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国語の教科書から辿る読書体験~読書の祝祭の続き~

拝啓
雨が降ればまだ少し肌寒く、けれど陽が射せばすでに夏のそれ。「季節感がはぎ取られるようだ」というあなたの言葉に頷きながら筆を執っています。いかがお過ごしでしょうか。

志村ふくみさんの『一色一生』、お手に取って頂けて大変嬉しく思います。しかも、桜の樹皮による染色のエピソードを教科書でご存じだったとは。実は、私が志村さんを最初に知ったのは教科書の随筆だったのです。こんなにも美しい言葉を綴る方がいたなんて、と繰り返し読んだ記憶があります。また、小林秀雄による仏教思想を根幹とした伝統と文化の指摘に、なるほど、とため息がこぼれました。志村さんが語る藍の世界――古来、藍小舎には愛染明王を奉り、祈りながら染めたという背景があればこそ、藍の色には深い精神性が宿り、歴史や風俗に浸透した色としての風格が備わる――と小林秀雄の考察は、深い場所で交差していたのですね。あなたの流麗な文字の色も、見事なグラデーションを用いて織り上げられた「水瑠璃」のように澄んだ青色だと、最初にお手紙を拝見した時からずっと思っております。

今回ご紹介頂きました、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒けん』、届いた当初まずその厚さに胸が躍りました。そして、兵站部長G・Gを通じた著者からの警告。なるほどこれは言葉通り読み進めた方が身のためだと気持ちを引き締め、ハックたちとともに私も筏に乗り込みました。
狡猾な大人たちを相手に知恵と機転で幾度も窮地を切り抜けるハックとジム。流れ星を見て語り合う場面は微笑ましく、ハムレットとマクベスとリチャード3世の名場面をごちゃまぜにした公しゃくの演説は噴飯もの。随所にちりばめられたユーモアに大いに笑わせてもらった一方、当時のアメリカの背景にたびたびはっとさせられました。黒人奴隷の逃亡を助ける行為が犯罪とされる社会で、ジムが自分に向けてくれた友情を思い、「よしわかった。ならおれは地ごくへいこう。」とハックが腹を括った31章は最高でした。
本来漢字表記であるはずの語句が一部平仮名で表されている独特の記述は、ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』の序盤を想起させます。「誤りを誤りのまま訳すのは非常に難しい」としながら、翻訳者の柴田元幸はこの物語が「どう語られているか」をとりわけ大切にし、間違いの楽しさを可能な限り忠実に再現しようとしていたのですね。一人称語りでこれほど伸びやかに描かれた冒険譚は他に類をみません。この本を枕元に置いていたあなたの幼少期を羨ましく思いながら読み進めました。

冒険物であれば、私が傍に置いていたのは上橋菜穂子の『精霊の守り人』です。三十路の女用心棒・バルサが一国の皇子を助けたことで始まる逃亡劇です。アボリジニを研究する文化人類学者が描き出すファンタジー世界の重厚さは見事の一言に尽きます。為政者のための神話も、土着信仰も、登場人物たちそれぞれが負っている背景も、その国の文化も、これほどまでにリアルに描ける人はそういないのではないか。『守り人』はシリーズもので、一冊ずつ話は完結しているのですが、読み始めた当初は一気に全シリーズを読み通しました。何度目の下に隈を作ったことか。

国語の教科書を配布された日に読む。これは、私にとっても恒例行事でした!まさか同じことをしていた方がいらっしゃり、今こうして手紙を交わしているなんて。嬉しいと同時に本で繋がった縁の不思議を改めて思います。

音読の課題で真っ先に思い出したのは、山下明生の『手紙をください』。赤いポストの中にかえるが棲みつき、自分宛の手紙を待っているという、いじらしいお話です。新美南吉の『ごんぎつね』と小林豊の『せかいいちうつくしいぼくの村』は、どちらも最後の一行があまりに悲しく、今でも諳んじています。『注文の多い料理店』で宮沢賢治を知ったことは、読書の祝祭の中でも私にとって大きな出会いだったように思います。丁度同時期に音楽の授業で「星めぐりの歌」を習ったことも『銀河鉄道の夜』を手に取る後押しとなり、以降、憑りつかれたように宮沢賢治を読み漁りました。カムパネルラが手にした黒曜石の星座盤に、当時どれほど憧れたことでしょう。蛾が大の苦手である私にとってヘルマン・ヘッセの『少年の日の思い出』は天敵。クジャクヤママユの標本をポケットに入れて潰す描写ときたらもう…。後に読んだ『車輪の下』でヘッセに対する印象は多少回復しましたが。短歌ならやはり正岡子規。「瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり」という代表的な病床詠は、私が愛読する歌人笹井宏之の歌にも通じる部分があります。閉ざされた世界で生きることを余儀なくされた彼らは、ほんのわずかな花の揺れをも看取することができる。それを最初に教えてくれたのが教科書でした。新川和江の『わたしを束ねないで』は当初、‘‘縛らないで‘‘にしようか迷い、それでは言葉が強すぎるため、‘‘束ねないで‘‘を用いたとか。詩人の、言葉に対する情熱がよく伝わるエピソードです。平家物語の『扇の的』も、鏑矢を射る場面の迫力とともに記憶しています。もしかしたら、あなたとは同じ時期に同じ教科書を読んでいたのかもしれない。ふと、そんなことを思いました。石垣りんの原爆の詩『挨拶』、愛情深い修道士を描いた井上ひさしの『握手』、立松和平の『海の命』、そしてあなたが愛してやまない向田邦子の作品の一つ、『父の詫び状』も。あなたの問いかけとともに記憶に潜ると、次々に作品が呼び起こされます。教科書はあなたの言う通り、私にとってもアンソロジーの役割を果たし、常に読書の祝祭の中心にありました。

実を言えば、小学生~中学生までは短歌に今ほどの興味はありませんでした。教科書に載るような近代を代表する歌人たち(与謝野晶子、斎藤茂吉、若山牧水、明石海人etc.)の作品を何となく綺麗だなぁとは思えても、背景を読み解いて鑑賞し、自分のものにしたいと思う熱意が今ほど強くなかったのです。むしろ、「なんて自己主張の激しい歌が多いのか」と敬遠することもしばしありました。(時代背景を思えば主張の強さも致し方ないのですが。)しかし、どんな作品でも一通り読める体質になれたのは、ひとえに教科書の存在があったためと思います。

少し脇道に逸れますが、私は国語の教科書の友人として配布される国語便覧も大好きでした。遅々として進まない授業でも国語があまりつまらなかった記憶がないのは、寝殿造の内部や十二単の装束を眺め、興味のある文学作品の解説を読み進めることのできる便覧があったからだと思います。現在手元にあるのは高校時代のものですが、今開いてみてもやはり楽しいものです。加えて国語の問題集も、時に回答するのをもどかしく思いながら読んでいた覚えがあります。センター試験の練習として配布された江國香織の『デューク』や、当時受験のために解いた小林秀雄の『鐔』は今でも印象に残っている作品の代表です。
あなたにとって、国語の教科書をはじめそれに付随する資料や問題集の中で今でも心に残る作品や現在の読書に影響を与えている作品には、どんなものがあるでしょうか?

もし私が読んできたものと重なる作品があれば嬉しいです。

夏の匂いの風に当たりながら。

敬具
2023年6月21日 菅野紫 


マーク・トウェイン著、柴田元幸訳『ハックルベリー・フィンの冒けん』、『新総合 図説国語』


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