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カニカマ物語② 誕生編「かにあし」

杉野芳人さんの「カニセンサー」が働き、開発は人工クラゲから人工カニへと一気に舵を切りました。じゃあ、人工クラゲはどうなったの?と気になるところですが、日中国交正常化に伴い中国からの輸入が再開されたので、需要は次第になくなっていきました。もし人工クラゲが完成していたら、すぐに売れなくなっていたかもしれません。そして、現在カニカマは世の中になかったかもしれません。

カニカマ開発の主なメンバーは、専務の杉野芳人さん(当時42歳)を中心に、天才肌のかまぼこ職人と開拓魂を持った研究者、そして何でも屋として動き回る開発主任の清田稔さん(当時35歳)です。この中で最年少だった清田さんは、個性派ぞろいの中で四苦八苦しながら開発に奔走したそうです。

杉野芳人専務(右)と天才肌のかまぼこ職人。開発室で
清田稔さんの開発ノート

杉野芳人さんは好奇心旺盛なアイデアマンで、「こんなのできんか?」というお題が次々と清田さんのもとに降ってきます。出張先でも人気店とみると、列車の出発間際であっても飛び込んで、お店の人に根掘り葉掘り質問をぶつけます。清田さんは横にいて少し恥ずかしいと思うこともあったそうですが、それくらいの熱量がある人でないとカニカマは生まれなかっただろうと振り返ります。

人工クラゲの開発には海藻のネバネバ成分「アルギン酸ナトリウム」を使っていましたが、味や色を付けるのが困難でした。そこで、本業の練り物の原料である「すり身」を使うことにしました。
そもそも最初のクラゲ開発の時点で、すり身を使う発想があってもよさそうですが、その考えは全くなかったそうです。

「灯台下暗し。自分の近くに立派な原料があったのにすぐには気付かなんだ」

1640(寛永17)年、杉野与作さんが創業した当時は鮮魚問屋。1961(昭和36)年まで練り物と並行して漁業も行っていたスギヨは、練り物にこだわらない会社だったのです。

清田さんの開発ノートの1ページ

明治初年から約100年受け継いだ練り物技術が生き、すり身を使ってカニ風味のかまぼこを作ろうと決めてから開発は順調に進みます。昆布やカツオ出汁で味付けると、海の香り、カニの風味が口いっぱいに感じられました。形はカニの脚肉をほぐしたようなフレーク状です。あまりのカニらしさに、驚きと喜びが開発者たちの間に広がりました。

1972年、能登半島の海辺にある小さな開発部屋で、世界初のカニカマ「かにあし」が誕生した瞬間です。

世界初のカニカマ「かにあし」

つづきはこちら。

◆清田稔さんインタビュー


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