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中馬さりの『ヒーローの手紙』

 東京と新青森間を結び、JR東日本管内で最も長い距離を走る新幹線・はやて号の中は混んでいなかった。

御剣 みつるぎ先生。あそこの席とか、いいんじゃないですか」

 別にどこの席でもいいのだけれど、旅行の機会なんてめったにない。景色も見たいし、後ろまでリクライニングできる1番後ろの席がいい。いくつか車両を渡り歩くと、ぴったりな席があった。

 御剣先生は何も言わず、僕が荷物棚に荷物をしまい、窓側の席に座るまで後ろで待ってくれている。普通なら、彼女のような美人に無言で腕を組みながら背後に立たれれば、はっきり言って息苦しいし、緊張するだろう。
 ただ、これは旅行にはしゃぐ僕の気持ちをくみとって、荷物をしまうのを待ち、窓側の席を譲ってくれているのだ。彼女はそれだけ観察力に長けた“名探偵”で、僕はそれに気付ける有能な“探偵助手”。だから、まったく緊張なんてしていないのだ。

「何をニヤニヤしているんだ、羽崎 はねざきくん。早く席につきなさい」
「あ、すみません。いや、先生は優しいなと思って……」

 訝しげにこちらを睨む先生に返事をし終えない内に、ドタドタとかける音が後ろの車両から聞こえてくる。その音は御剣先生にぶつかり、ぐしゃりと音をたてて床に崩れ落ちた。子どもだ。床に子どもが這いつくばっている。
 御剣先生はタックルされた太ももをおさえ、座席に寄りかかっている。僕は何が起きたかわからず、震える先生に声をかけるしかなかった。
 しかし、それよりも早く地面に這いつくばった子どもが大声で泣き出した。この世が終わるようなキンキンとした鳴き声が車両全体に響き渡った。

「……こいつ!」

 ああ、まずい。御剣先生は基本的には優しいし、子どもが嫌いというわけでもない。ただ、大人だろうが子どもだろうが、平等に接する人だ。公共の場でタックルしてきたにも関わらず、さも自分だけが辛いかのように泣きわめく人に対して、優しく接するわけがない。僕はこれから起きるであろう地獄絵図を想像し、そっと目を閉じた。

「ねえ、きみ! 僕を知っているかい? 正義の味方、ヒーローハヤブサ!」

 明るい声がとおる。手には、なかなか年季の入ったヒーローハヤブサのぬいぐるみ。女性はそれを顔の前でかまえ、腹話術のように話していた。
 ハヤブサは僕が子どもの頃にテレビでやっていた、10年以上も昔の戦隊ヒーローだ。当時は全国民が持っていた“携帯電話”を使って変身するというストーリーがうけて、子どもを中心に絶大な指示を得ていた。
 母親世代ならまだしも僕と同い年くらいの女性が、そんな懐かしのヒーローを持ち歩いているなんて。転んだ子どもが知っていると頷いたことにも驚いたが、なんとも奇妙な光景だった。

「どこか痛むのかい? ハヤブサに教えてくれる?」
「……痛くない……」
「そうか。君は強いんだね! でも、お母さんや、お父さんはどこかな? きっと君を心配しているよ。正義の味方は仲間を不安にさせないものさ」

 懐かしい。確かにハヤブサは仲間思いで、頼りになるヒーローだった。

「今度は走らず、歩いて自分の席に戻ろうね。ハヤブサとの約束だ」

 そういって子どもを立ち上がらせる。慣れた手つきだった。子どもは大きく頷くと、女性に促されるるまま御剣先生に小さく謝る。眉間にシワを寄せつつも彼女が頷くのを確認した後、子どもはトコトコと歩いていった。

「助かりました」
「お見事です」

 先生につられて、思わず声をかけてしまった。いや、それぐらい子どもに対して的確な対応だったと思う。僕と先生だけだったら、まだ泣き止んでいなかっただろう。

「ふふふ、たいしたことはしていませんよ」

 そういって笑う彼女は、朗らかな魅力があった。これから東北に向かうには薄着だと感じたが、淡いブルーのカーディガンがとても似合っている。

「いやいや、よほど子どもに慣れているのですね」
「弟がいたからかもしれません。困った時はお互い様ですから、気になさらないでください」
「お互い様ですか」

 御剣先生は彼女に微笑んだ。きっと彼女のことが気に入ったんだろう。そう思ったからこそ、先生が

「それなら、大きなお世話かもしれませんが、弟さんに会いに行くのは辞めるのをおすすめします」

といったことに、僕も彼女も驚き、息をとめた。

「彼が荷物を棚にしまうのに手間取りましてね。立っていたら、ちょうど見えてしまいまして。あなたも迷っているようだったので、老婆心です」

 先生、それって盗み見ってやつじゃあ……と言いかけたが、さっきまで朗らかに会話をしていた彼女の顔が青ざめているのを見ると、とてもじゃないが言葉にはできなかった。切羽詰まると、人はこういう表情をするらしい。

「おそらくあなたはその手紙の暗号に気付いていらっしゃらない。だからこの新幹線に乗っているのでしょう。」
「これが、暗号なんですか?」

 女性は慌てて席に戻り――確かに僕らがいた場所よりも少し前の席で、立っていた御剣先生からはちょうど見える位置にあった――手紙と思わしき紙を持ちだした。

 そこには達筆な文章ともに、メモのような数字が並んでいた。

「弟さんとは、手紙でやりとりをする仲なんですか?」

何も知らない僕は、ひとまず彼女に聞いた。

「弟とは両親の離婚で別れました。私は母に、弟は父についていって。父は日常的に暴力をふるう人だったので心配だったのですが、地元の集落ではちょっとした名家だったので、跡取りである弟を手に入れたかったのです。
 私は最後まで反対していましたが、月に1回、手紙でやり取りをすることを条件にあげることしかできませんでした」

明かされる事情に、どう相槌をうつべきかわからなかった。御剣先生は検討がついていたとでも言うように、手紙だけを読み続けている。

「弟と最後に会った時はヒーローハヤブサが大好きだったくらいの年齢で……、手紙と言ってもほとんど絵がメインで、安否確認みたいなものでした。でも、だんだんと内容が濃くなって、ここ数年では父のことや、集落の話も教えてくれました。
 ただ、少し前に父がなくなったんです。あんな人でも父は父ですし、10年以上にわたって弟を育ててくれました。だから、生前のことは水に流して、私も彼を許したいと思ったんです。
 でも、そう伝えた手紙の返事を母が隠していたんです。弟は“ぜひ来てほしい”と言っているのに、おかしいじゃないですか。そんな理不尽な人じゃないのに、何度聞いても応えてくれないし。だから、手紙の住所に行ってみようと思って……」

「気が付いたら新幹線に乗り込んでいた、と」

 僕がそういうと、彼女は申し訳なさそうに目を伏せた。自分で反省してしまうくらい、突飛な行動をとってしまったんだろう。お母さんの不審な行動も、御剣先生の言う暗号も気になる。僕は先生の横から手紙をのぞきこんだ。

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「なんですかこれ、スタンプ?」

のぞきこんで真っ先に目に入ったのは達筆な文字とたくさんの量のスタンプだった。

「私も最初はびっくりしたんですけどね。これ、ヒーローハヤブサのマークなんですよ。偶然、手にいれたらしくてどれぐらい綺麗に重ねられるか試しているんですって」

「えええ、それにしても……」

「気持ち悪いですよね。でも、この手紙、実は父の会社の方が東京に来るタイミングで、弁護士さんに預けてくれているんです。変わり者の父は弁護士を介さないやりとりをどうしてもしたくなかったみたいで。
 だから、弟は手紙を書き終わってもすぐに出せず、手元に置いておくしかありません。スタンプはその暇つぶしになるって言っていました」

あまりにも不憫な環境に返す言葉が思いつかなかった。

とにかく、内容に注目すると、しっかりと“きてくれるのは嬉しい”と書いてあった。それならば、御剣先生はどこで何を読み取ったのだろうか。やはりこのスタンプが――

「ちゃんと読みました。やはり私は地元に帰るのは辞めるべきだと考えますね。詳しくはおそらく他の手紙にあるのでしょうが、弟さんが望んでいないことはこの1通で理解できます。お母様はこの暗号に気付いていたのでしょう」

――暗号らしい。


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