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【全編無料】黒澤伊織『地球の暮らし方』

今月はゲスト作家として黒澤伊織さんが登場です。
ほかの星から地球へと移り住んできた“ワタシ”。地球で暮らすため、ロージンDの皮をかぶった“ワタシ”に降りかかってきた無理難題とは?

 恐れていたことが起きてしまった。
 最初にを選ぶとき、「ロージンDを選んでおけば楽勝ですよ」と言った職員を恨む。まったく、嘘ばっかり言って。これじゃ話が違ってしまう。役所の職員というのは、どこも本当にいい加減だ――と、それがどこかで聞いた台詞だと思えば、つい昨日、ミツコさんが何度も繰り返していた台詞だった。何でも年金がどうとか、老人には手続きが難しいとか、真面目に聞いてなかったから分からないが、ひどくおかんむりの様子だった。役所がいい加減なのは宇宙全球共通らしい。
「それで……私とアキオさん、これから一緒に暮らすとなれば、いろいろ決めなければならないことがたくさんありますね。例えば、どちらの部屋へ住むのか、とか……」
 ぽっと頬が赤くなる。ワカモノJのように恥じらうそのヒトは、シンドウ・カヨさん。性別は女《J》性、年は六十二才。同じ町内に住む元気なロージンJで、まさに今この瞬間、ワタシに難題をふっかけてきている人間だ。
「そうですねえ……」
 ワタシはいかにも考え込んでいるような振りで頭を抱えた。『地球に住む知的生命体「ヒト」の発情期は長く、ロージンD――つまり〈老化個体《ロージン》/男《D》性〉を選んでも、発情に巻き込まれない保証はありません』――地球移住希望の事前教習で、職員は確かにそんなことを言っていた。けれど、そんなことは稀だとも言っていた。だというのに、そんな稀なことがワタシの身の上に起こったのだ。この地球で平穏無事に暮らすことだけを望んでいたはずの、ワタシの身の上に。
「そうですねえ……」
 ワタシは同じ台詞で空を見上げた。
 発情。ワタシの星の言葉で言えば、卵選。ヒトは男と女がくっつかないと次世代のヒトは生まれないが、ワタシたちは卵年と呼ばれる限られた一年だけ、一人で何個も卵が産める。けれど、もちろんそのすべてを育てるわけじゃない。そんなことをしたら、すぐに人口爆発してしまって、星は滅びてしまう。そのため、昔はたくさん生まれた卵のうち、三、四個だけを育てていた。けれど、そうするうちに人口増加は深刻なものとなり、千年ほど前からワタシたちが育てられる卵は、一人一個までということになった。
 その結果、ワタシたちは卵を何個か――あるいは何十個か産んでから、その中で一番出来のいい卵を選ぶようになった。形や色、大きさや、中身の成長予測までして、これ、という一個を選ぶ。そして、残りの卵は割ってしまう。これを返卵と呼び、卵年の翌年は、丁重な儀式が行われたものだった。
 けれど、時代が進むにつれ、やり方は変わった。もちろんワタシたちは卵を産み、選ばなければならない、そういうふうに進化した動物だった。だから、その仕組みは変えられない。けれど、だからといって、せっかく産んだ可愛い卵を割るという行為が苦しくないわけじゃなかった。それは皆が避けたいことで、できればやりたくないことだった。
 そんな時代の流れを受けて、誕生したのが卵選サービスだ。卵をそこへ預ければ、最新のシステムで選ばれた一つだけが戻ってくる。育てれば素晴らしい次世代になることが保証された、最適な一個だけが。
 その素晴らしい方法に、皆は喜んで飛びついた。このサービスを使えば、罪悪感もないし、どれを選べばいいのかという悩みもない。返卵の儀式は廃れ、卵年には皆、割ることを考えずに大量の卵を産んだ。最適な一個を選ぶには、母数が大きい方がいいからだ。
 けれど、話はそううまく行かなかった。それから何度目かの卵年の終わりに、サービスの不正が発覚した。調査によると、サービスには最適な卵を選ぶシステムなど存在せず、送り返された一個はランダムに選ばれていたというのだ。
 世間は荒れた。けれど、もうどうすることもできなかった。割られた卵は戻らない。その怒りと失望の目は、サービスによって選ばれ、育った世代に向けられた――それがワタシの世代だったというわけだ。
 そう、ワタシは最適な一個じゃなかった。次世代を託されるべき一個ではなかった。その呪いのような思いは、ワタシを苦しめ続けてきた。見渡せば、同世代の中にも「こいつは最適だったんだろうな」というやつもいて、けれどそうじゃないやつもいて、その違いを見るにつけ、ワタシはワタシじゃなかったんだという思いを強くした。
 卵年が近づくにつれ、ワタシの苦悩は強くなった。そして、こんな結論を出したのだ。最適の一個じゃなかったワタシが卵を産んだり、育てるべきじゃない。それどころか、この星にいるべきでもない。
 人口増加のため、他星移住はトレンドだった。その中でも最も遠い地球をワタシは選んだ。この別天地で、ワタシは卵選とは無縁の暮らしを望んだのだ。それなのに――。
 ワタシは隣に座るカヨさんを見た。
 カヨさんは、この公園でゲートボールと呼ばれる遊びをしているヒトだった。大勢で楽しそうに遊んでいるその姿を、ワタシは遠くのベンチに座り、いつもぼんやりと見ていたのだった。とはいえ、別に見ようと思って見ていたのではない。いわゆる宇宙人であるワタシたちは、ヒトとは姿形が違う。そのままではヒトの迷惑になるということで、移住のときにはヒトを模した皮《﹅》を被ることになっていた。ロージンDとかワカモノJというのが、その皮の名称だ。
 ワタシがベンチにいたのは、この皮のメンテナンスのためだった。この皮を保つにはある種の波長が生み出す活性化ビタミンが必要で――つまり、日光を定期的に浴びることが推奨されているのだ。
 そこへ、ゲートボールの球が転がってきた。
 ワタシは、もちろん警戒した。ヒトというものは転がる球を介すことにより、発情するという講義を覚えていたからだ。テニスやサッカーといった各種遊びに使うボール、坂を転げ落ちるリンゴやオレンジ、転がるものに同時に触れる、あるいは転がってきた球を相手に返す行為は、ヒトの発情本能を強く刺激する。だから、迂闊に転がるものに触ってはいけないと習ったのだ。
 けれど、そうと知りながら、ワタシは転がってきた球を拾ってしまったのだった。反射、ということもある。移住者である以上、ヒトと友好関係を築かなければいけないという思いもあった。
 そして、カヨさんの発情を許した。
 その後も何かと話しかけてくるカヨさんを無碍にできず、ワタシはずるずると関係を持ってしまった。ヒトと子供を作れない宇宙人のワタシが、善良なヒトであるカヨさんと。
「ワタシ、言わなきゃならないことがあるんです」
 ワタシはようやく顔を上げ、カヨさんを見た。
「はい、何ですか」
 カヨさんは嬉しそうに、優しく微笑む。その笑顔に、ワタシの胸はしくりと痛む。
 一個体だけで卵を産めるワタシたちと違い、共に卵を産み、育てるパートナーを探す地球のヒトは、その最良のパートナーを「運命のヒト」と呼び、特別視するのだという。ほぼ一生続くヒトの発情期は、その得難い「運命のヒト」を探すために、とても長くなったのだ。そのパートナーと最高の次世代を生み出すために、地球を素晴らしい星にするために。
 けれど、ワタシではその役目は担えない。そもそもヒトではないワタシたちは、不妊の個体として扱われることになるが、それでなくてもワタシは違うのだ。ワタシは生まれるべき卵ではなかった。本来は割られてしまうべき、クズの卵だったのだから――。
「ワタシは、クズなんです」
 絞り出すように、ワタシは告げた。
「ワタシはカヨさんと卵――いえ、子供を作ることはできないんです。だから、ワタシと一緒に暮らしても無駄なんです。ワタシはカヨさんの運命のヒトじゃない。カヨさんには、きっともっと別の運命のヒトがいて――」
「ちょ、ちょっと待って、アキオさん?」
 と、カヨさんが真っ赤な顔をして首を振った。卵――じゃない、子供の話なんかしてしまったから、興奮させてしまったのだろうか。
「とにかく、ワタシは子供を作ることができません。勘違いさせてしまったことは謝ります。この通りです。どうか落ち着いて――」
 頭を地面に近付けるという手法で、ワタシは謝意を表した。こうすれば、カヨさんもきっと、許してくれるはず――。
「……アキオさん?」
 しばらくして、静かな声音がワタシを呼んだ。その優しい波長。よくよく思い返せば、この波長が心地よく、ワタシはカヨさんと関係を続けてしまったのだった。日光浴は皮のためだが、この声の波長を浴びるのは、ワタシ自身が好きだった。天気のこと、グラウンドゴルフのこと、それにいままでの人生のこと――カヨさんの口調はいつも穏やかで、いつまでも聞いていたいと思わせてくれたし、ワタシもこれまでのことを――もちろん、ヒトではないことは隠して――聞かれるがままに話していた。ワタシの一番奥の気持ち――ワタシは望まれた卵《こども》じゃなかったということまでも。
 すると、カヨさんがくすりと笑って言った。
「前から思っていたんだけど、アキオさんって本当に不思議な人ね。何だか――同じ星の人じゃないみたいな」
「そ、そんなことあるわけないじゃないですか! それじゃ、ワタシは地球人じゃなくて、宇宙人ってことに――」
 焦って否定するワタシに、カヨさんはワカモノJ――いや、まるでコドモJのように笑った。
「ほら、そういうところ。否定するから怪しまれるのよ」
「で、でも、それは――」
「でもね、アキオさん。そうじゃなくて」
 言い訳しようとするワタシを、カヨさんは押し止め、それから少し顔を赤らめた。
「アキオさんとの子供なら、その……授かりたいとも思うわよ? でも、私も年だし、そりゃあ、そういうことがまったくないとは思わないけど……」
 恥ずかしそうに口の中でごにょごにょ言いながら、自分で自分を振り切るように頭を振った。
「でも、違うのよ」
 真っ直ぐにワタシを見る。
「人を好きになるって、そういうことがすべてじゃないでしょう? 子供とか、そういうことが。だからそうじゃなくて、私はアキオさんと残りの人生を生きたいと思ったの。だから、一緒にいてくださいってお願いしたの。アキオさんはそうじゃなかった? 私と一緒にいたいって、そう思ってくれたんじゃないの?」
 皺のある、ロージンJの小さな手が、ワタシのほうに差し伸べられた。
「いつか、アキオさんは望まれた子供じゃないって話してくれたでしょう。だから、子供にこだわるのかもしれない。けど、でも私はそんなことどうでもいいの。二人で一緒にいられれば……」
 子供なんてどうでもいい――カヨさんの言葉に、ワタシの頭は真っ白になった。厳しい卵選、選ばれる卵、割られる卵、最適な卵、クズの卵――ワタシを縛っていた鎖がその瞬間弾けるように解けて、気がつけばワタシの手はカヨさんのそれに重ねられていた。皮越しにも温かい手。その手を介して、カヨさんの波長がワタシの中身に直接伝わった。心地よい波長、得難い波長、ワタシたちの星では知り得なかっただろうこの気持ち。
 この気持ちは、一体何なのだろう。カヨさんのワタシに向けられた優しい目は、一体何を表しているのだろう。
「カヨさん、ワタシと生きてください。これからずっと、ずっと一緒に」
 それを知りたくて、確かめたくて、ワタシの口からそんな言葉がこぼれだした。
 すると、そんなワタシに応えるように、カヨさんは微笑んだ。
「ええ、ずっと一緒に。こちらからもお願いします」
 ワタシたちはお互いの手を握ったまま、ワカモノのように見つめ合った。これは講習で教わった発情なのだろうか、卵選と同じものなのだろうか。いや、ワタシにはどうしてもそう思えなかった。
 地球のヒトの発情は、きっと卵選とは違う。そんなに簡単なものじゃなく、それほど難しいものではなく、けれどそこにはワタシの知らない、もっといろいろな意味が含まれているに違いない。次世代を生み出すという以外の、いまを生きるワタシに必要なものが。
 太陽が地平線に沈み、空が赤くなってきた。ワタシはカヨさんと手をつないだまま、これからのことを考えた。
 これからの地球の暮らし。これからの二人の暮らし。それがカヨさんと共にあるのなら、きっと素晴らしいものになるに違いない、と。

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