見出し画像

消費されていると感じる日々

 2023年の半分が終わる。
毎日なんとなーく、出勤して、目の前にあるべきタスクをこなし、そこそこ残業をして、ほどほどの疲れで帰宅。
休みには都心まで足を伸ばし、美術館や映画の娯楽のためにチケットを買い、美味しいものを食べて、帰る。そしてまた今日という日がやってくる。

 合間合間に、「今日は仕事でこんなミスをしちゃったな」とか「同僚の○○さんへの接し方、間違えちゃったな」とか、罪悪感に襲われて気分は晴れない。だけど、いつも一緒にいてくれるパートナーや、親友、家族、頼れる職場の人だっている。「なんだかな~」と思ってしまうことが、贅沢であることは十分分かっている。

 きっと、何か得られるものが欲しいのだと思う。仕事の日も、休みの日もお金や時間を消費してばっかり、で何も生産できていない、手に入れられていない、達成できていない、という自己評価の低さが、「なんだかな~」という感情につながるのか。私が羨ましい眼差しを向けているあの人もきっと、誰にそんな眼差しを向けているのだと思う。

 忙しい中でも、資格をとったぞ!とか、何かに夢中になったとか、ここ最近の生活に「タイトル」をつけられる生活を送りたい。ここ最近は話題や、溢れる情報が多いからこそ、いろんなものに手を出し、何となくの毎日を送っている。上期を振り返ったときのタイトルとしたら「消費される上半期」となってしまいそうだ。

 ただ、日々に消費されて過ぎていく毎日。よく、占いで目にする「行動することがカギ!」というフレーズ。ただ、行動するんではなくて、目的をもたないと意味はないよ、という言葉の裏に隠れたメッセージがきっとある。抽象的でなく、具体的に語れる毎日を送りたい。そうなってやっと、自分のことを認めるための一歩前進、になると思う。
 

 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?