酒のすべてを詩に込めて

世界の文学 イラン <菅原 敏>

酒のすべてを詩に込めて

「詩人、詩人うるさいけど、ただのインクで手の汚れた無職の男じゃない」と言われ、「無職だけど無色じゃない、青いインクの魂を持った詩人だよ」と言うと、「無職と無色だなんて、ほんとに才能あんの?」と言われ、カチンときた俺は「なにい」とコーヒーカップを机に「たん」と置く。すると「雷に打たれて死んじゃえ!」と、俺のために作っていたイワシの梅煮をゴミ箱にぶちまけ、泣きながらビニール結んでゴミ捨て場まで駆けていった。「まず彼女に謝って、その後、七匹のイワシたちに謝ろう」。

もう10年も前のこと。詩の朗読と称しては酔っぱらって朝帰りばかりの俺と、ドアのチェーンをかけて入れてくれない恋人。そんな暮らしのなか、よく読んでいたのがアブー・ヌワースの『アラブ飲酒詩選』(岩波文庫)。8世紀~9世紀、アッバース朝イスラム帝国の最盛期に活躍したアブーは「酒の詩人」として今もアラブ世界で多くの人に愛されている。

『人生は酔ってまた酔うだけのこと。酔いが長ければ、憂き世は短くなるだろう』飲酒を禁じるイスラムの下で、その背徳的な毎夜の出来事を赤裸々に描いた数々の詩は大胆で自由、ユーモアにあふれ、歴史的な背景など知らなかった俺の心にもまっすぐ飛び込んできた。「何世紀経っても、人はみんな一緒なんだね」アッバース朝イスラム帝国という遥か昔の世界から、2003年の井の頭一丁目まで。その長い歳月を二日酔いの頭でぼんやりと考えていたあの頃。彼の詩を読むと、毎日を夏休みのように過ごしていた自分の若さと、いまでは年をとったであろうあの人を、思い出さずにいられない。

「若さは無知の言いなりで、笑ったりふざけたりするのが得意だ。/私は若さを着物のようにまとい、足音も高らかに闊歩したものだ。/若さは娘との仲をとりもち、目的を遂げさせてくれた。/今、私は歩みが遅くなり、若気の荷を背から下ろした。/それでも私は盃が好きだ、たとえ財産をつぶし、評判を落とすことになっても。/黄色い酒、ペルシャ人の長達が称えた、どこにも比類のないもの。/君の兄弟を許してやってくれ。彼は非難を聞きあきた男なのだ」アラブ飲酒詩選「若さ」より一部抜粋。

(すがわら・びん=詩人)

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以前、東京新聞に寄稿したエッセイに修正加筆しました。

ウイークリーで更新していきますので、お付き合いのほどよろしくお願いします。

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