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プロットからストーリーを想像してみよう『白ユリの季節』プロット:深本ともみ 本編:柳田知雪

小説を書く時、頭の中で終わりまで全てを考え、書ききる方もいらっしゃるでしょう。しかし、まずはプロットというあらすじを考え、そこから本編に起こしていくという方も多いのではないでしょうか?

大抵はプロットから本編までを1人で完結させることが多いと思いますが、プロットを考える人と本編を書く人が違うとどのような化学反応が生まれるのか?そんな好奇心と遊び心から始めたのが……

『プロット交換会』

今回は友人である深本(みもと)ともみ先生からいただいたプロットを私、柳田知雪が本編を執筆いたしました。
深本先生は、緑や畳の匂いが香ってくる落ち着いた文体と、ふいに現れる不気味さや個性的なキャラクターたちが魅力的な作風を生み出されます。不肖ながら私、もう10年来のファンでございます。
そんな深山先生になんと!10月号のSugomori文芸誌のゲストとして『菌類愛好者(マイコフィリア)のみる夢』を寄稿していただきました!10月19日に公開予定ですので、こちらもお楽しみに!

前置きが長くなりましたが、以下からまずプロットが始まります。が、もしプロットを先に見たくない方は目次から本編へと飛んでください!

どんなプロットから、どんな話が生まれているのか……お楽しみいただけますと幸いです。

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プロット

作:深本ともみ

舞台 6~16歳までが通う全寮制の女子校。男はいない。
主人公 6歳
先生(年齢不詳)
先輩A。主人公と同室。
先輩B。Aと仲が良い。

主人公は規律正しい女性になるために両親に寄宿学校へ預けられた。主人公の母もこの女子校卒。新入生は必ず先輩と同室になり、寮のこと、学校のこと、女性としての振るまい方など1から教えてもらう。主人公はこの先輩Aを母のように慕い、尊敬し、甘える。
寄宿舎の周りには猫が沢山いる。本当はいけないのだが、みんな餌をやっているからいついている。夜は寄宿舎に猫の鳴く声が響く。宿舎の裏で猫の交尾をみてしまった主人公は、怖くなってAのふとんに潜り込み、一緒に寝てもらう。
いつも授業では厳しい先生が主人公は苦手だ。だが、先生はなぜか猫を見て見ぬふりをしている。
先輩BとはAを介して仲良くなる。来月17歳になるBは、誕生日の日に寄宿学校をでる。そのような決まりになっている。Bがいなくなることを悲しみ泣く主人公。Aも悲しみに暮れてはいるが、その姿はどんどん美しくなっているように主人公にはみえる。
Bの誕生日の前夜、猫の声で主人公は目を覚ますが、寝室にAがいない。Aを探して廊下に出ると、見回りの先生にみつかってしまうが、先生は怒らない。おいでと誘われるままあとを追いかけ、2人はBの部屋の前に。猫の声はここから聞こえてくる。ここで先生から一言。あとは任せた。

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まえがき

著:柳田知雪

プロット交換会をすると決まった時、まずテーマとそれぞれのジャンルを決めよう。という話になった。そして決まったのが『テーマ:夏 ジャンル:百合』である。

百合かぁ!あんまり書いたことないけど、頑張るぞい!

と意気込んだものの、普段女性向けゲームアプリのシナリオを書くことが多い私に、百合物の引き出しは少ないのであった。女の子だけの寄宿舎、という設定をまず書かないなぁ、と早速プロット交換会の洗礼も受けた。中村明日美子先生の作品は大好きでいろんなの読むけれど……。

そして次に悩んだのが、キャラクターの名前。これだけキャラクターが多いと、無名のままキャラクターを動かすのは難しい。ということで、ユリの花の品種などを調べることにした。

主人公のマレロは、オリエンタルピンクユリの名前からいただいた。他のキャラクターも全てユリの名前からもじっているので、気になったら探してみてほしい。

名前が浮かぶと、自然とキャラクターの性格も浮かんできて、あとはプロットに沿って話を書いていくことにした。「あとは任せた」という深本先生からの挑戦状に対し、私の頭に閃いたのが……

(もうこれは濡れ場を書け、と言われてるようにしか思えない…)

なんて、邪な考えのもと生まれたのがこのラストシーンである。礼拝堂でやるしかない!と思った。じゃあ、礼拝堂に夜な夜な忍び込む2人にしようと考え、部屋に飾ってあるユリは逢瀬の帰りに2人が摘んできたものにしよう、なんて裏設定だけは考えたりもした。マレロ目線だと、あまりはっきりとは書けていないのだけれど。

そんな感じで話を膨らませていって、気付けばクーリエのシスター・イザベラ、なんてキャラクターも生まれてしまったから面白い。ちなみに深本先生から一番好評をいただいたキャラでもあった。

「私だったら、こういう会話は生まれないから新鮮だったー」

というコメントまでいただき、プロット交換会の醍醐味を味わえた。気になる方は知り合いと声をかけあってぜひプロット交換会を催して楽しんでほしい。

ちなみにこれは当初3000字くらいの分量で、とお互い示し合わせた結果がこうなったので、お遊びも計画的に、である。

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本編

作:柳田知雪

「マレロさん。今日からここが、あなたの部屋です」

リーガル先生が『202』と札のかかった扉の前で立ち止まる。後頭部の高い位置に黒いお団子を作った目つきの鋭い彼女は、寄宿舎の門前で出会った時から一ミリも表情が変わらない。マレロは彼女が人形か何かではないかと、密かに疑い始めていた。

先生がノックをすると、中から返事と共に扉へと近づいてくる足音が聞こえて、マレロの伸びきった背筋がさらに伸びる。内側から薄い木製の扉が開く。ふわりと緩いカーブのかかったブロンドを揺らし、202号室の先住人はくりくりとした緑色の瞳を嬉しそうに細めた。

「ようこそ、202号室へ。今日からあなたのシスターになるシアラよ。よろしくね」
「よ、よろしくおねがいしまふっ……!」
「ふふっ、初めて親元を離れるんでしょう? 緊張するのも無理もないわ」

花のような微笑みと、少し高くておっとりとした声。

今までマレロの周りにはいなかった年頃のお姉さんという存在。大人と子供が同居している彼女に、つい片足が一歩後ろへと下がるマレロだったが、リーガル先生に背を押され、今度は二歩前へと進み出た。

シスター、つまりこの寄宿舎においてマレロの姉となるシアラは、そっと手を差し出す。白くほっそりと伸びた指先はマレロという少女の手よりも、彼女の母のものに近い。

「今日は長旅で疲れたでしょう? お茶でもいかが?」

シアラの提案にこくりと頷きながら、マレロがおずおずとシアラの手に自身の小さな手を重ねる。

ゆっくりと引き入れられた部屋には、花の香りが漂っていた。匂いの元を辿っていくと、風の吹きこむ窓辺にユリの花の蕾が一輪、挿してあるのだった。

六歳を迎えたその日、マレロはこの全寮制の女学校へと入学した。母親の母校ということもあり、彼女が女として生を受けた時からこの学校に通わせることは決まっていた。部屋は必ず二人で一部屋。なおかつ新入生は先輩と同室になり、共同生活のいろはから、学校での過ごし方、そして女性としての振り舞いを教えてもらう。

歳の離れた妹しかいないマレロには、シスター制度と呼ばれるこの存在は憧れではあったけれど、どう接していいか分からないものでもあった。

マレロは長女だ。妹が生まれてからは特に、両親からの姉らしくあれ、という言葉にマレロは素直に従っていた。妹が母親に抱かれて甘える姿を遠めに見つつ、ピアノの稽古や絵を書いては、寂しくない姉のふりを続けた。姉がいるとはどういう感覚なのだろう、とシスターとなる女学生のことを想像しては、期待や不安が入り混じっていた。

そんなマレロの入学初日の夜。体は疲れているはずなのに、ベッドに潜り込んでも一向に眠気がやってこなかった。昨夜も緊張してろくに眠れていなかったので、頭も体も少し重い。ごろごろと枕の上を転がって、諦めて月明かりの差し込む白い天井をぼんやりと見上げてしまう。

「眠れないの?」

 隣から、眠気のせいかとろん、とした声音でシアラが尋ねる。

「私も、初めてここに来た日は眠れなかったの」

どこか恥ずかしそうに、くすりと笑って彼女は囁く。夜の静かな空気に溶け込むシアラの声が、心地よく二人だけの部屋に響いた。

「シアラ、姉さまは……朝まで起きてましたか?」

まだ呼び慣れない言葉に躓きつつも、マレロはシアラに質問を返した。

「いいえ、ちゃんと眠れたわ。私のシスターがね、一緒に寝てくれたの」

話しながら、シアラはまた少し笑った。出会った時から上品に、しかしよく笑う彼女にマレロも自然と警戒が解けていくのを感じる。何より、自分だけを包む慣れない布団は、いくら経っても温まらなかった。

「……一緒に、寝てくれる?」

絞り出すようなマレロの一言に、シアラがまた花のような微笑みを浮かべる。

「おいで」

そっと捲られた彼女の掛け布団の中に、おずおずと小さな体が潜り込んでいく。膨らんだ胸に顔を寄せれば、ミルクのような甘い香りがした。目を瞑るように促されると、やがて柔らかな手が髪を優しく梳いていく。丸まったマレロを包み込むように、シアロは体全体で温もりをくれた。

マレロにとって、それは懐かしい感覚だった。妹が生まれる前までは、こんな風に母親が一緒に寝てくれたていたのだ。こうして眠るまで何度も頭を撫でてくれて、気付けば夢の中に迷い込んでいた。

「おやすみ、マレロ。良い夢を」

冴えていた頭が嘘のような眠気に襲われ、瞼が重くなっていく。いつしか規則正しい呼吸を覚え、全身が湯たんぽのように熱を纏っていくのだった。

 ***

その日、マレロの授業は午前中に終わり、昼食後はクラスメイトたちと校舎を探検していた。活発なイザベラは悪戯っぽくみんなに笑いかけると、寄宿舎の裏庭へと向かっていく。不思議に思いながらついていけば、やがて可愛らしい鳴き声が聞こえてきた。

「猫?」
「そう。みんなが餌をあげるから、なついてるそうよ」

ぶち模様から黒猫まで様々な模様の猫が、誰かが置いた小皿に群がっていた。可愛い、とクラスメイトたちが歩み寄っていくと、猫たちが餌を強請るように体を擦りつける。そして、みゃあ、と細く可愛らしい声を漏らした。

「マレロもこっちおいでよ。猫、怖いの?」

この場所を教えてくれたイザベラが、動かないマレロを手招きする。

「怖くないけど……こういうのだめだって、シスターが」

寄宿舎で動物を飼ってはいけない。ちゃんと面倒を見られない動物に、下手な餌付けをしてはいけない。

そんなシアラの教えが、マレロを動けなくしていた。咎めるつもりはなかったマレロだったが、イザベラはむっとして言い返す。

「でも、みんなやってるのよ?」

彼女は無理やりマレロの腕を掴み、猫のすぐそばへと座らせた。そして、ポケットの中に忍ばせていたパンの欠片をマレロの手の平に乗せる。

「ほら、あげてみれば可愛さがわかるわ」

マレロが視線を向ければ感づいた猫が一匹、しゃなりと歩み寄ってくる。こんなに近くで猫を見るのも初めてだったマレロは、シアラの教えよりもそのふわふわとした毛並みに思考が奪われてしまう。ガラス玉のような猫の瞳に自身の目をパチパチさせながら、友人に促されるまま静かにパンくずの乗った手の平を差し出した。

「た、食べていいよ?」

猫は鼻先を寄せ、茶色いくずを注意深く嗅ぐ。やがて、安心したように小さな口で欠片を食べ始めると、ざらりとした舌がくすぐったかった。頬を緩めたマレロに、イザベラは自慢げに鼻を鳴らす。

「ふふっ、可愛いでしょ?」
「うん」

マレロは、みんながこっそりと猫に餌をあげる理由が分かった気がした。段々とパンくずもなくなってきたその時、猫の牙が手の平に食い込む。

「痛っ……!」

咄嗟に手を払いのけた。それに驚いた猫の前足が、鋭くマレロの腕を引っ掻く。一瞬のことに尻もちをついて呆気に取られながら、俊敏に逃げていく猫の背を見送った。

「マレロ、血が……!」

イザベラの悲鳴に近い声に、じくりとした痛みが腕に走る。見れば、猫の爪が走った痕に赤い線ができて、そこから血が滲んでいた。傷を確認してからは、痛みが鮮明にマレロを追い詰める。じわりと涙が浮かび始めた時、後ろから体を抱き上げられた。

「クーリエ姉さま!」

イザベラの声に、そっと顔を上げる。凛とした視線に射抜かれ、マレロは一瞬身を縮めた。

艶やかな腰まである黒髪に、オリエンタルなすっとした顔立ち。クーリエという名前は、マレロがイザベラからよく聞く彼女のシスターの名前だった。

「ビックリしたね。大丈夫、このくらいならすぐ綺麗に治るよ」
「ほ、本当?」
「あ、君はもしかして、シアラのシスターかな? ケガの治療もしたいし、部屋に戻ろうか」

頷き返す間もなく、クーリエは部屋へと歩き出す。薄い彼女の肩越しに、羨ましそうにこちらを見つめるイザベラが見えた。

 ***

部屋に戻ると、マレロを抱えたクーリエの姿を見て、シアラがもともと丸い目をさらにまん丸に見開いた。

「クーリエ! どうしたの、マレロと一緒になんて」

どこか声を弾ませるシアラは、嬉しそうに二人へと歩み寄った。そして、ハンカチーフで腕を抑えるマレロに首を傾げる。

「腕、どうかしたの?」

部屋に戻る途中、傷口をクーリエが水で洗い流してくれた。その上から手渡された彼女のハンカチーフで押さえつけたおかげで、血はすでに止まっている。

ただ、マレロはシアラからの教えを破ったことも相まって、正直に口を開けずにいた。引っ掻かれた時よりも胸が痛い。責めるでもなく、心配そうに見つめてくるシアラの瞳がまた、口を開こうとするマレロの胸をぎゅっと締め付けていた。

「散歩中に草で切ったみたいで。シアラ、救急箱持ってる?」

驚いたマレロはクーリエを見上げる。ちらっとマレロに視線を流したクーリエは、ぱちりと髪と同じ色をした瞳でウインクして見せた。

「あら、痛かったでしょ。救急箱あるから、そこに座ってて?」

シアラは特に疑う様子もなく、ガラス棚から救急箱を取り出す。腕を差し出したマレロの傷口に消毒液を吹きかければ、ちりっとした痛みにマレロは腕を震わせた。

「我慢して偉いわ」

シアラは優しく囁いて、丁寧にガーゼを当てていく。あっという間に処置も終わって、マレロはほっとしながらも自身のシスターの顔色を伺わずにいられなかった。

救急箱を片付けながら、シアラは三人分のティーカップを取り出す。当たり前のように居座っているクーリエの堂々とした振る舞いが、またマレロを心配にさせた。きょろきょろと二人を見比べていると、クーリエがにやりと口の片端を引き上げる。

「こういうのは、案外堂々としていた方がいいよ」

そういうものだろうか、とマレロが頷きかけた時、二人のもとに茶葉の香りが漂ってくる。先日、窓辺で花を咲かせたユリの香りとも混じり、より濃い甘さが室内を満たした。

「今日のお散歩は、寄宿舎の裏庭にでも行ったのかしら?」
「えっ」

びくりと肩を跳ねさせるマレロに、クーリエが吹き出して言葉を付け加える。

「あそこは人気スポットだからねぇ」

優雅にお茶を注いでいくシアラに、マレロは冷や汗が止まらない。しかし、クーリエはおかしそうに歯を見せて笑った。

「今は気性の荒い草も多いんだよ。シアラはあまり行かないから知らないだろうけど」
「えぇ、知らなかったわ。最近暖かいせいかしら、植物にもそういう時期があるのね」
「暖かいというよりは、もう暑いくらい。この前だって、君が暑くて堪らないっていうから、窓を開けようとしたのに怒られて……」
「あらあら、おしゃべりなお口にこのお上品なお茶は似合わないわね」
「いやだなぁ。シアラのお茶好きなのに、ここで待ったはなしでしょ」

クーリエが両手でカップを抑え込むと、やれやれと溜息混じりにシアラがお茶を注ぐ。

矢継ぎ早に繰り広げられる会話に、マレロはぽかんとただただ成り行きを見守っていた。そんなマレロの前に、シアラはほんのりと湯気を立ち昇らせるティーカップを差し出す。

「散歩は楽しかった? マレロ」
「はい……」
「それなら良かったわ。じゃあ、お茶にしましょう」

シアラも腰を落ち着けると、三人でのお茶会が始まった。マレロに二人の会話の内容を全部理解することは難しかったが、クラスメイトだという彼女たちの仲がいいことはよく伝わってくる。

そして、時折見せるシアラのクーリエへと向ける視線に、自分にはない熱のようなものを感じて、マレロは妙な高鳴りをする心臓を宥めるようにお茶を啜った。

クーリエが帰っていくと、いつもの部屋が妙に静かに感じる。ティーカップの片付けを手伝いながら、ふとマレロは呟いた。

「クーリエ姉さまと、またお茶会がしたいです」

マレロの言葉に、シアラは切なげに眉をハの字にして口元だけで笑ってみせる。

「そうね。クーリエは、来月にはここを出て行くから……今のうちにいっぱいお茶会をしましょうか」

シアラの言葉に、持っていたティーカップがカチャンと音を立てる。

十七歳の誕生日と共に、この寄宿舎を旅立っていく。それが、この学校のルール。突然の別れの宣告に戸惑いながら、マレロは夕食の鐘が鳴るのを聴いていた。

 ***

その日の夜、マレロは初めて寄宿舎に来た時と同様、なかなか寝付けなかった。クーリエが来月にはいなくなること、そしてシアラがひどく悲しそうだったこと。考え始めるとぐるぐると渦を巻いて、彼女の頭の中を占領した。

夜さえ寝苦しい暑さを感じるようになってきた近頃は、眠れないうえにじっとりと汗をかき、余計に目が冴えてそっと部屋を抜け出した。

あてもなく二階の廊下を歩いていると、行く先からぼんやりと揺れる明かりが見える。咄嗟に柱の陰へと隠れたのは、リーガル先生の能面のような顔が明かりに照らされて浮かんでいたからだった。

悲鳴を何とか飲み込んだマレロの耳に、突然劈くような鳴き声が届く。外から聞こえてくる音に、マレロは近くの窓から外を伺った。

眼下には猫たちが集まる裏庭があった。暗闇の中から、草を掻き分けるような音と共に、再び先ほどよりも弱々しく、甘さをまぶした鳴き声が響く。

「猫、なの……?」

マレロの目には、大きな一匹の黒い影が蠢いているようにしか見えなかった。しかし、時折混じる甘えるような声は、猫の鳴き声に近いものを感じる。腕の傷が、じんと熱を思い出すように疼いた。

「ふ……にゃぁあ!」

また激しい鳴き声がして、ぱっと大きな影が二つに割れる。やがて、片方は闇の中へと飛び込み、もう一方は久しぶりの静寂に溶け込むようにそこに居座っていた。

「ケンカしてたのかな……」
「交尾中の猫ですよ」

突然聞こえてきた声に、マレロは慌てて後ろを振り返る。表情一つ変えずにマレロを見下ろすリーガル先生は、淡々と言葉を紡いだ。

「春の暖かくなる頃から晩夏にかけて、猫は番を見つけると子供を作るために交尾をするのです。しばらくは、ああいう声が夜に響くでしょう」

ここから見下ろせば、裏庭に置かれた餌付け用の小皿も見える。本来禁止されていることに関しては、リーガル先生が気にする様子はなかった。マレロは言葉を選ぶように、慎重に尋ねる。

「猫のこと、知ってるんですか?」
「えぇ、知っていますよ。私が在学している時から、そこは人気スポットですから」

マレロの脳裏に過ったのは、母に連れられて寄宿舎にやってきたその日、リーガル先生と親し気に会話をする母の姿だった。その時は緊張しすぎて気にする余裕もなかったが、もしかすると母と先生は在学中から面識があったのだろうか、とマレロは思い至った。

「母も、よく通っていましたか?」

マレロの質問に、リーガル先生は視線を隣の少女に向けるが、すぐに窓の外の暗闇へと視線を戻した。

「彼女は、どちらかというと真面目な生徒だったので、私が猫を構いに行ってはよく注意されました。彼女の反応が面白くて、わざと猫の毛まみれで部屋を訪れたりもしましたが」

くすっと笑うリーガル先生が、マレロには初めて人間に見えた。そして、言葉に混じる柔らかさは、母との仲の良さを垣間見せ、何となくシアラとクーリエの姿に重なる。

今まで果てしない距離をリーガル先生との間に感じていたマレロは、歩幅の距離分ほど近づけた気がした。そんな親しみからか、先ほどからずっと気になっていた疑問を口にする。

「猫の、コウビというのは、あんなに泣きそうな声を出すのですか?」
「泣きそう、ですか。猫は交尾の時、雄が雌の首を噛むので、その痛みに耐えるためにないているのかもしれませんね」

マレロは自身の手に噛みついてきた牙と、腕を引っ掻いた爪の鋭さを思い出す。

「見た目は愛らしくとも、彼らは動物です。生きることに必死なんですよ」

リーガル先生は分かるようにゆったりとした口調で話してくれたが、マレロには難しかった。ただ、『必死』という言葉を反芻して、あの叫び声に近い鳴き声が耳の中でこだまする。

リーガル先生に部屋に戻るよう言われたマレロは再びベッドの上で蹲っても、結局眠ることはできなかった。

夜闇に轟く“生”を主張するかのような猫の声。目を瞑ると、あの大きかった一つの影と共に鳴き声が蘇ってきて何度も目を開けた。ちらりと隣のベッドを盗み見る。シアラは寝つきがいいらしく、今日もベッドに入るとすぐに寝入っていた。

マレロはそっと自身のベッドを抜け出す。そうして、そろりとシアラの布団を捲りあげ、潜り込むようにベッドの中へと入っていく。

「ん? どこの甘えたさんかしら」

寝ぼけているのか、シアラは特に拒むでも理由を聞くでもなく、腕の中へと招き入れてくれる。そっと頭を撫でられつつ、マレロは彼女から香るミルクのような甘い匂いを感じて、安堵する。

「おやすみ……クー」

マレロの耳に、聞きなれない言葉が吹き込まれる。しかし、シアラも寝ぼけているし、マレロも彼女の温かさに安心して眠りの淵でまどろむ。曖昧な二人の意識は布団の柔らかさにそのまま吸い込まれていくのだった。

 ***

「ようやく片付いたー!」

大きなカバンを閉じたクーリエは、ベッドへと勢いよく倒れ込む。物がなくなり殺風景になった机の上を拭いていたシアラが、ふっと息をつく。

「本当に。どこかの誰かさんが日頃から掃除してれば、こんなに大変じゃなかったのに」
「十年も使っていれば、これくらい普通だよ。ね、マレロ?」

唐突に話の矛先を向けられ、床を掃いていたマレロは曖昧に笑った。本来はイザベラが手伝うはずだったのだが、よっぽどクーリエがいなくなるのが寂しかったらしい。昨日から熱を出し、片付けで埃の舞う部屋には寝かせておけない、と保健室のベッドで安静を取るように言われてしまった。

「味方を増やそうとしてもだめよ。マレロは私のシスターなんだから」
「ふふん。シアラのシスターでもあるけど、私の友達でもあるんだよ」
「はいはい。じゃあ、友達にばっかり掃除任せてないで、クーリエも動きなさいな」

マレロはせっせと部屋を磨いていくシアラを眺める。彼女に重なるのは、ふとした瞬間に見せる切なげな面影だった。部屋に戻った時、一人でいるシアラを見つけるといつも上の空で、そして絵画のように美しかった。

その美しさは日を追うごとに深みを増し、いつしかマレロが出会った頃の彼女から幼さだけを完全に取り去ったような、そんな成熟した女の顔をしてみせた。しかし、マレロの姿を見つけると、思い出したように笑みを取り繕うのだ。

無理に笑わなくていいのに、とマレロは口に出しそうになって、何度も飲み込んだ。原因はもちろん、クーリエが寄宿舎を出ていくこと。分かっていたけれど、その悩みを打ち消すことも、笑顔じゃなくなったシアラを受け止められることも、自分にはできないと知っていた。母に抱きつく子供のような愛は渡せても、友人として安心させられるような、そんな愛は渡せないことを自覚していた。

掃除も一段落つく頃には、マレロはへとへとになっていた。荷物を運んで、まとめて、掃除して、というのはなかなかに重労働だ。

「マレロ、疲れたでしょう? 先に部屋に戻っていていいわよ」
「今日はありがとう。明日のお見送りも来てくれると嬉しいよ」

額に滲んだ汗を拭い、差し出された水を一気に飲み干した。それで一息ついたマレロは、小さく頭を下げる。

「はい。おやすみなさい、クーリエ姉さま」

部屋から出て行く一瞬、扉の隙間から室内を垣間見た。

シアラがクーリエへと向ける横顔。先ほどまでの華やぐ笑顔とは違う、艶やかに彩られた表情にマレロは肌をぶわりと粟立たせる。

言葉を失ったまま、マレロは改めて思い知った。いつも一人にいる時に見えたシアラの表情は、クーリエのためのものだったのだと。分かっていた事実に、実感となって襲われた。

スローモーションのように閉まっていた扉が、ついにぴたりと隙間なく閉じる。バタン、といつも以上に大きな音で締め出されたような気がして、マレロはとろとろと202号室へと帰っていった。

 ***

その夜、甲高く響く鳴き声に、マレロは目を覚ました。

シアラの帰りを待つマレロではあったが、片付けの疲労により、ベッドに入った瞬間には眠ってしまっていたのだ。開けっ放しだった窓の向こうにぽっかりと浮かぶ月が見えて、すでに寄宿舎全体が寝静まっていた。

「シアラ……?」

同居人の名前を呼ぶ。しかし返事はなく、隣のベッドはもぬけの殻だった。その時、再び夜の風に乗って、甲高い声が耳に届く。マレロの頭に咄嗟に過ったのは、猫が交尾する時の鳴き声だった。甘く、泣きそうな声を思い出し、ぞわりとマレロの胸を撫でていく。

寝ようとしても、瞼を閉じればまだ鮮明にあの大きな猫の影を思い出して、眠れなくなる。マレロは大きくなっていく不安に、部屋から飛び出しシアラを探し始めた。

「シアラ、どこ……?」

まだクーリエと部屋にいるのかもしれない、と部屋を訪れる。しかし、そこにはクーリエの姿すらない。代わりに保健室から戻ってきたらしいイザベラが、氷嚢を頭に敷いて眠っていた。

起こすのも忍びなく、マレロは再び廊下を歩き始める。曲がり角に差し掛かったその時、ぬっと現れた細長い影にぶつかった。

「大丈夫ですか?」
「……リーガル先生?」

見回りだと気付いたが、マレロの考えに反して先生は特に目くじらを立てることもなく、マレロの小さな体を引き起こす。軽くお尻についた埃を払ってくれて、やがてすっと踵を返した。

「ついてきますか?」

突然の質問にマレロは面食らう。あの夜、距離は近づいたように思ったけれど、相変わらず表情の動かない顔からは感情や意図は全く読み取れない。ただ、何かを知っているらしい彼女についていく以外、シアラを探す方法も思いつかなかった。

人差し指を静かに立てた先生は、寄宿舎の隣に佇む礼拝堂へとマレロを連れたっていく。空には厚い雲が浮かび、今はすっかり月を隠している。礼拝堂へは入口から中に入ることはなく、外壁沿いに歩いていく。周りに植えられた白いユリの花が夜闇の中で浮かび上がり、まるで光る道しるべのようだった。

「ん、にゃ…ぁ……」

また、あの猫の鳴き声がした。部屋で聞いた時よりも鮮明で、音に近づいているのだと分かる。またあの影を見るのだろうか、とマレロは身構えた。そんな彼女に構わず、リーガル先生は夜間、閉まっているはずの礼拝堂の窓の傍まで歩み寄る。

「どうして、窓が開いてるんですか? もしかして、ここから猫が?」

静かにするよう言いつけられていたため、マレロはできるだけ小声で尋ねた。

「入っていったのは猫ではなく、あなたの探し人とその友人です」
「シアラ姉さまが?」

心臓が痛いくらいにばくばくと脈打つ。

友人というのは、間違いなくクーリエのことだった。真面目なシアラがどうして、鍵のかかった礼拝堂に、しかも夜に忍び込むような真似をしているのか、マレロには全く理解ができなかった。目の前の先生が何を言っているのかも分からなくて、もどかしさについ声が大きくなる。

「シアラじゃない、猫だよ! だって、猫の声がして……!」

確かめてやる、とマレロは窓の淵に掴まり、精一杯背伸びをした。今はあの大きな影を見てしまう怖さよりも、シアラでないことを確認したかった。

必死に伸ばすふくらはぎから、熱い血液が全身を駆け巡る。力を込めすぎた手に汗が滲み始めたその時、礼拝堂のベンチの上でもぞもぞと動く影が見えた。

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