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変わらない日常が変わらない幸せ。

  「自分だけは大丈夫なのは大丈夫じゃない」


誰だって「自分だけは」って思う。
「自分が引きこもり??」
「鬱病!?」
「ないない、そんなに繊細じゃないし」

そう思ってたのは過去の自分。
でもそれが急に壊れる瞬間があるんだ。
自分がいつ病気になるなんて誰にもわからない。
「まさか自分が!?」そう思ったよ。

何だかとても生きづらい世の中になったのか、自分が大人になって「世間」を気にするようになったからなのか。一度の失敗が「死」を意味するこの現代で、言葉の選び方、振る舞いが試される。

例えば有名な方が何か誤った発信をしたら、SNSの誹謗中傷で大変なことになる。きっと丁寧に謝罪と訂正をしても攻撃は止まらない。それは一般人の世界でも同じなんだろうな。

もしかしたら、これもどこの誰だかわからない人に、
中傷される可能性だってある。それでもここに残すことの意味はあるのかなって思いながらやってる。意味がないからやらないのはもったいないかな。

生きづらいのは大人の世界だけじゃなく、子供たちの世界も同じだ。学校という狭い世界のなかでしか「自分」を作れない子供にとっては、逃げ場の無い世界で生きて生きて、そして壊れて死んでいく。

あくまでもある組織(学校や会社)に属しているのを前提に話すが、逃げ出せば楽になるんだけど逃げ出せない。何でだと思いますか。自分は「何とか耐えて乗り越えよう」って思った。それがだめだったのかな。

世界が変わったところで、自分のマインドが変わらないと。でもそんなに簡単ではない。ちょっと面倒臭い性格で「励まされる」がすごい嫌いだ。まぁそれが原因で変わってしまったのかな。

いじめや失敗、ストレスや未来への絶望。自分が壊れる原因は様々で、最悪の場合「死ぬ」ことを選んでしまう。死にたい人ってこういう風に生まれていくのかな。どうやったら止まるのかな。止める力なんて自分には無い。

死にたい人の気持ちなんてわからなかったよ。でも今なら少しは理解できる気がする。自分はそこまでの精神状態まで行ったわけでは無いが、その気持ちが何かわかる気がする。気がする程度でわかったような顔はよくないな。

もちろん自ら命を絶つことを、肯定も否定もしないし、した人を非難することもしない。それがその人が選んだ人生なら。もしかしたら「助けて」っていうシグナルはあったのかもしれないけど。

人の痛みに寄り添うって簡単なことじゃない。じゃあ自分の代わりに苦しんでくれるのか?っていうとそうではない。そんな事できないことくらいわかってるよ。自分もできない。言葉をかけるだけ。

「死ぬ勇気があればどうにでもなる」


この言葉に意味はあるのだろうか。他人の生き死にに興味のない人の無責任な言葉なんじゃないか。死ぬ勇気があるんじゃないんだよ。もしかしたら、
生きていく勇気が持てないだけなのかな。

自分は死にたい人の気持ちを少しは理解しつつも、実際に死ぬ勇気はない。
殻に閉じこもって「無」でいたい。誰にも誰とも・・・人と関わらないで生きていけたらどんなに楽か。そんな人生があったら幸せなんだろうか。

自分は「ある時」から変わってしまった。
もうきっと戻れないと思う。「壊れる前の自分」には。自分が選んだ道でこうなったんだ。でもこうなるなんて思っても無かった。

もちろん誰のせいにもできない。ただただ、自分の心が弱かっただけなんだ。自分の経験がいつか笑い話になる日まで、前だけ向いて生きて行くしかないのかなと思う。だったら「この頭」と付き合っていこうかな。

壊れてしまったあの日を思い出しながら。
「思い出日記」とでも言えばいいかな。少しずつ書いていこうと思う。
そんなに立派な人生では無かったけど、生きてるならどうにかなる。

僕よりも苦しんでいる人はたくさんいると思う。
でもこの話しが同じ業界で頑張って頑張って、壊れそうな人の心に届けばいいな。人の心って案外簡単に壊れるんだって。

そして変わらず「健康に」仕事をする人たちには、こんな人間もいるってことを、実は身近にいるんだってことを聞き流して欲しい。別に興味ないのはわかってるから。

「やりたいことが見つからないのも個性かな?」


ずっと小売業の世界で生きてきた。
別に接客がしたいとかではなく、ただ「靴」が好きだったから。
なんだけど、人見知りだから接客は苦痛でしかない。

「人見知り」って便利な言葉だと思う。
逃げるためにすぐ使える。ただ人と関わるのが苦手なだけなんだけど、
それを克服しようともせずこの「武器」をだす。卑怯なのかな。

人と関わらずに生きていくって無理なのかもしれない。だってこの世のものは大体「人の手」で作られてる。それを使うことは人と関わっているのと同じなんじゃないかって。

成長してこれを理解するまで時間はかかったが、「人の手」のありがたみはすごいものだ。そこには背中を押してくれる「激励」や、心を癒す「愛情」もたっぷり含まれているのをこの体で体感した。

当時は...今でも未熟者だけど、本当に意識の低い働き方だった。まぁ大学生なんてそんなもんって思われたらそうかもだけど、高い意識で働いている大学生もいるはずなので間違ってはいけない。

接客でお客さまから「ありがとう」と言われても別に何も感じない。これを異常と感じる人はたくさんいるんじゃないかな。特に接客業が好きな人は。嘘じゃなく本当なんだ。何とも思わない。異常と思うならそれでもいい。

自分の給料は確かにお客さまからいただいたお金。もちろん購入してもらって感謝はある。でも別にそれ以上のことは思わない。そんな人間が今年で20年、接客業をしているんだからすごいものだ。

大学4年。就職を考える時期。
いや、普通は考える頃ではなく決める時期なんだろうか。授業を受けて、休憩時間はタバコ吸ってまた授業。就職の考えは「ゼロ」。

好きな洋服、音楽を楽しむ毎日。
大学4年間は本当に充実していた。必要な単位さえ取ればいいって感覚で学校に行き、終わればバイトか原宿の洋服屋に買わないけど見に行く。

本当にそんな毎日でお金払って「大卒」の資格を取得する生活だった。今思えば何てもったいない4年間を過ごしたんだろうって。間違いじゃないけど、あの時の自分としては正解だった。

元々、就職はしないと決めていた。何をすればいいのかわからなかった。だからどこに就職すればいいのかさえ。あの日を思う。新卒で就職してたら自分が壊れない世界線に行けてたのかなとか。別に後悔ではない。

「人と同じようなことはしたくない」


大学4年生が中二病みたいな発言で今思うと馬鹿だな当時の自分。という根拠無い自信に満ち溢れてた。今思うとバカだなぁと22歳の自分に伝えたい。
特別な才能があるわけではないけど、可能性だけは信じていた。

少しはこの気持ちをわかってくれる人いるんじゃないかな。何であんなに勘違いできたのか。それが成長のパワーになればいいのに、自分はそうはならなかった。急成長より地道すぎるくらいのものだ。

結局は就職せずバイト先の靴屋で 、フリーターとして生活を始めた。
バイトが終わったら仲間とスケボーしたりして夜遅くまで遊び、朝方に寝て、昼くらいに出勤。最高に幸せな生活だった。

他のお店と比較して時給はいいほうで、こんだけ貰えるならずっとバイトでもいいじゃん。そう思っていた。正社員を知らないから、バイトの給料で満足してたっていうのもあるかな。

きっと新卒で入った同世代は、朝早く起きて会社で研修をする。必死で先輩に喰らい付いて、大人の社会を必死になって覚える。そうして、フリーターよりも多くの報酬をもらっているのだろう。

そんなことを思いながらも、正社員になるつもりなんて全く無かった。誘いを受けても断った。社員になることで上司から面倒臭いこと任されて、
間に挟まれて良いことなんて何も無いって…

でも苦しみに耐えて出世して、慕われる部下ができて、結婚して、子供ができて、家を買って…社員になると一般的な「普通の生活」を送っているのかな。その時はそんな生活を望んでいなかった。

幸せの尺度はそれぞれ違うから、普通って言葉が正直意味の無いものだと思う。普通って何??大衆が納得することが普通??今でもそうだが、普通そうじゃんって言う人が苦手。お前の普通は自分の普通じゃないこともある。

もちろん信号が赤になったら渡らない。そんなの普通でしょ。この普通とさっきの普通は別のものって考えて欲しい。まぁこんな感じで少々面倒くさい人間でもある。自分だったら自分と友達になりたいとは思わない。

続く・・・

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