見出し画像

この仕事に就いて1ヶ月、残りの社員がほぼ辞めてしまった話

いきなり創業400年の酒蔵代表になった元普通の主婦、宮崎朋香です。
急死した弟が必死で復活させた酒を守るため、山口県山口市の商店街の酒蔵で代表をしています。

noteでは、いきなり社長にならざるをえなかった時のドタバタした話や、お酒造りの話、山口のいいところなどを書いていきます。

今回は、入社して2週間目に社員4名で運営していたうち3名が突然辞めてしまった話を書きたいと思います。いま思い返しても本当にあの時は大変でした…!

弟が急死し、引き継ぐことが決まってはじめて酒蔵に出勤するようになって2週間。うちの酒蔵「山城屋酒造」は酒屋もやっているので、各飲食店さんへの配達もおこなっています。入社して1日目で配達の方が辞められてしまったので、その部分の引継ぎで一生懸命ビールケースを抱えて配達をおこなっていました。

お得意様を回るということは、弟が社長だった時代の話も聞くこともできるので配達も大事な仕事だと、やっと配達ルートも覚えて落ち着きを取り戻したところ。

私たち、辞めます!」

と、いままではいってくれていた事務員さん2名がどちらも一緒にいきなり辞めてしまうとのこと。

(はっ?なんで?どういう事…?!)と戸惑いを隠せずに、思わず「どうしていきなり2人同時に辞めてしまうのでしょうか?」と聞くと「前から社長には、伝えていたので辞めます」とのこと。もちろん私には寝耳に水の話です。

とはいえ、先代の社長、つまり急死した弟には辞める話もしていたとのことで、何も2人一緒に辞めることはないんじゃないのか?と思いつつも、止めてもこれも仕方ない、それならそれで受け入れようと承諾しました。

ここからが大変です。辞めるまでの1ヶ月間、死にものぐるいで今までの経理の仕事を覚えました。酒蔵の経理は酒税なども入るため、特殊な計算も多く分からないことだらけ、また引継ぎの期間が短かったこともあり、税務署への報告方法や税金の計算方法などの業務を引継ぎできる機会は1度だけ。どうにか頭の中に叩き込んで、死力をつくして税務署への報告をした事を今でも忘れません。

そして経理の引継ぎと税務署への報告と同時に対応したのが、求人募集です。泣きながら引継ぎ対応をしつつ、15日目にはようやく新しい事務員さん1人が見つかって、半年後にもう1人その2人と一緒にひたすら勉強しました。あの時のはいってくれた事務員の方はいまも山城屋酒造で一緒に働く大事なメンバーです。あの時は全員がいっぱいいっぱいな時代でした。

そして、その当時の税理士さんに数字の事を教えてほしいとお願いしたら、「僕は、確定申告で忙しいから…」と一蹴りされる始末。
私はこの先どうしたらいいのかと本当に途方にくれました。

その時出会ったのが、上関の遍照寺でした。
誰に相談することもできず、せめて静かな場所で自分の時間を作り、写経をすることで自分と向き合えるのではと思いたまたま行ったこの遍照寺さんで、写経に出会いました。
行った際、住職に「私はこれからどうしていいのかわかりません。このまま仕事を続けられるのでしょうか?税理士さんも忙しいからと教えてくれないし、数字もよくわからないし…前が全くみえません」と思いの丈を全部話しました。

その話をしたら、住職から「僕のお義父さんに相談してみたら?」との返答が。どうゆうことなのかと思っていたら住職のお義父さんは大阪の税理士さんだったのです!

そして、その場で住職はお義父さんに電話をかけてくださり、わらにもすがる気持ちで私はいきなり社長になってしまったことや、社員が突然全員辞めて過去の業務のことが分からないまま代表をすることになってしまったこと、頼りにしたかった税理士さんも忙しいことを理由に過去の数字の話の解説はしていただけなかったことなど、いままでの状況をお話しました。

その電話を通じて、その住職のお義父さんに山城屋酒蔵の数字面をサポートしていただけることになりました。あの時、どうしていいか分からずにお寺にいったことがきっかけで新しい税理士さんが見つかることになりました。「困ったときの神頼み」ではないですが、本当に神様、仏様はいるんだ…と思った瞬間でした。

とはいえ、普通の主婦がいきなり酒蔵社長になってまだ1ヶ月目。まだまだ大変な事件ばかりが続きます。その他の事件はこちらから。

女性が気軽に日本酒を飲むきっかけをつくりたい!と、 山口テロワールを大事に田植えから酒造りをしています。

山口の豊かな自然の中で育んだ米と水をつかい、山口県産にこだわった日本酒を造っています。山城屋のお酒があなたの笑顔のきっかけになりますように。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?