柳田知雪『たい焼き屋のベテランバイトは神様です』第二話 我が家が一番? 後編
<前回までのあらすじ>
神ジョークなのか、本気なのか、和泉の言葉に翻弄される結貴。
祖父の家を借りられるという条件に惹かれる結貴に対し、
頑なに居候を続けようとする和泉の真意とは……?
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◆◆◆
代理店長の話に関しては、祖父にも曖昧な返事をしたまま病院を後にした。
行きよりも荷物の軽くなった帰り道、ふいに和泉さんの声が耳の奥に蘇る。
──お前、知らねーだろ。神社がどんなのか
確かに、私は和泉さんの神社を知らない。社宅だって、私のために用意され、私が家具を揃えた立派な我が家だ。しかし、今はどうしようもなく、あそこにいたくない。独りであの部屋に蹲っていると、そのまま自分が影の中に溶けていってしまいそうな気持ちになる。
和泉さんも、何か帰りたくない事情でもあるのだろうか。だとしたら、説得しようにも自分の姿と重なって後ろめたさが芽生えた。
「ん……?」
その時、病院の入口近くで病室の窓を見上げている男性に目を奪われる。
すっと尖った顎先で揺れる髪は、まるで篝火から零れる火の粉のように鮮やかであった。品よく着崩された和服は、黒地に緋色の煙が立ち上るような模様が美しい。横顔を覆い隠すように垂れていた前髪が風に煽られると、その向こうに髪の毛と同じ色をした瞳が日に照らされる硝子玉のように澄んだ光を放っていた。
浮世離れした風貌に、昨夜見た和泉さんの素顔が過ぎる。どうしても彼から目を逸らせずにいると、炎を宿したような緋色の瞳がこちらを見据えた。
「君も、この病院に知り合いがいるのかな?」
木々の葉を揺らしていくような、そよ風のような声だった。こちらの不躾な視線に気を悪くするでもなく、のほほんとした調子で尋ねてくる彼の様子に、警戒心も薄れて頷き返してしまう。
「祖父が入院してしまいまして、今日は見舞いに」
「そう。僕も、友人の世話になってる人が入院したと聞いてね。ちょうど近くを通りかかったものだから、こうして眺めていたのだけれど……それより君、知り合いに神様でもいる?」
「えっ……」
あっけらかんとした唐突な質問は、何となく身に覚えがある。彼は風貌だけでなく、雰囲気も和泉さんと似ているのだ。
「えっと……たい焼き屋でバイトしている神様の知り合いなら」
自分でも言葉にして、その奇天烈さに頭が混乱してしまう。
しかし、私の答えを聞いた彼は嬉しそうに微笑んだ。
「あーやっぱり! 君が和泉の言ってたお孫さんだね?」
和泉と親し気に呼ぶ彼に、昨夜聞いた和泉さんの友人の名前が脳裏を過る。
「もしかして、宇迦さん……?」
肯定を示すように、にっこりと細められた緋色の瞳。優雅な彼の仕草と視線は、今まで出会った男性とは全く違って、その艶やかさに心臓がドクンと跳ねる。和泉さんに言ったら怒られるかもしれないが、和泉さんの親しみやすさとは対照的なほどの宇迦さんの美しさは、神様というのに強い説得力があった。
ぽうっと見惚れそうになったところで我に返り、小さく頭を下げる。
「小豆、ありがとうございました。あんなに美味しいあんこ初めて食べました」
「あぁ、お裾分けね。喜んでもらえて嬉しいよ。僕じゃ、こちょうのたい焼きみたいに美味しく調理できないからね」
宇迦さんも、和泉さんのように家事はてんでダメなタイプなのだろうか。確かに自分で家事をしているよりは、白魚のような指先は誰かに世話してもらっているイメージの方が湧きやすい。
「お裾分け、ということは誰かにもらったものなんですか?」
「僕の神社に参拝に来てくれる老夫婦がいてね、自分たちの畑で採れた作物をよく奉納しにきてくれるんだよ」
参拝、奉納……といかにも神らしい単語が並ぶ。こうして普通に話していることが、何だか恐れ多くなってきてしまった。農作物を定期的に奉納してくれる人がいるなんて、彼の神社は随分と立派なものなのだろう、と勝手に想像してしまう。
そこまで考えて、ふと和泉さんの『知らないだろ』という言葉が頭を過った。
「宇迦さんは、和泉さんの神社について何かご存知ですか?」
「和泉の?」
きょとんとする彼は、質問の真意を探るようにじっと私を見つめてくる。彼の芸術品のような瞳に映しだされるうちに、妙な恥ずかしさが込み上げてきて堪らずこちらから早口に事情を説明した。
「──…というわけで、居候したくなるくらい、何か神社に戻りたくない理由でもあるのかと思いまして……」
「ふむ……」
話を聞くと、宇迦さんはしっかりとした輪郭の眉をハの字にしてみせた。そして、考えるように顎に手を添えると、彷徨わせていた視線をゆらりと私の元へ戻す。
「じゃあ、行ってみる?」
「行くとは、どこに……?」
「和泉の神社、だよ」
好奇心もあり、宇迦さんに連れられるままその場所へとやってきた。
「あの、ここって……?」
宇迦さんに案内された場所は、たい焼き屋こちょうの裏にある路地裏だった。しかし、宇迦さんが指差す先には二階にある祖父の家へ続く階段しか見えない。訝し気な視線を向けてしまう私に、宇迦さんは階段の横にある人ひとりがようやく通れるくらいの隙間へと身体を滑らせた。
「こっちだよ」
もしや、どこかのファンタジー漫画よろしく、この裏に神様の世界に続く不思議な空間でも広がっているのだろうか。もし、そんな謎の空間に行ってしまったら、ちゃんと私は戻ってこられるのだろうか。
なんて、妄想は全くの杞憂で終わった。
「え……?」
通路の先は、日の差さないただの袋小路だった。湿った空気の吹き溜まるそこで、慎ましやかに佇む社。まるで階段で隠されるように、社は建物の壁に埋め込まれていた。
おそらく奥行きも手を差し込める程度しかないであろう、小さく小さくまとめられた神社。申し訳程度の鳥居が無ければ、まるで家にある仏壇のようだ。
「元はね、もっと大きな神社だったんだよ」
物悲しささえ感じさせる神社に言葉を失くしていた私の隣で、宇迦さんはそっと言葉を紡ぐ。
「昔、この近くには川があって、大雨が降るとよく氾濫していたんだ。その川を鎮めるために祀られたのが、龍神である和泉なんだよ」
「龍神さま……」
「昔は今よりやんちゃだったなぁ……でも、都市開発? それで川は埋め立てられて街が広がって、和泉への信仰もどんどん薄れていってね。ここに構えていた神社も、どうにかこうして残される程度にしか認知されていないんだよ」
川があることも、神社がここにあったことも、何も知らなかった。和泉さんのことは知っていたけれど、神様だということも昨日知ったばかりだったし、そんな彼の神社がこんな近くにあることにも気付いていなかった。
ふと、和泉さんが首から提げていた手作りの賽銭箱を思い出す。
ああでもして持ち歩かなければ、こんな寂しい場所にある神社に一体誰が賽銭を投げてくれるのだろう。
「信仰がなくなると、どうなるんですか?」
「……信仰あってこその、神だよ。信仰がなくなれば力も弱くなるし、存在できなくなる。八百万と言われているけれど、明らかに神の数は減ってきてるからね」
入社して、ずっと仕事に追われ続けていた頃、唯一の休みと言ってもいい正月は疲れ切って初詣すら行かずに寝正月を過ごしていた。そんな自分を責められているような気がして、つい顔を俯けてしまう。
「あぁ、ごめん。怖がらせちゃったかな……僕は、それに対して怒っているわけじゃないんだよ。知り合いが消えていくのは寂しいけれど、何事も永遠じゃないって弁えているつもりだから……」
和泉さんの神社を見つめながら、宇迦さんは静かに呟く。ただ諦めて嘆くわけでもなく、まるで大木のようにどっしりとその事実を受け止めるかのように。
「あーーー!!!」
突然聞こえてきた叫び声に、はっとして振り返る。すると、階段の隙間から私たちを見つけたらしい和泉さんが、慌てて隙間に身体を捻じ込んできた。
「宇迦、おまっ……! 何勝手に人の社見せてんだよ!」
「別に隠すこともないだろう? 尭さんが手入れしてくれてるおかげで、綺麗な社じゃないか」
「そういうことじゃねーんだよ!」
顔を赤くした和泉さんがやんやと宇迦さんに噛みつくが、当の宇迦さんは涼しい顔でそれを受け流している。暖簾に腕押しと気付いたらしい和泉さんは、やがて私をきっと睨みつけた。
「どうせ、しょぼいとか思ってんだろ」
「そんなこと……」
「それとも何か? どうせ消える運命にあるくせに、賽銭箱持って人間の真似事までして働いてる俺は無様か?」
自嘲するように唇を歪めた和泉さんに、何と声をかえたらいいのか分からない。神様だなんだ、と言っていた尊大な彼とは違う、その虚ろな表情にただ押し黙ってしまう。
「俺は、……っ」
喋りかけて、苦し気に息を吐いた和泉さんはよろめくように近くの壁へと手をついた。気遣うように宇迦さんが手を伸ばすが、和泉さんはそれを拒むように手を弾く。
「俺は、絶対に消えてやらねー……信仰も、畏怖も、なくていい。どんな形であろうと、俺は……」
胸元に垂れ下がる賽銭箱をがっちりと掴んで、和泉さんはよろよろと店に戻っていく。呆然とその背を見送る私の横で、宇迦さんは小さく溜息を零した。
「和泉は神社に戻りたくないわけじゃないんだよ」
はっとして宇迦さんを見上げると、彼は和泉さんが消えていった方に顔を向けたまま、変わらぬ表情で呟いた。
「正確には、戻れないんだ。今の術を解いてしまえば、きっと和泉にはもう、あの姿に変化する力は残っていないから」
「え……」
信仰があってこその神。この暗がりに取り残された和泉さんの神社には今、どれだけの信仰が残されているのだろう。
冷たい風は、容赦なく路地裏に吹き込んでくる。小さな神社の木枠が、カタカタと鳴いていた。
次のお話の更新は6月号となります!
4月号は一旦、たい焼き屋からは離れますが、
そちらもお楽しみいただけますと幸いです。
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Sugomori 2021年3月号
「暮らし」をテーマにさまざまなジャンルで活躍する書き手たちによる小説をお届けします。 毎週月曜・木曜に新作を公開予定です。
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