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【#3】放課後の春風

おさらい↓


「先生、はい。」


中川くんの声で我にかえる。

反射的に出した手に1枚のプリントがひらりと乗せられた。しまった。またぼーっとしてしまっていた。




復職してすぐ工藤くんのグループが私を「バイキン」と呼び始めた。体育の福田先生に注意を受けすぐにやめたが、それが工藤くんのお母さん耳に入り「うちの子がそんな事言うわけがない、そもそも仲村先生が」と少し弱まっていた彼女の火が再燃してしまった。


しかもだ。あれだけ苦情が来たにも関わらず、この非常時で担任が変わらない方がいいだろうということで殆んどの学年でそのまま担任は持ち上がる事になった。なんて残酷な事をするんだと校長たちを恨んだ。


あれから1年経っても未だ感染が収まらず緊張感漂う世の中で、保護者たちも学校の先生たちも私の件を忘れてはくれない。児童たちに対しても、会話は必要最低限でマスクで静かに授業を受ける顔から表情が読めず、どんどん疑心暗鬼になり会話をするのも怖くなっていった。


私はぼーっとしてしまうことが増えた。身体も常にだるくて頭が重い。秋に1度病院に行ったら精神科を勧められた。何かしらの診断が出るのが怖くてそこから病院にも行けずにいる。工藤くんのお母さんからのクレームの電話は、工藤くんの中学合格が発表されるまで続いた。



「帰らないの?」

中川くんが不思議そうにしている。
プリントを受け取ったあとも座ったまま動かずにいたからだ。

「もう僕以外皆帰ったけど。」

今日の5時間目はプリントが終わった人から提出して流れ解散にしていた。気づけば中川くん以外誰もいない。他の生徒たちのプリントも上の空で受け取っていたのか、と反省する。

「これから教室の消毒するから」とごまかしたが中川くんは「へー」というと自分の席に戻った。なんの気無しに挨拶をして職員室に戻ればよかったのに、変なごまかしをしてしまったが為に教室にいることになってしまった。小学生とはいえ誰かと二人きりの空間に耐えられず、プリントを確認するふりをして時間を稼ぐもマイペースな中川くんの帰り支度はなかなか終わらない。


「なんか先生と話すの久しぶり。」

中川くんが珍しく話しかけてきた。いつもニコニコしているが大人しい子だ。静かな空間に耐えかねたのかもしれない。



「工藤くんたちは?先に帰っちゃったの?」

「うん、勇気くんたちは水曜は塾だから。僕が全然プリント終わらないから先に帰っちゃった。」


そういえば中川くんは成績は悪くないのに流れ解散の時はいつも最後まで問題を解いている。慎重な性格なのかと思っていたが、もしかしたら他に理由があるのかもしれない。タオル紛失事件も、中川くんが工藤くんに貸していたのを忘れていたという事で落ち着いたが本当かどうか怪しい。




「もうすぐ卒業だね。中川くんはA中だから工藤くんたちと離れちゃって寂しいね。」



探るわけではないが、なんとなく工藤くんの話題を続けてみる。


「うちは勇気くんちみたいにお金持ちじゃないし、私立は無理無理。僕もそんなに頭良くないし。」
「そんなことないじゃない?塾にも行かずにその成績だったら結構すごいよ」


「そうかな?」と照れたようにはにかむ。小柄で穏やかな中川くんが笑うと一気に幼さが増す。こんな顔で笑う子だったっけ。この1年ほぼ対話していないせいかあまりそれ以前のことを思い出せない。



「まあ勉強は嫌いじゃないけど、中学では部活に力入れたいからさ。」
「何の部活?」


5年生から工藤くんに付き合ってサッカー部だ。工藤くんグループは皆運動が得意だが、中川くんは少し無理してる気がしていたので意外だった。



「んー…教えなーい!」
「えー!気になる!」



邪気のない会話と笑顔に心がほぐされる。人と話して笑ったのはもう1年以上なかったかもしれない。



「それよりさ、卒業式ってするのかなー?」



はぐらかす為か話題を変えた。
まだ感染が落ち着いてない為にまだ卒業式を行うか検討中だ。今年1年、行事は殆どなくなってしまった。せめて卒業式くらいやらせてあげたいと担任として思う。



「まあどっちでもいいけどね、僕は。行事はあんま好きじゃないから。今年は運動会がなくなってラッキーだったし。」

「そうなの?」

「うん、6年間で今年が1番楽しかったかも。」



目から鱗だった。

確かに行事が好きな子ばかりじゃない。運動が苦手でも運動会は強制的に参加させられる。朝起きるのが苦手な子も、今年は時間差登校で楽だったかもしれない。しかし、そんなこと考えたこともなかった。皆行事がなくなって残念がっていると思っていた。そしてそれは全て自分のせいだと。疑心暗鬼になりすぎて必要以上に自分を追い詰めていたのかもしれない。負のループにはまってポジティブな事など一切思い付かなかった。視野が狭まっていたのだと反省しながらも少し胸のつかえ下りた。救われた、と言ったらまた怒られてしまうだろうか。



「先生たちは大変そうだったけどね、特に仲村先生は。」



急に核心をつかれドキリとする。


「僕たちが卒業したら少し楽になるんじゃない?色んなこと言う人いなくなってさ。まあ、先生は悪くないんだしさ。」



慰めようとしてくれているのだろうか。中川くんは変わらずにこにこしていた。
何と返したら良いのかわからない。

「でも消毒とかはまだ続くかー。感染対策でさ、卒業したらもう僕たちも遊びに来れなくなっちゃうのかな?」



ごめんね、先生学校辞めるの。
時間が解決してくれるのを待てずに、ここから逃げるの。



言ってしまえば楽になるだろうか。でも教師である以上そんなことは言えない。



「ありがとう」


答えになっていないが、懺悔してしまいたい気持ちを押し殺して捻り出した。やっと出た言葉をかき消す様に下校の音楽が流れてきた。




「あ、帰んなきゃ、じゃあさよならー!」




ランドセルを鳴らしながら中川くんが走り去る。結局タオルのことは聞けなかった。



辞表を提出したのは先月。
考えて考えて決断したことだ
辞表を撤回することはないしそんな事はもちろんできない。


周りの人全てが敵のように見えていたがそうじゃなかった。自責の念や一部の人からの言葉で傷付き過ぎていたのではないだろうか。



最後に中川くんが言ってくれたことと同じような内容の事を校長にも言われたような気がする。でも頑なに閉じてしまった私の心は動くことはなかった。なのになぜだろう、中川くんの言葉はすっと私の中に入ってきて、辞表をほんの少しだけ後悔させている。この仕事が好きだった事を思い出させてくれた。





教室に西日が差し込んで換気で冷えた身体を温める。こころなしか、胸も少し熱い。



窓に近づくと突風が吹いた。そういえば今日は春一番が吹くかもと天気予報で言っていた。突然の春の風は私の身体を抜けていき、奥の方の化膿してしまった傷に染みた。いや、染みたのは中川くんの言葉だったのかもしれない。
くしゃみが3回出た。目を擦ると止まらなくなる。窓に写った私の目は真っ赤で、いつの間にかマスクの中は涙で濡れていた。

「今年も来たかー。」

誰もいなくなった教室で少し大きめな声で口に出してみる。声が震える。

これだから春は苦手だ。


           【#4】へ続く

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