青森へのUターンは、紙媒体中心だった仕事とワンオペ育児をどう変えた?――編集者/ライター 栗本千尋さん
フリーランスで働きながら妊娠・出産・育児に向き合っている方への、不定期インタビュー連載。第4回は、編集者/ライターの栗本千尋さんです。
ライフスタイル系の雑誌・Webで活躍している栗本さん。仕事のかたわら、6歳と4歳の兄弟を育てています。「紙媒体をつくる最前線は東京」というイメージがあるなかで、2020年夏に地元の青森県八戸市へUターン。それまで担当していた案件も続けつつ、八戸中心商店街のWebメディア『はちまち』を手がけるなど、理想的な仕事の広げ方をされている印象です。
そんな栗本さんとわたし、今年35歳で同い年。フリーランスライター業界のなかでは気持ち早めの妊娠出産を乗り越えて、仕事も手放さず、しかもUターンまでやってのけた裏側を聞きたくて、取材をオファーしました。
海外出張も多い「遠洋漁業スタイル」から、妊娠へ
――まずは20代、栗本さんがどんなふうに働いていたかを聞きたいです。
旅行系の専門学校を出て、最初は東京の旅行会社に就職したんです。社内恋愛で結婚・離婚をしたあと、いったん地元の八戸に帰りました。そのうちエッセイストやコラムニストに憧れるようになり、バイトでお金を貯めて、23歳でふたたび上京。おもに紙媒体を扱う編集プロダクションに入りました。2ヶ月くらいで自分が一冊まるごと責任編集をするような会社だったため、短い期間でもぎゅっと修行ができたと思います。
――しょっぱなから人生が爆速ですね。
(笑)。25歳くらいからは、フリーでお仕事を受けるようになりました。旅行雑誌の「ことりっぷ」をやったり、ムック「ハワイ本」の他国版を立ち上げたり、旅行本が多かったですね。働き方は、2週間くらい海外取材に行って、帰国したら3週間で本を仕上げて……という遠洋漁業みたいなスタイル。並行して少しずつマガジンハウス系の雑誌のお仕事をいただけるようになり、忙しいけど充実していました。そんななか、同じ八戸市出身の夫と結婚したのが28歳のとき。入籍する少し前に、妊娠も発覚しました。
――それだけ仕事が充実していて、しかも遠洋漁業スタイルという状況で、妊娠に踏み切れるのがすごい……!
いやー、夫がUターン願望を持っていたこともあって、結婚にも妊娠にも躊躇はありましたよ(笑)。でも「いつかはどっちもするだろうな」って漠然と思っていたから、あまり深く悩むことはなかったです。授かったときがタイミングだと思ってた。だから、妊娠がわかったときは「このタイミングで授かる運命なんだ……!」みたいな感じ。きっといまの若い世代は、もっと計画的に考えている人が多いですよね。でも、めっちゃ計画してたら、きっとあのタイミングでは踏み切れなかったと思います。
――それ、めっちゃわかる……! 私も第一子のときは、ある程度の状況を整えたらあとは見切り発車でした。「いまなら完璧に大丈夫!」みたいなタイミングなんて、私には一生来ないと思ったから。でも、いざ妊娠して、不安はなかったですか?
出産せずにバリバリ働く先輩方がたくさんいるなかで、ただでさえ小間使いの私なんて、仕事がなくなるかもしれないとは思いました。やっと憧れの雑誌を担当できるようにもなってきたなかで、寂しかったけど……その一方で、ちょっと落ち着いたらまた海外取材だって行けるかもしれない、みたいな漠然とした希望もあって。それこそいずれ地元に帰れば、親に子どもを預けて仕事ができるかも、って思ったんですよね。
栗本さんが関わったさまざまな雑誌
復帰後はまず、顔をつなぐ程度に仕事を
――とはいっても、第一子の妊娠中は東京でご夫婦二人住まい。お仕事はできていましたか?
つわりが結構きつかったので、お台場あたりに取材で行くのもちょっとつらい、みたいな感じでした。でも、以前つくった旅行ムックの改訂版を編集執筆するとか、出張以外の仕事は変わらずやれていましたね。生活もギリギリなんとかなっていたし、自分の身体とお腹の子どもを守ることを優先しつつ働いていました。
――産後はどうでした?
一人目のときは、産後3ヶ月くらいでデスクワークに復帰しました。なんとなくゆっくりするモードだったんだけど、先輩が「栗本さん、そろそろ働けるかなぁ」って声をかけてくれて「私、必要としてもらえるんだ」ってうれしかったのを覚えてます。1歳半までは家で子どもを見ながら試行錯誤しつつ、顔をつなぐ程度の仕事をこなしていました。
――ありがたい先輩ですね。栗本さん自身は、仕事を途切れさせないために何か工夫していましたか?
復帰したときには、いろんな編集部にご挨拶に行きましたね。ただ、レギュラー仕事をしている人は産んでる間に代わりの方が入っちゃうかもしれないけれど、私みたいにスポット中心なら案外大丈夫なんですよ。そもそものご依頼が3ヶ月に一回くらいのスパンだと、出産前後の一回を「スケジュールが合わなくて」って休むだけで、次からは復帰できちゃう。クライアントからは、たいして休んでいるように見えないというか……。
――わかります。自分が半年休んでたって、ときどきご一緒するくらいのクライアントからしたら一瞬なんですよね。「臨月で」とか言うとしばらく気を遣われちゃうけど、「別件で」と言っておけばすぐに次のオファーがいただけたりもするし。
うんうん。だから、そこはあんまり気にしなくていいと思いましたね。
――第二子を授かったのは、どんなタイミングだったんですか?
長男を1歳半で保育園に入れて「よし、またフルで働けるようになってきたぞ~!」の矢先です(笑)。入園後半年でまた妊娠。そのときはさすがに「まじか……! もう一回あれやるのか……」と思いました。でも、いまとなっては2歳半差でまとめて産んじゃってよかった気もしますね。復帰して仕事がもっと軌道に乗ってたら、またそれを手放すのがすごくイヤだと思っちゃう気がするから。それまでお仕事していた雑誌のWebサイトができるタイミングで、家でこなせる細々とした仕事をもらえたのもありがたかったです。
核家族育児も限界。Uターンの準備を進める
――その後しばらく東京で働いて、2020年夏にUターン。このあたりの経緯もとても気になります。
上の子が小学校に上がる前には帰ろうと思っていたんです。時期を2020年夏に決めたのは、その2年くらい前。30歳のときですね。それまでの仕事は紙媒体がメインだったから、少しずつ勉強して、Webコンテンツの比率を高めていきました。Uターン後も1~2ヶ月に一回は出稼ぎに来て紙の仕事をやるつもりではあったんだけど、量は減るだろうし、現場に行かなくてもできる仕事を増やさなきゃ、と思って。
――でも、それまで10年近く積み上げてきた実績もあるし、私なら紙媒体の現場に未練を持っちゃいそうです。
持ってましたよ~。それこそ帰る直前なんかセンチメンタルにもなってるし、酔っぱらって「私にはもう仕事来ないですから!」っていじけたりして(笑)。
――それでも初志貫徹でUターンを決めたのは、なぜですか?
夫が飲食業だったから朝の一瞬以外は毎日ワンオペで、子育てと仕事の両立が本当にきつかったんです。狭い2DKの部屋に洗濯物が山積みで、2人の子どもがお菓子をこぼしながら走りまわり、そのなかでなんとか仕事をして……という毎日に、すごくイライラしてしまっていました。なのに、子どもにダイレクトに影響を与える位置にいるのは、自分一人。私だけの価値観で子育てせざるを得ないことに、すごく恐怖がありました。近くに頼れる家族もいないし、自転車で保育園のお迎えに向かいながら「もしもいま私が交通事故に遭ったら、誰が子どもたちを守るんだろう」なんて、毎日思ってた。だから、Uターンしてほかの家族と一緒に住めば、子どもがもっといろんな大人にふれあえると考えたんです。
――子育ての環境をよくするために、Uターンを取った。
でも、子育てのためだけじゃなくて、結局それが自分の仕事のためにもなると思ったんですよ。子育ての比重やプレッシャーを減らせば、逆に仕事がしやすくなるかもって。
Uターン後、近所のおばあちゃんとふれあう子どもたち
青森でも仕事は上々。子育ては感覚の変化が……
――実際にUターンして1年。生活はいかがですか?
義実家と同居してるんですが、帰ってきてすぐはすごくしんどかったですね。生活のタイミングを人と合わせるとか、家事のちょっとしたルールが面倒だったり……しなきゃいけないことが増えて、お互いの生活が侵食されていく感じがありました。そのうえ自分だけが血のつながらない家族だし、東京にいたときは子育てを一人で担っていたけど、いまの私はもう要らない存在じゃん、なんて思ったりして。
でもちょうどそのころ、一ヶ月くらい東京に出張する機会があったんです。それで、つらさがリセットされた。仕事を終えてふたたび八戸に戻ったら「自分は掃除していないのに、こんなにきれいな部屋に住めるのありがたいな」「ごはんを用意してもらえるの本当にありがたい」とかって思えるようになりました。
――環境を変えたことで、持ち直せてよかった……! お仕事のほうはいかがでしょう。
あいかわらずマガジンハウス系の雑誌やWebサイトの編集執筆をやりつつ、スポットでWebコンテンツをつくっています。『Hanako』ではレギュラーで進行管理をお受けしている企画があるんですが、以前は毎月、編集部に行かないとできない作業があったんです。でも、コロナ禍でぐっとリモート化が進み、パソコンから対応できるようになりました。講談社の『FRaU』も、アナログでチェックしないといけない色校(ページの試し刷り)は郵送してくださるので、早めに進めていれば青森からの作業でも問題ありません。紙媒体の仕事って、昔は絶対に現場に行かなきゃいけなかったじゃないですか。でもいまは少しずつデジタル化も進んでいるし、現場対応以外のタスクを切り分けて発注してくださる方もたくさんいて、本当にありがたいです。
――なかなかコロナも収束しないなか、リモートで済む仕事が意外とあるのは、安心ですね。
出張すると、東京での滞在費も負担になっちゃいますからね。こないだは雑誌の仕事をぎゅっとまとめて1ヶ月くらい東京にいたんですが、結局ホテル代や食事代でギャラの約3割が消えちゃった。子どもとしばらく会えなくなったり、八戸に戻ってから自分と家族が2週間隔離したりすることを考えると、なるべく八戸にいたまま働いたほうがいいなと思いました。それに、東京にいればふつうのライターだった私が、八戸ではもう「おらが村の祭り」状態で、わりと重宝してもらえるんです(笑)。おかげで、八戸中心商店街のWebメディア『はちまち』に携わり、編集長もやらせていただくことになりました。
――そうやって地元でも仕事を広げていくの、本当に理想的だなって思います。Uターンして働き方が変わり、なにか気づいたことってありましたか?
なんというか、世のお父さんの気持ちがちょっとだけわかるようになりました……。夫は地元で飲食店を開く予定だったんですが、コロナで思うようにいかず、いまはいったん私の仕事を手伝ってくれているんです。で、家のことも夫がメインでしてくれていて。そうなると私のほうが、本当に何気なく「なんか手伝うことある?」とか言っちゃうんですよ(笑)。
――「なんで『手伝う』って感覚なんだよ! お前の仕事でもあるだろうが!」って、世間でよく言われるアレですね(笑)。
そう(笑)。「自分の仕事じゃない」みたいな感覚って、性別じゃなくて担っている役割によって抱いてしまうものだったんですよね。育児のことも、東京にいたときはひとりですべて把握していたけど、いまは幼稚園の持ち物や学校行事すらよくわかってないんです。自分が最終責任者じゃないって、マジでめっちゃ楽なの! だから、世のお父さんたちがもしもこんなに楽なんだとしたら、お母さんたちはやってることが多すぎるよ! って改めて気づいた。もしいま子育てを背負いすぎて苦しくなってる人がいるなら、パートナーともう少し話し合ってみたらいいと思います。それで「予防接種はあなた、発表会の衣装は私ね」みたいにちょっとずつ責任を分担していけば、相手の意識が変わるはず。私自身も東京でしんどかったとき、夫と話し合って工夫できたことが、きっともっとあったんだろうな……。
――渦中にいるときは、なかなかそうも思えませんよね。でも、役割や住む場所が変わったりして、新たな景色が見えてくるのは何にせよいい経験だろうなって感じました。最後に、近ごろ子育てで悩んでいることありますか?
ないです。もう一人産んでもいいなぁって思ってるくらい。大変な時期が凝縮して過ぎていったから、いまはそこまでやることないんですよ。上の子が手を離れたときは「下の子も早くそうなれ~」って思ったけど、いざ「お母さん、お母さん」みたいな感じじゃなくなってきたいまは「また赤子を世話したい!」って気持ちになってます(笑)。本当に、東京にいるときはこんな気持ちになるなんて考えられなかったですね。
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