも彼女は29歳の女性を知らないでしょう?」

試合では経験の差が、勝敗を分けることを指摘する。

憧子は、10代で誰かを傷つけ、20代でそのことに気づき、30代ですべてを悟ったようなフリをしているのか。もうすっかり安全で大丈夫な「30過ぎ」に成長したつもりなのだろう。すこし可哀想な気もするが、これから、憧子たちが無視してため込んでいた本音や感情が飛び出すだろうことが楽しみで仕方がない。そして安全への幻想が壊れていく衝撃が訪れたとしても、スケートボードを相棒に、過去を乗り越え、いずれ痛みを恐れない未来へ走り出すことだろう。やはりマキヒロチ作品には、希望が見えてくる。9月18日に第3巻の発売が迫る。「今」を見届けたい。

以上

第一回目の柳田さんのレビューはこちら。是非是非読み比べてくださいませ〜♪


小野寺ひかりの文芸誌Sugomoriへの寄稿作品はこちら。『眠いけど食べたい』★月間PV1位『言えない肝心なこと【全編無料】課題図書レビュー②『小野寺ひかり スケッチー』  2020年8月号編集長
文芸誌Sugomori 公式サイトhttps://peraichi.com/landing_pages/view/sugomori

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