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泉谷しげるearly daysの巻その7。

・泉谷しげる「わが奔走」(ロッキング・オン)

 泉谷しげるさんはフォーライフを離れたことによって、色々なチャレンジをするようになっていたのがこの時期だったわけです。
俳優としての代表作に挙げる人も多い「誘拐」に出演するきっかけは、向田邦子さんが「歌は聴いたことなかったけど、前にテレビに出た時の顔つきがよかった」ということで推薦してくれたからでした。
結果として、推薦した向田邦子さんが「泉谷しげるはあれ一発で死んだ方がよかった」という言葉を残しました。
あまりにも役に入り込んでしまって、「誘拐」放送後に山口百恵さんと対談した時は、山口百恵さんが怖がって対談にならなかったとのことです。

 俳優以外にも雑誌「野生時代」(角川書店)の表紙を一年間担当したり、マンガ雑誌「ガロ」で作品を発表する他にも個展を開いています。

 アルバム『都会のランナー』はそんな時期に発売された作品なのです。
まず出来上がったのが「旅から帰る男たち」、「褐色のセールスマン」、「俺の女」でした。
この3曲が出来上がったものの他の曲がなかなかできなくて、泉谷さんには珍しく、コード進行だけを決めて演奏を先に録音してもらい、そこに歌詞を乗せる方法を採用しました。
「ハーレム・バレンタインデイ」や「揺らぐ街」、「王の闇」はそうして出来上がった作品でした。
この方法を採用できたのは当時のバンド・メンバーが色々な面で討論できたからと泉谷さんは振り返っています。

ちなみに「ハーレム・バレンタインデイ」が泉谷さん自身が監督して、映画化されたのは1982年のことでした。

・連野城太郎「GOTTA!忌野清志郎」(角川文庫)

 RCサクセションは1979年7月に久々のシングル「ステップ!」を発売しますが、当時の事務所の制作担当者の意向で、スタジオ・ミュージシャンを使った演奏になってしまい、この曲に参加したメンバーは忌野清志郎さんだけでした。。
ですが、この時期から色々なバンドが出るイベントにも出演したり、テレビやラジオにも積極的な姿勢を取ることになっています。

 勿論、その時期の渋谷屋根裏でのライヴには多くの観客が駆けつけていて、評判になっていました。
そんな中、立ち上げられたのが「シングル・マン再発委員会」だったのです。
昔からのRCファンの音楽評論家の吉見佑子さんが、「ステップ!」だけではRCの魅力は伝わらない!LPを出すべきだと主張したのですが、キティ・サイドは乗り気でしたが、当時の事務所はまだ時期尚早という判断を下したのでした。

 そこで吉見さんは『シングル・マン』の存在を思い出したのですが、既にこの時点で廃盤になってしまっていたのです。
それでも諦めずに発売元であるポリドールに限定枚数でもかまわないから自主制作という形で再発できないか問い合わせた結果、RCが所属していたキティ・レコードのスタッフの強力なサポートもあり、まずは自主制作という形で青山のパイドパイパーハウス、国立のレコード・プラント、池袋西武のアール・ビ・バンのみで限定的にですが再発されました。
当時、中学生だった私はオリコン・ウィークリーでこのことを知った記憶があります。

 『シングル・マン』は完売~再プレスの後、1980年8月にポリドールから正式な形で再発されます。その時、帯の惹句には「幻のアルバム、皆様のおかげでいよいよ再発売。こんな素晴らしいレコードを廃盤にしていて申し訳ありません。」というものでした。

・石原信一「吉田拓郎挽歌を撃て」(八曜社)

 吉田拓郎さんは1979年の年末に「昔のようにミュージシャン同志が気軽に集まって、コンサートって出来ないものかね」と、西岡たかしさんがゲスト出演した「セイ・ヤング」でふともらした言葉をきっかけにして、拓郎さん、西岡さんに小室等さんという顔ぶれでイベント「10年目のギター」が開催されました。
その後、大晦日に日本青年館で秋のツアーの追加公演で拓郎さんの1979年は終わったのです。

・泉谷しげる 加奈崎芳太郎「ぼくの好きなキヨシロー」(WAVE出版)

 1979年11月には古井戸が正式に解散し、そのコンサートのライヴ盤『ラストステージ』が翌月、12月21日に発売されました。
この日から35年後の2015年9月6日まで古井戸としてのライヴはなかったことを強調しておきます。

 1970年代後半にはロック御三家(原田真二さん、Charさんにツイスト)やゴダイゴがロックをより日常的なものにし、YMOのブレイクはファッション的な意味も含めて、小、中学生が音楽に期待を持たせた時期だと分析しています。
勿論、彼らが突然変異の存在ではなく、色々なミュージシャンやアーティストたちから継承した部分も重要だと思います。

・オフコース・ファミリー「はじめの一歩」(サンリオ)

 1979年のオフコースはそれまでライヴ、レコーディングに参加していた元バッド・ボーイズの清水仁さん、元ジャネットの松尾一彦さんと大間ジローさんが正式メンバーとなり、アルバム『Three and Two』やシングル「さよなら」が大ヒットし、ビッグ・アーティストの仲間入りをした年であります。
  
 当初は泉谷しげるさんと忌野清志郎さんに仲井戸麗市さんの関係を中心に書いていくつもりでしたが、吉田拓郎さんの新作に小田和正さんが参加したり、加藤和彦さんについて触れるうちに長くなってしまいました。
内容をもう少し整理したい気持ちがありますので、気がついた部分は直していく予定です。

 明日は参考にした雑誌や書籍について説明しますね。それでとりあえず一区切りです。

 ではまたー。


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