見出し画像

平和の共通基盤のための文学~沖縄 慰霊の日に大城立裕『カクテル・パーティー』を読む~

「文学の不毛の地」と言われた沖縄で、最初に芥川賞を受賞した作品をご存じでしょうか。毎年6月23日は慰霊の日です。日本軍の組織的戦闘が終結した日であり、沖縄戦の犠牲者を追悼し世界の恒久平和を願う日とされています。今日はそんな慰霊の日にちなんでお伝えしたい作品があります。大城立裕の『カクテル・パーティー』です。


大城立裕著『カクテル・パーティー』
(岩波現代文庫版)


物語は沖縄出身の主人公「私」が、中国人弁護士の孫先生、沖縄県外出身の新聞記者小川氏とともにアメリカ人のミスター・ミラーが住まう米軍基地内のパーティーに招待される場面から始まります。4人は月に1度中国語で語らう集まりを催す仲で、序盤では「沖縄と中国との関係をめぐる歴史観」や「沖縄固有の文学とはなにか」、「沖縄の文化は日本文化の派生か否か」、「沖縄の言葉(うちなーぐち)に混ざる中国語について」等、多方向から沖縄を論じ、米軍統治下にある沖縄の政治的な話題は避けながら表面上は穏やかな会話を繰り広げます。そんなパーティーの最中、参加者の一人でありミスター・ミラーの知人、モーガンの幼い息子が行方不明になります。じきにモーガンの息子は沖縄人のメイドが善意で連れ出したことが分かり、パーティー参加者たちは胸をなでおろしますが、このエピソードが後の伏線となります。

「私」がモーガンの息子を探すために基地内を歩いていた頃、「私」の娘は米兵に強姦されていました。「私」は告訴を決意しますが、娘は頑なに拒否します。暴行の後、娘は米兵を崖から突き落として負傷させていたからです。先に訴え出たのは米兵の方で、「私」は正当防衛を主張しますが聞き入れられることはなく、娘は連行されていきます。「私」も告訴の手続きのため警察に向かいますが、そこで初めて米軍統治下の沖縄は軍要員に対し証人喚問の権限をもたないこと、裁判は行われる前から娘側の敗訴がほとんど確定していることを知らされます。何とか米兵を自分の意志で出廷させるため、「私」はまず親しいアメリカ人のミスター・ミラーに助力を求めます。しかし、ミスター・ミラーは自分がアメリカ人という理由で米兵に出廷するよう促すことはできないと断ります。「事件はあくまで若い男女の間に起こったこと」であり、アメリカ人対沖縄人の構図にすれば問題を複雑化してしまう。「おたがい民族や国籍をこえた友情を確かめ合ってきたと信じている」彼は、「こういう事件で折角つくりあげたバランスを崩したくはない」と主張するのです。落胆した「私」は小川氏と二人で孫先生を訪ね、入院している米兵の元には三人で行くことになります。

「私が娘のおかげでこれだけの怪我をしたのは、まちがいのない事実だ。そして私は、沖縄の住民の法廷に証人として立つ義務はない」――あまりにも''正しすぎる''米兵の言葉と態度に、「私」たちは病室を後にします。小川氏は孫先生に、日本対中国の関係を、アメリカ対沖縄の関係に当てはめて意見を求めます。戦争中に日本兵から被害を受けた中国人なら、今の沖縄の状況を理解できるのではないか、と。しかし、ここで初めて孫先生は自分の妻が日本兵によって強姦された過去を語ります。今その話を引き合いに出すのは卑怯だと非難する小川氏に、孫先生は1945年3月20日に「私」と小川氏が中国で何をしていたのかを静かに問い、「国同士の関係を具体的に理解するには中国人と日本人の接触の実例を思い出してほしい」、と告げます。「私」は過去の自分の加害を思い、告訴を見合わせます。しかし、その後再びミスター・ミラーに招かれた午餐の場でモーガンの息子を連れ出した沖縄のメイドが告訴されたことを知ります。

米軍占領下の沖縄では米兵の暴行事件が起きても米兵を裁判へ出廷させる権利さえ与えられないにも関わらず、「布令144号刑法並びに訴訟手続法典」はアメリカ人婦女への暴行に対して極刑を定めていること。本来公平であるべき法律が、基地という構造的な暴力と補完関係を結びながら沖縄を支配する装置にすぎないこと。そんな強固なパワーバランスが生じている場所でICI(米軍防諜部隊)の一員であることを伏せ、「国際親善」という名目を掲げ基地内で食事会を催すミスター・ミラーへ、「私」は今まで築いてきた親善は仮面にすぎないと反論し、娘の告訴を決意します。かつて自分が中国で行った加害と向き合いながら、理不尽な布令の只中に自らを置いて戦うことを。


『カクテル・パーティー』が発表されたのは1967年。沖縄が日本に返還される前です。沖縄の近現代史の視点が何層にも織り込まれたこの作品は、1995年の沖縄米兵少女暴行事件をはじめ、数々の基地被害を想起させます。未だ基地の問題が解決していない現代において、『カクテル・パーティー』は普遍的な文学作品と言えるでしょう。特筆したいのは、この作品はただ怒りに任せて描かれているものではないということです。誰もが被害者であり、加害者であること。それを自覚し、傷つきながら向き合った時、初めて自分に対して降りかかる加害に抵抗できる。作品の最後、「私」の娘が青い海を背景に崖から腕を伸ばすシーンは、そんな抵抗の暗喩であると私は受け止めています。

『カクテル・パーティー』を読みながら、私は文学とは何かを改めて考えました。かつて沖縄で4年間生活するまで、私は追悼式の映像を何となく眺めているだけでした。6月23日の日付を意識することはなく、インターネットで入手できるごく短い記事に情報として触れているだけでした。統計や概要、数十文字、数百文字で伝達される情報は手軽で、触れたその時は何となく理解した心地になります。しかしそれは、思考そのものには成り得ません。情報として消費したにすぎず、自らの経験への結びつきや内省、心理的解釈をもたらすには、弱いのです。ノーベル文学賞作家のオルガ・トカルチュクは文学についてこう語っています。「ただ文学だけが、わたしたちに、べつの存在の人生に深く入ることを許すのです。その理屈を理解し、感覚を共有し、その運命を生きなおすことを。」(『優しい語り手』より)

慰霊の日は、沖縄戦の犠牲者を追悼するだけでなく、世界の恒久平和を願う日でもあります。その願いを願いのままで終わらせないために。平和を実現する思考に到達するために。『カクテル・パーティー』をはじめ、多くの沖縄の文学作品は生み出されてきたのではないでしょうか。

私は、あなたの手元にこの作品が届くことを願います。孫先生の経験が、小川氏の語ったことが、ミスター・ミラーの理論が、「私」の決意が、私たちの中で平和のための思考となり、その思考が共有できることを。文学作品を通じて、平和のための共通基盤が築けることを、心から願います。

2023年6月23日 慰霊の日に 
菅野 紫 拝

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?