見出し画像

〜自己紹介〜

初めまして、まさやんと申します。
初投稿ということで、先ずは自己紹介から。

1.基本情報

・年齢 26歳
・出身地 東京 (日本とフィリピンのハーフ)
・職業 自動車整備士→事務職→食品ルート配送(今に至る)
・趣味 ドライブ カメラ ラーメン巡り 音楽を聴く(主に古い曲)筋トレ
・好きなアーティスト 小田和正 ZARD  Galileo Galilei 等
・クリスチャン2世

2.生い立ち〜小学生時代

東京の北区に生まれ育ちました。父、母(フィリピン人)、自分、妹の4人家族。
幼少期から小学生時代までは、母にフィリピン人が集まっている教会によく連れて行かれていたので、日本にいながら日本語が全然理解出来ず(かと言ってフィリピン語や英語も分からない...)結局周りの人達の話について行けず、学校生活はほぼ孤立状態。三者面談時、先生にまでコミュニケーションが出来ていないと言われる始末。

3.中学生時代

それが中学時代にも続いて精神的に悪化しネガティブ思考に陥りました。そしてさらに追い打ちをかけるがの如く、父親から『お前は何も出来ない』『だから何をやっても出来ないんだよ』等否定的な言葉を言われ続け、自分の精神状態が限界に達しました。それ以降『死にたい』、『生きてる価値がない』等と自分に対して攻め続けていました。あからさまに顔に出る程酷い状態でした。学校生活ではそれなりにいろんな人と話していましたが、仲の良い友達とまでは行かず、遊びにも誘われずほとんど孤独でした。当時、小田和正の曲を聞いていて、『ひとりで生きてゆければ』という曲があるのですが、かなり胸が詰まりました。

4.高校生時代

そして高校時代も変わらずネガティブ思考。クラス内のある人から心開いていないよねと言われました。中学時代よりも高校時代の方がほぼ孤立していたかも。その頃は自転車通勤で帰り道時々泣いてる日もありました。
成績に関しては、暗記力が優れていたため良好。常に学年では10位以内に入っていました。そこは嬉しい気持ちになると思うのですが、そこでもネガティブ思考が発動し、『どんなに成績が良くても人とのコミュニケーションは出来てないから意味がない』と頭のなかで思い、中々心は満たされませんでした。つまり感情が死んでいました。
一応クリスチャンでしたが、そのような不満や怒りをとにかく神様にぶつけていました。『何のために生まれてきたんだ』、『自殺したら地獄に行くんだろ』、『生きてるだけで迷惑かけてしまうんだから俺を殺してくれ』『失敗作なんだから消してくれよ』...などとぶつけていました。
結局その思いを抱いたまま、高校卒業を迎えました。友達も1~2人と数える程度でした。

5.専門学生時代

自動車整備の専門学校に入学しました。入学したての頃、今までは友達が出来なかったが、ここでは出来たらいいなと、淡い期待を抱いていました。しかし結局出来ませんでした...いや一人ぐらいはいました。友達に関してもう少し話を引っ張りますが、1年生の時は誰一人おらず、学校の行事でモーターショーの見学会の時では、一人で歩き回りました。そして解散になっても自分以外は各々再度集まって、ご飯食べに行こう、どこか遊びに行こうなどと言って出掛けていきました。
ちなみに自分は一人寂しく帰りました。さすがにこたえたのか電車内で一人涙が止まりませんでした。

2年生時は就活期に入り成績が良かったので、開発メーカーの推薦を狙えましたが、当時付き合っていた彼女に相談したら、離れるのは嫌とやんわり言われ、断念しました。
そうゆう訳で、首都圏を中心に探し企業見学や説明会など色々と、足を運びました。しかしその半ば、いつものネガティブ思考が発動し『ちゃんと企業から内定をいただけるのか』『奨学金を借りたから働いてちゃんと返せるのか』と大半はお金の事ばかり考えてしまうなど、そのような不安に陥りました。その後、ずっと不安を抱えたまま、ある時電車内で過呼吸を起こしました。辛うじて家までたどり着きましたが、それでも中々治らず、救急車を呼んで病院に運んでもらい無事落ち着きました。
後日、過呼吸の後遺症なのか、手に痺れを覚えました。なかなか治らなかったので病院に行きましたが、身体的に問題はなく精神的に問題があるんじゃないかと診断されました。それを聞いて分かったのか、手の痺れが治りました。あの時の不安によって引き起こしたのだと知りました。
ちなみに肝心な就活ですが、最終的には大型トラックのディーラーに内定を貰いました。

6.社会人時代(1)

トラックのディーラーに入社して一ヶ月間は本社にて研修を行いました。
その後、各支店に配属されるのですが、日曜日は教会に通っていたので、日曜日休みの支店を希望した結果、実家から約1時間半の場所に配属されました。
トラックの整備なので、肉体労働が激しい上に残業が多く疲労感が半端なかったです。自分だけ電車通勤で終電前までに上がらしてもらっていましたが、他の人は終わるまで帰れませんでした。聞いたところ、ある時は朝方の4時まで働いていたそうです。その上、次の日も出勤です。月の残業平均時間が100時間以上とかなり過酷な職場でした。
そして人間関係ですが、ほとんどの人が体育会系の人でした。自分はその人たちとは正反対なので中々馴染めず、とりあえず当たり障りのない対応をして過ごしました。
しかし、先輩や上司の癇に障らないように常に気を張っていたり、残業続きによる疲労や睡眠不足の結果、体にガタがきました。と言ってもかなり酷い訳ではないのですが、頭がぼーっとしたり、ミスを連発したり...一番辛かった時は、尿失禁になった時でした。朝起きるたびにパンツやズボンが濡れていたり、仕事中もかなりの頻度で尿意が訪れたりと、業務に支障が出たりして大変でした。
もちろんこの事は誰にも言えるわけもなく、一人抱え込んだまま辛い日々を送っていました。

7.社会人時代(2)

心身共にやられている中、いつものように教会へ足を運びました。礼拝や説教を聞いても、その時は心が癒されても、次の日はネガティブになり落ち込んでいました。
小さい頃から教会に行き、今に至るまで何も変わっていない...そう思っている時、教会先の牧師夫妻から今度、聖会という大規模な集会で礼拝や賛美歌に御言葉を聞いたりする行事があるので、参加してみないかと誘われました。ちょうど予定が空いていたのでとりあえず参加しました。
実際、聖会に参加してみて考え方が変わりました。話すと長くなるので簡単に言うと、ネガティブな思考からポジティブな思考へと変わりました。人生変わったって言うほど、大袈裟ではないですが、気づきを得ました。
考え方が変わったことで、私の人生は少しずつ良い方向へと変わって行きました。人と話すのが苦手だったのが、話せるようになったり(むしろ話したい)、周りから明るくなったね、雰囲気ものすごく変わったよと言われるようになったりしました。そう言われた時はめちゃくちゃ嬉しかったです。そしてそこから神様をより求めていこうと思うようになりました。

8.社会人時代(3)

聖会が終わってから一年程経ち、トラックディーラーを退職しました。理由は色々ありますが、一番はいろんな人と出会ってみて話してみたかったからです。要するに自分の視野を広げたくて整備士の仕事を辞めました。その仕事でも出来たはずなんじゃないかと思うかもしれませんが、前述のとおり、残業が多く自分の時間が全くありませんでした。そのため自分の時間を確保するために、思いきって辞めました。あまり何も考えずに辞めてしまったので、とりあえず無収入のままは良くないと思い、短期間の契約社員として事務職にて働きました。そこで働きながら、次の仕事を探しました。そして今の食品のルート配送のお仕事に転職しました。残業が全くなく社員を大切に扱ってくれる会社でしたので、そこに導いてくれた神様にめちゃくちゃ感謝しました。

9.まとめ

過去を振り返ると、色んなことがあったなと感じました。あの時の聖会の日によって変わり、今までマイナスの方へと進んでいたのが、プラスに進み始めました。特別大きく変わったことではないですが、少しずつ変わり始めております。(再びネガティブになったりする時もありますが)
自分の時間が増えたので、これからどうしたいのか、何をしたいかしっかりと自分と向き合い、色々チャレンジしていきたいと思います。
そしてnoteを活用し、たくさん言葉に触れて行きたいと思います。

※ちなみに自己紹介の記事を作成してから完成するまで、約8ヶ月ほどかかりました...笑。
完璧主義なところがありまして、きっちり書こうとするあまり、なかなか進まず、途中で挫折してしまいました。しかし、結果として完成したので、そこは褒めたいと思います。何せ、初めて記事を書いたのですから。これからは、気楽に書いていこうと心掛けます。


最後まで、読んでいただきありがとうございました!!

この記事が参加している募集

#自己紹介

233,142件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?