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“15 YEARS AFTER”の35年後。

 昨日、6月9日は色々な出来事があった日だと思いますが、1988年の6月9日(ロックの日)は汐留PITで、はちみつぱいのラストライヴが行われた日というのが印象に残っております。
印象に残っているとはいうものの、35年前の出来事ですから、曖昧になってしまっている部分があったり、ライヴ映像や音源によって印象が変わってしまった部分があるはずです。
なもんで、今の私が覚えていることを書くしかないんですねー。
じゃ行ってみよー。

・はちみつぱい『9th June 1988 はちみつぱいLive』(SPFJ-002~6/SUPER FUJI)
・はちみつぱい“15 YEARS AFTER” at 汐留PIT チケットの半券

 このチケットの席は真ん中のブロックの4列目だったはずです。
これはディスクガレージの優先予約ではなく、確かぴあカードを作る前に暫定的に使用できる「即ぴあカード」で予約したはずです。
平日の午前10時からで、割とすぐに繋がりましたね。
この「即ぴあカード」自体が汐留PITでのライヴを予約するためにぴあが作ったような記憶があるんですよ。違ったらすみません。。

 あがた森魚さんがゲスト出演することはチケット発売前に知っていました。
あがたさんがライヴで配布する「永遠の遠国ニュース」というフリーペーパー兼ファンクラブ会報にあがたさん出演と、更に頭脳警察の出演についても触れていたんですね。
結局はPANTAさんとTOSHIさんの意向で実現はしなかったのですが、鈴木慶一さんにこの時点では頭脳警察を再活動することを教えていなかったのに出演のオファーがあったことに驚いたと記憶してます。

 あの日、はちみつぱいと縁深い斉藤哲夫さんと、高田渡さんがゲスト出演することになったのです。
斉藤哲夫さんと長らく活動を共にしていた白井良明さんが出演したのもビッグプレゼントでした。
確かムーンライダーズ・オフィスからのインフォメーションにゲスト斉藤哲夫(良明)と書いてあったことで出演を知ったはずです。

 4月、TAKE OFF 7にポータブル・ロックと美尾洋乃さんのライヴがあった時に鈴木慶一さんがいらしたので、図々しくも話かけています。
あの時、一緒にいたのが高野寛さんだったという。

 ライヴ当日は木曜日で少し蒸し暑い日でした。
少し早めに会場に到着した私は会場から漏れる音を聴いていたのですが、変な臭いがする煙草(?)の煙が漂っていて、不思議なテンションの方々がそちらにいたような。。曖昧になってますが。

 開場すぐに入ってみると、後の方の席に不機嫌そうな和久井光司さんにいた記憶があります。
ステージではハイテンションだった和久井さんですが、オフステージでは不機嫌な印象が強かったので話しかけなかった私でした。うーん、正解。

 座席はパイプ椅子でその上にはチラシが上がってました(当時はフライヤーとは呼んでなかった)。
その中にはソリッド・レコードから発売されたばかりの『はちみつぱい・セカンド・アルバム・イン・コンサート』のチラシもありました。
確かアルバムのライナーと内容は重複していたけど、読みやすいデザインだったので大事にしていましたね。引っ越しの際失くしてしまいましたが。。

 蒸し暑い天気でしかもテントの中だったからなのか、エアコンの音がやけに大きかったなと覚えています。
ライヴについてはCDを聴いていただきたいので、内容については極力触れません。

 斉藤哲夫さんと一緒に出た白井良明さんのキャップとロングヘアー姿のインパクトが強かったのと、ヴォイス・トレーニングをしたから声がよく出るというMCをよく覚えています。

 アンコールには山本浩美さんが登場して「月夜のドライブ」が。
やっぱりこれが一番感動しましたね。

 ライヴ会場から帰ろうとしたら、ほんの近くに松尾清憲さんの姿が。
あまりにも人が多くて話しかけることができなかった私です。

 会場を出たら物販用のテントがあって、そこではちみつぱい『はちみつぱい・セカンド・アルバム』を買って帰りました。
だいたいこんな感じですね。

 この日のライヴはこれまで私が観たライヴの中で5本の指に入る内容でした。
まー、そんなところです。

 ではまたー。

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