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水泳はやってない

私は肩幅が広い。

肩幅だけでなく全体的に骨格がしっかりしている。

骨盤もしっかりしている為、若い頃はよくオヤジ共に「安産型だね〜」なんて言われた。
今だったらセクハラだぞ、と思うが実のところ安産だった。
当たってたよ、オヤジ共。

先日、久しぶりに「良い肩幅してるね〜水泳やってた?」と言われた。
これは本当によく言われるやつで、コンプレックスのひとつだ。しかも私は殆ど泳げない。見た目で人のこと判断したらあきまへんで!怒るでしかし!と私の中の横山やすし師匠がが叫んだところで、肩幅の広さは隠しようのない事実だ。

幼い頃、友達家族と川に遊びに行ったときに溺れてから水が苦手になった。
浮き輪からスポッと抜けて、まずい、と思った時には沈んでいた。
少しもがいてはみたものの浮かび上がることができない事を察すると「ああ、このまま死ぬんだな…」と抵抗をやめたのを鮮明に覚えている。
因みに、5、6歳の時の出来事だ。
諦めるのが早すぎはしないか、幼い頃の自分よ。

同じく泳げない母の代わりに友達のお父さんがすぐに助けてくれたおかげで今も生きているわけだが、この時のトラウマから高校を卒業するまで水泳の授業で苦しむ事になる。

それでも授業は受けなければいけないわけで、ズル休みをする勇気のなかった私は背泳ぎと平泳ぎは少し出来るようになった。息継ぎをしなくてよければ、息の続くところまでクロールも出来る。それをクロールと呼んで良いかは分からないけれど。

しかし、これくらい出来れば「カナヅチ」とは言わないだろう。小6の夏までは正真正銘カナヅチだったのだけど、同じクラスの男子のひとことをきっかけにカナヅチを脱出することになる。

小学校6年間を通して水泳の検定があった。レベルが色分けされていて、合格するとその色のテープをもらい水泳帽に縫い付ける。つまり一目でいまのレベルが分かってしまうわけだ。緑1[顔を水につけることが出来る]から始まって最後は赤3とかだった気がするけど自分には関係ないと思っていたのであまり覚えていない。6年生でも皆が赤を取っていたわけではないが、大体青3[自由形25m]以上を取っていれば格好付くかな、という認識だった。

私は6年生になった時点で緑3[蹴伸びバタ足5m]だった。自分では全く気にしていなかったが、水泳帽に縫い付けられた3本の緑のテープは思いの外6年生のクラスでは目立った様だ。

勝ち気でよく男子と喧嘩をしていたのだが、中でもよく喧嘩になった男子にその緑3が見つかった。「おいおい、高橋まだ緑3だぞ!だせー!」と散々罵られ一気に私の緑3は有名になってしまった。そしてからかいの輪が広がった所で、その男子にこう言われた。

「この夏に青3を取れれば逆立ちで校庭一周して土下座して謝ってやるよ。」

小学生らしい宣戦布告だ。当然受けて立った。しかし泳げないという事実は変わらない。水泳の授業なんてせいぜい3ヶ月程度だ。

考えろ。何とかこの危機を乗り越えて、あいつに土下座させるのだ。

私の長所はド根性とカツオ君的なずる賢さだ。カツオは「自由形」の文字に注目した。検定は飛び級を許されていて、途中の青1[クロール10m]とかは飛ばして目標の青3のを受けることが出来る。つまり何でもいいから水中を25m移動すれば良いのだ。カツオは閃いた。私にも出来るものがあるじゃないか。帽子に縫い付けられた緑のテープが証明している、「蹴伸びバタ足」が!

今から泳げる様になるのは無理だ。でも男子との約束は「青3を取ること」。つまり蹴伸びバタ足でも25m泳ぎ切る事ができれば青3は貰える。これしかない。ありがとう、カツオ。君は私のヒーローだ!

私はその夏の最後の試験の日に青3を受けると宣言した。ここまでの授業でも全く泳げるようにはなっていないのでクラス中がざわついた。大丈夫。私にはカツオがいる。カツオは私を信じてる。


「バタ足で行きます。」

先生に種目を聞かれて凛々しく答えた。「え!?」と驚いていたが私は揺るがない。応援してくれていた友達のため息が聞こえた。しかし私は水の中にはいり、ピストルの音と共に思い切り壁を蹴った。

10mほど進んだ所で苦しくなってきた。バタ足というのは全くもって進んでいかない。15m位で一緒にスタートした子が皆ゴールしたのか、気配を感じなくなった。限界か。いや、まだ行ける。あと5m、というところで一度だけ息を吸いに顔を上げた。バランスを崩した。少し水を飲んだ。しかし、5m先の壁にタッチするまで足をつくわけには行かない。バチャバチャともがきながらも何とか体制を立て直し、目の前に迫る壁を掴んだ。

歓声が聞こえた。
先にゴールしていた子も見守っていたクラスの友達も、まさか先生までもが蹴伸びバタ足で25m泳ぎ切るとは思っていなかったのだ。私のバカで無謀な挑戦をいつの間にかクラス中が応援してくれていた。涙を流す子までいた。それはさすがに嘘だけど。

何にせよ私は青3を合格した。最後の授業だったから渡された3本の青いテープは帽子に縫い付けられることはなかった。因縁の男子も結局ごちゃごちゃ言い訳を言って逆立ちで校庭一周も土下座もしてくれなかった。でも私は満足だった。今思えばズルの様な気もするけど、目標を達成するというのがこんなに嬉しくて気持ちいいものだと学んだからだ。これがきっかけで水への恐怖が和らいで、ほんの少しだけど泳げるようになった。それでもこの『ほんの少し』は、次に浮き輪から抜けたときに身を守ってくれるだろう。男子に感謝だ。

長々と思い出を語ってしまったが、つまり私の肩幅は水泳とは関係ない。しかも広いくせになで肩なので、上着や肩にかけた荷物はズルズルと落ちていく。どうせなら役に立つ肩が良かった。

コンプレックスというのは、自分の中から生まれたものと、人から言われて気になるようになった後天的なものがあると思う。先述した私の2つのコンプレックスは後天的なものだった。「コンプライアンスだのハラスメントだのと難しい世の中になった」と言う意見もあるけれど、嫌なことを我慢する美学みたいなものがなくなっていくのはいい事だと思う。もっと怒っていいのだ。ただ、私もその美学の時代を生きてきた世代だから気を付けなければ、と自戒する。そうやって少しずつ世の中が変わっていけば良い。私もまたコンプレックスを刺激されるような事を言われたら、遠慮なくやすし師匠を発動させようと思う。

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