見出し画像

文学フリマ特別号・中馬さりの『隣人の庭』

11月23日開催予定の文学フリマに再び
Sugomori文芸誌として出店いたします!
そこで今月号も、文フリにて刊行する小説を無料公開でチラ見せ!
各作家が【隣人】をテーマに執筆いたします。
文芸誌には他にも、作家たちによる企画ものなど掲載予定です。
詳細はまた後日お知らせいたしますので、ぜひお楽しみに!

「山本先輩のお弁当、いつも本当に綺麗ですね」

 デスクの横から、後輩がのぞきこんでくる。独自ルールが多いこの部署に、たった半年足らずで馴染んだこの子は、眉尻をぐっと下げて人懐っこい笑みを浮かべた。

 彼女は私にとって初めて後輩である。彼女が入社する前は、どんな態度をとれば先輩としての威厳が保てるのか毎日のように悩んでいた。それなのに、こんな風に話しかけてくれるまでの仲になれたのだ。私一人の力とは言わないが、あの不安で仕方がなかった日々を思い浮かべると少し誇らしい気持ちになってしまうのは仕方がないだろう。

「そう? 適当に詰めただけだよ」

「いやいや。だって、見てください。最近、花嫁修業と節約のためにお弁当作りを始めたんですけど……」

 そういって彼女は自分のお弁当箱の中身を広げた。唐揚げ、コロッケ、ミートボール。見事に茶色。しかもすべてが左に向かって押し寄せている。控えめに言って、苦しそうな様子だった。

「確かに、努力のあとが見える感じだね」

「これじゃ全然、健康的にはなりませんよね」

 彼女はさらに眉尻を下げ、困ったように笑った。

 私だって、料理が得意なわけではない。でも、上京し一人暮らしをするタイミングで常備菜を作るのが得意な母がこれでもかとレシピを送ってきたのだ。美味しいことがわかりきっているレシピが手元にあるのだから、そのまま作ればいい。そうすれば、そこそこ野菜も摂れて悪くはない食生活がおくれる。

 OLというのは、学生時代にイメージしたよりもはるかに時間がないものだった。仕事もして、家事もして、料理も勉強するなんて気が遠くなる。少しでもテンションをあげるために、この辺りでは珍しいオープンキッチンのマンションに住んでいるが、繫忙期はそれも気休めにしかならない。後輩の彼女も、そういう時間のない毎日の中でどうにかお弁当を作っているのだ。

「初めてなら誰でもそうだよ。自分にあうレシピさえ見つけたら簡単にできるようになるって」

「レシピですか。うーん、Instagramで美味しそうなお弁当を投稿している人のレシピを、参考にしてるんですけど……」

 彼女の白い指がスマートフォンをサラサラといじった。それに合わせて、画面には彩り豊かなお弁当が並んでいく。

「すごい、美味しそう」

「ですよね! とくに、この“カナパパ”さんのお弁当がいつも素敵で!」

 まるで自分のお弁当が褒められたかのように喜々として見せられた画面には、プロが作ったと言っても過言ではない料理達が並んでいた。優しい色合いの卵焼きに、健康に良さそうな雑穀米、ソースを作るだけでも時間がかかりそうな豆腐ハンバーグ。驚いたのは、それが数十件に渡り作られ、投稿されていることだった。このクオリティのお弁当を毎日作っているのか。

「本当だ、美味しそう。“カナパパ”ってことは、お父さんなの?」

「そうみたいです。最近増えている、専業主夫ってやつみたいです。お弁当ももちろんなんですけど、なんだか楽しそうに家事もやっていて素敵なんですよねぇ」

 確かに、お弁当の写真がメインのようだが、収納アイテムや家事に便利な豆知識も紹介している。私の家と同じ2LDKの間取りのようだが、比べ物にならないくらい片付いた様子が見てとれた。

「専業主夫だからなのかなあ。こだわりの見える家事って素敵ですよぉ」

 うっとりとした表情で彼女が言う。花嫁修業とも言っていたし、きっとこういう生活に憧れがあるんだろう。確かに結婚の予定も子育ての願望もない私にでさえ、“カナパパ”の日常はキラキラと輝いて見えた。ああ、これが隣の芝生は青く見えるってやつなのかもしれない。


 これで、よし。今日のお弁当は少し気合いを入れてしまった。いつもなら常備菜を詰めるだけだが、卵焼きも入っている。火を使う時間をわざわざ捻出するなんて、いくら可愛い後輩に褒められたからって浮かれすぎかもしれない。いつもより遅くなってしまった時間をスマートフォンで確認して、足早に玄関のドアをあけた。

「あ! 山本さん! おはようございます」

 顔をあげると、朝から眩しい笑顔を浮かべた少年がエレベーターを待っていた。

「あ、奏汰君。おはようございます」

 奏汰君は、隣に住む高梨さん家の息子だ。この辺りでは有名な進学校に通っている、活発な男の子。真っ白なセーラーカラーの制服が良く似合っている。

「僕と同じ時間なんて、山本さん、もしかして寝坊?」

 奏汰君がニヤリとこちらを見上げる。いたずらっ子のような表情に笑みをこぼすと、後ろからパタパタと駆けてくる音が聞こえた。

「ほら、奏汰! お弁当忘れてるよ!」

 廊下に響いた声は奏汰君のお父さんである高梨さんのものだった。それを見て、奏汰君 がハッとする。慌てて開いたランドセルはスカスカで、ぽっかりと空いたスペースがお弁当箱の不在を主張していた。

 そういえば、高梨さんも専業主夫か。半年ほど前に引っ越してきた時は、物珍しさも相まってマンションを牛耳る主婦達の間で噂になっていた。朝のゴミ出しぐらいでしか関わらない私でさえ聞き覚えがあるのだから、本人にも伝わっていたんじゃないだろうか。

 だが、そんな下世話なやりとりはすぐに収まった。奏汰君は絵に描いたような良い子だったし、バリバリ働く嫁を見事に支える夫という設定は主婦達の心を射止めた。物珍しさであふれていた目線は、いつしか憧れとなり、今ではファンを公言する人もいるらしい。高梨さんはこのマンションの王子様なのだ。

「山本さん、おはようございます。もう、奏汰はサッカークラブが始まってから毎朝飛び出していくんですよ。お弁当と、軟膏と、包帯もちゃんと持った?」

「軟膏と、包帯はある! お弁当助かったよ。お父さん、ありがとう」

 へらりと奏汰君が笑った。お父さんが本気で怒っていないのをわかっているのだろう。ただ、それよりも私は腕に巻かれた包帯に目を奪われてしまった。

「軟膏と包帯……。もしかして、その腕のやつ?」
「あ、やっぱり目立つよね?」

 思わずでた言葉に、奏汰君は隠すことなく答えた。どうして気が付かなかったんだろう。彼がいつも通り明るかったからだろうか。セーラー服の長袖に隠れているが、彼の両腕には包帯が巻かれていた。

「そうなんですよ。最近、奏汰の出血が多くて、実はちょっと悩んでいるんです。男の子だし、サッカーも始めたからそういうものだと最初は思っていたんですが、なんていうか、アザが異様に多い気がして」

 高梨さんはそういうと奏汰君の右腕をまくって見せた。露わになった包帯は二の腕よりも上まで巻かれていて、痛々しくて仕方がなかった。いくら男の子とはいえ、これほどアザだらけになんてなるものだろうか。

「病院には行っているんですか」

「はい。先日、学校で鼻血が止まらなくなってしまって。その時に、学校の先生にも相談して病院に行ったんですが、検査をしても原因不明なんです。少しでも足しになればと思って、普段の食事を気を付けているんですが心配で」

 高梨さんは奏汰君の頭を撫でた。当の本人はあっけらかんとしているが、親は気が気じゃないだろう。心配そうに奏汰君を見つめる目は優しく、原因不明の病気に心を痛めているようだった。

 どう声をかければいいのか――迷い始めたところで、ようやくエレベーターが到着した。

「やっときた!」

 奏汰君は我先にと乗り込む。

「朝から話を聞いてくださってありがとうございます。じゃあ、山本さんも奏汰も、いってらっしゃい」

 早口で告げると、高梨さんは軽く手を振り返した。爽やかすぎるその光景は朝のひと時に似合いすぎていて、この日のことを私はすっかりと忘れてしまっていたのだ。

ここから先は

2,982字
この記事のみ ¥ 200
期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が参加している募集

#文学フリマ

11,723件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?