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カニカマ物語③ 誕生編「売れない」
「これは10年に一度の発明だ」
世界初のカニカマ「かにあし」が誕生した当時、スギヨ社員は皆こうに思っていました。ですが、自信に反して商品は一向に売れませんでした。
「刻んだかまぼこなんて売れない」
築地市場へ持ち込むも、つれない態度で一蹴されてしまう始末。カニカマというジャンルがない時代、「かにあし」は単なる「刻んだかまぼこ」に過ぎませんでした。それでも、営業の宮崎忠巳さん(当時43歳)は全国を走り回り、自慢の商品について説明するのを止めませんでした。すると、築地場外市場の1軒の問屋さんがかにあしに目を止めてくれました。
「なかなか面白い着想だ、売ってみようじゃないか」
料理屋さんと取引があったこの問屋さんが、板前さんにかにあしを試食してもらうと、評判は上々で見る見るうちに売れていきました。やがて、築地場内でも扱ってくれる問屋さんが増え、そこでも爆発的なヒットとなったのです。
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「かにあしを積んだトラックから荷物を降ろし終わらないうちに、われ先にと持って行くから数えるのが大変だった」
当時を知る築地場内の卸業者、築地魚市場株式会社で練り物を担当していた川村恒雄さん(81)は、かにあし争奪戦の様子を語ってくれました。
「ほしいという仲買人が、夜中も寝ないでトラックの到着を待ち構えていた。すぐに売れてしまうから、ほしい分だけくれなかったと言って、恨まれたよ」
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大きなトラックで1日に5回運んでも足りません。商品に羽が生えたかのように売れていきました。いくら自信があったとはいえ、まさかこんなに人気になるとは・・・。石川県の工場も大慌てでカニカマを作ります。機械を3台追加し、時にはちくわ工場の社員もかにあし工場に駆けつけて、社員総動員態勢で作りました。
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「皆でカニカマを作っていて、ちくわ工場が真っ暗だからスギヨは危ないんじゃないかと囁かれてね」
かにあし開発を担当した清田稔さん(86)が笑って教えてくれました。
しかし、ここで笑っていられない事態が起こります。かにあしの人気はうなぎ上りで、商品がどんどん売れましたが、認知が広まるにつれ「インチキ商法だ」「カニだと思って買ったのに騙された」など、消費者団体などから抗議の声が殺到したのです。
つづきはこちら。
◆カニカマ卸業者 川村恒雄さんインタビュー