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【東大生note】やりたいことがわからない私とあなたとの約束。

いきなりですが、ふと「人生このままでいいんだろうか」という疑問を持たれた経験はありませんか?

まさに今、私はその状況に直面しています。


私は今東大3年生で、「一応」就活中です。

一応と言ったのは、とりあえず第一志望の企業には内定をいただけたからです。

私が第一志望にしていたのは就活生からはあまり人気のない業界の企業で、正直東大生というだけでかなり優遇され、トントン拍子で内定をいただくことができました。

しかし、ここにきて、「本当に自分の望む働き方はどういうものなのか」「自分は結局何がしたいのか」「どのくらいの給料をもらえたら満足なのか」...

などなど、今まで後回しにしてきた自分への「問い」がまたふつふつと湧き上がってきてしまったのです。



ここで、少し私自身のお話をさせてください。

私は宮城県のとある田舎町で生まれ育ちました。

人口4万人ちょっと、最寄り駅まで車で15分、周囲はバイパス道路以外はほとんど畑という典型的な田舎町でした。

地域の幼稚園に入り、学区内の公立小学校に入学。

授業はそこそこに、ひたすら外で走り回るやんちゃ坊主でした。

小学校6年間をつつがなく過ごし、そのまま地域の中学校に入学しようかという、その時。


2011年3月11日。東日本大震災により、私の人生は一変することになります。


マグニチュード9.0、観測史上最大の大地震により、海沿いにあった地元は津波が直撃。実家は水没し、小学校の卒業式も中止となりました。

そこで目の当たりにした情報インフラの寸断と、そこに生きてきた人々の命を容赦なく奪っていく津波。

カーラジオから響いてきた「川から100人以上の遺体発見」というアナウンス、支援の手が回らず疲弊していく避難所の人々、そして福島原発の爆発。

この世界はきっと安全だと信じ込んでいた当時12歳の私にとっては、身に起こる全てが信じられず、悪い夢のように感じられました。

私の友人も、家がなくなったり、家族を失ったりする人がたくさんいて、中には津波で流され、庭の木に引っかかっていたご遺体を目撃した人もいました。


そんな中、1ヶ月ほど遅れて中学校生活が始まりました。

当時、勉強どころか家も制服もない人がたくさんいて、教員は生徒の心のケアに追われているようでした。

教室はなんとなく今までとは違う微妙な雰囲気に包まれ、言葉には出さずとも、それぞれが一変した生活の中でなんとか日々を過ごしているように見えました。


そうこうするうちに月日は流れ、あっという間に受験生となりました。

当時の私は地元どうしでの馴れ合いのような付き合いに嫌気がさしており、自分の中学では誰も行けないくらい偏差値の高い高校に行ってやろうと思っていました。

勉強している間はくだらない日常のことに目を向けなくてよかったし、成長している実感も得られた。私としては逆に居心地が良かったのです。

さらに、私には兄がいるのですが、兄は私の第一志望としていた高校の卒業生で、兄の友人で東大に入った優秀な先輩とも親しくしていました。

その影響もあって、私は第一志望の高校に入学し、東大に入学することを目標として定めたのです。


第一志望への憧れと、東大への憧れ。当時の私には、これだけで十分でした。

私はずっと「何者かになりたい」と思っていて、勉強して高い偏差値の学校に行くことはそれを実現するための最も手っ取り早い方法だと思っていました。

私は鬼のように勉強し、無事第一志望合格を果たしました。


高校に入学しても「何者かになる」ため、ひたすら勉強に励みました。

平日は学校に残って下校時刻まで勉強し、休日も趣味のバンド活動以外はほとんどを勉強に充てていました。

当時の自分は、東大に入ることが自分の実力を周囲に認めさせる唯一の手段だと信じて疑わなかったのです。

結局、現役時は僅差で東大に落ち、浪人してなんとか東大に合格することができました。(浪人時の話については以下でまとめてあります)


入学後も浮かれてばかりいれらず、進振り(これについても以下でまとめています)のために点数を取らなくてはならず、あっという間に時は過ぎて行きました。


そんなこんなしているうちに就活を迎え、自分にとってワクワクすること、やりたいと思うことに時間をかけることなく、ここまできてしまったわけです。


正直なところ、私は「東大に入ったら人生安泰だ」と思っていました。それほど入学するのに苦労しましたし、そう信じたかっただけなのかもしれません。

しかし、ここにきて「東大に入っただけでは幸せになれない」ことを痛感しています。

大学までは「高偏差値=正義」という単純な図式を信じ込んでいたため、悩む余地はさほどありませんでした。

しかし、社会に出ればそれは全く通用しなくなります。

就職活動では、自分の適性や強み、やりたい業界・業種などに基づき、就職先を決定します。

学生の中には「高収入=正義」と捉え、年収の高い業界や企業ばかりに固執する人がいますが、誰もが羨む企業に入社できるのは厳しい競争を勝ち抜いたエリートだけです。

学生時代に「ガクチカ」を全く意識していなかった私は、1年生,2年生の時から本気で何かに打ち込んできた人には敵いません。

(実は、入学後に慢心して有名企業に全落ちする東大生は少なくありません)

そうなれば、高収入な一流企業への就職は遠のき、別な道、つまり「自分が本当に幸せに働ける企業」を本気で探すことになります。

ここで私は立ち止まってしまったのです。


私のやりたいことって何だろう?

私の強みって何?

そもそも何をすると喜びを感じるんだろう?

給料はいくらもらえれば幸せなんだろう?

東京にずっといたいのだろうか?それとも地方転勤もありなのか?


こういうことについて真面目に考えないまま過ごしてきたツケが回ってきた気がしました。

「大学に入ってから考えよう」などと、「自分について知ること」を後回しにしてきた代償を払わされることになったのです。


そして今も、その答えは出ていません。


正直、不安は募るばかりです。

自分が真に幸せに働ける会社に入社したいと思う一方、自分がどの程度で満足できるのかを知らないために年収で比較してしまう。

それが嫌になり、自己嫌悪に陥る。

これは悩んで解決するものではないとわかっていても、精神的にとてもこたえます。


社会の構造が根本から変わり、もはや終身雇用も崩壊しつつある今、特にサラリーマンの方は「自分の人生このままでいいんだろうか」と感じられている方が多いのではないかと思います。

私も全く同様です。

しかし、やはり問題は悩んでいるだけでは解決しません。

私も今、資格を取ったり、こうしてnoteで発信したりして、自分の強みを探ったり、今後の方向性についていろいろトライしようとしています。

ただ、どんなことも1人でするのは孤独です。人間はそれほど強くないし、もろい。

だから、これを読んでいるあなたと約束したいのです。


私たちは、顔は見えないけれど、noteを通してつながっている。

だから、私たちがnoteを見るときに、そこに書かれたアイデアや気づきを、あなたのエネルギーに変えてください。

そして、私たちが自らの進むべき方向を決めるためのコンパスとして、お互いが心の中にしまっておくことが大事だと思うのです。


結局、この世界は悩んでいるだけで解決することはありません。

悩んでも、苦しんでも、結局はどう考え、行動したかの結果によってしか、自分の未来を変えることはできないのです。

行動にきっかけはなんでもいい。noteに投稿してもいいし、資格を取ってもいい。いつもの散歩道からちょっと入ってみるだけでもいいのです。

私たちお互いが、望む未来の姿をイメージできるようになるために、お互いがゆるくつながりながら、それぞれのペースで行動する。


これが、私とあなたとの約束です。

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