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精神障害者のわたしがライターになったわけ

スガカオルです。

わたしには精神障害があります。
解離性障害と複雑性PTSDという疾患を持っています。

今はWEBライターとして活動しながら、ブログサイトの運営に力を入れています。

以前は障害者雇用でパート勤務を経験しました。
就労移行支援事業所を経て掴んだピアスタッフ(障害当事者が障害者を支援する職員)もしていました。
しかし、障害の重いわたしにはそれも続きませんでした。

社会の中の人間関係に疲れたわたしは在宅で稼ぐ道を模索し、今に至ります。

今日はそれまでの経験を話していこうと思います。

障害者と隠して働いた過去

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精神科に通うようになってすぐは、派遣の単発バイトで働いていました。
単発バイトはその日一日だけをやり過ごせば良く、体調が良いときに少しずつバイトを入れて働いていました。

現場ではただの派遣さんとして扱われ、精神障害者ということは知られていません。
健常者のフリをしながらその日一日に任されることをするだけのバイト生活でした。

とても一日だけをどうにか乗り切れば良い、しかも多くを求められず、すぐにでもできる仕事というのは気が楽ではありました。

しかし、家族からも近くで継続してパートをすることを勧められました。
家族にはわたしが抱えている障害の理解はなく、むしろ出来るはずだと期待されていました。

わたしは障害者であることを言わずに、バイト募集の面接を受けて仕事をしました。
バイト先はまさか精神障害者が入ってきたとは思わず、健常者が入ってきたと思い込んでいます。


わたしは健常者の仮面をしながらバイトをしました。
まだ精神科に通うようになってまもない頃で、ミスをしないだろうかと緊張しながら勤務をしていました。

その緊張からミスが出てしまう、不安から夜寝れずに朝が起きられなくて休んでしまう、負のサイクルに飲み込まれて辞めてしまうことを繰り返していました。

何度もバイトを始めては辞めての繰り返しの中で、とある飲食店でのバイトを辞める際、初めて自分に障害があることを店長に打ち明けました。
その時、驚きの言葉を聞いたのです。

「そうだったんだね。なら早く言ってくれて良かったのに…」

え?障害を言ってもいいの?

平成初期の時代でしたので、精神障害者にはまだまだ偏見もあり、精神障害の障害者雇用で働く人も障害者雇用率にカウントされてる前でした。
というか、わたしは障害者雇用という言葉すら知らなかったのです。

そんな中で店長がそのように言ってくれたことから、わたしは障害をオープンにして働くことを目指しました。

障害者として支援してもらいながらの介護職

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まず、向かったところは主治医のところとハローワーク。
主治医に障害者雇用で働きたいことを告げました。

ハローワークの専門援助部門で主治医の意見書をもらい、書いてもらいました。
ハローワークから紹介を受け、自治体にある障害者のための就労支援センターにも連携してもらいました。

ハローワークで手続きをして、障害者のための職業訓練校に通いました。

事務職を希望してのプログラムを受けていましたが、そこで会った元介護職に感化され、民間の資格取得の講座の介護職員初任者研修を受けることに方向転換しました。

無事介護職員初任者研修を終え、地元のフリーペーパーに掲載されていた求人に応募しました。
その際、障害があることも電話で伝えました。

面接してくれることになり、面接では支援者がいることも伝えたところ採用をもらい、パート勤務のデイサービスの非常勤職員として仕事が決まりました。

たまたまその会社の社長が以前の職場で障害者雇用を経験しており、支援者がいるということが一番の安心材料だったみたいです。

元看護学生だったわたしにとって、対人援助職はやりたかった仕事でした。
職員さんたちも可愛がってくれ、利用者さんにも孫のように「カオルちゃん」と可愛がってもらいながら、仕事をしていました。

仕事は目まぐるしいほど多忙でしたが、やりがいもあり時間があっという間に過ぎていきます。
疲れもありますが、利用者さんと一緒に過ごす時間は楽しい時間でした。

確かに介護職は大変な仕事でした。
3Kといわれるように、排泄介助もあったり、入浴介助も忙しく、対応に困る利用者さんがいることも事実でした。
しかし、同じ給料ならわたしは飲食店より介護職のほうが楽しいと感じる部類の人間でした。

ところが、認知症の利用者さんの中には怒りを症状として持っている方もいます。
わたしは母親から精神的虐待を受けていたため、その利用者さんの周辺症状である怒りからフラッシュバックを起こしてしまいました。

主治医に相談し、診断書をもらい、認知症の方がいる高齢者介護は症状を悪化させるため他の職種にするよう言われ、離職することを勧められました。

楽しかった仕事でしたが、症状が出てしまっては続けられません。
わたしは介護職を辞めることにしました。

ピアスタッフとして働いた福祉支援職

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その後、職業適性を見極めて実習をして着実に就労したかったわたしは、就労移行支援事業所の通所を開始します。
国の障害者福祉サービスである就労移行支援事業所についてはこちらをご参照ください。

【利用者】
就労移行支援事業 就労移行支援事業
○ 一般就労等を希望し、知識・能力の向上、実習、職場探し等を通じ、適性に
合った職場への就労等が見込まれる者(65歳未満の者)
例えば…
① 企業等への就労を希望する者
② 技術を習得し、在宅で就労・起業を希望する者 等
【主なサービス内容】
○ 一般就労等への移行に向けて、事業所内や企業における作業や実習、適性に合った職場探し、就労後の職場定着のための支援
○ 通所によるサービスを原則としつつ、個別支援計画の進捗状況に応じ、職場訪問等による
サービスを組み合わせた支援。
○ 利用者ごとに、標準期間(24ヶ月)内での利用。

引用:就労移行支援事業

わたしは就労移行支援事業所を通して、障害者職業センターでの職業評価を受けてました。
職業評価は専門の担当の人が作業を通して、何が得意か不得意か、職業の興味検査をしたり知能検査もしたりと、適正な職業を見極めてもらえます。

就労移行支援事業所ではそのほかにも自習時間を使って資格取得をしたり、福祉職への実習を受けたりとして、自信がつきました。

就労移行支援事業所、通所最後の日の私のツイートはこちらです。

やはり対人援助職を諦めきれなかったわたしは、実習受け入れ先だったとある福祉施設で生活支援員・就労支援員の仕事に就きました。

実習先だったので、利用者さんも私が就労移行支援事業所から来た精神障害者だと知っています。
そして、こじんまりした職場だったので職員の皆さんも優しい方が多かったです。

良い職場に恵まれたなぁと思いながら、ピアスタッフとして働きました。
自分が気を付けていることが利用者さんにフィードバックできたりと障害者雇用の福祉職の仕事は充実していました。

精神障害者は環境が変わると病状は悪化します。
就職してから半年後くらいに会社の引っ越しがあったり、それに伴い職員が新しく入ったりして、職場環境が変わったことで体調が悪化しました。

利用者さんとの人間関係では関係ありませんでした。
新しいベテラン支援員からの言動に反応してしまったのです。

対人援助職にはいろいろな経験を持った職員が存在します。
障害者への健常者の支援員の心ない言葉に傷つくことはあるのです。

解離性障害の症状は悪化し、休職を経て、復帰の際にも雇用契約が変更になったりと条件が変わった中で、就労を継続していくことに難しさを覚えました。

当時、就労定着支援事業所に登録していたので、定着支援を受けていました。
就労定着支援事業とは就労移行支援事業と同様、国の障害者福祉サービスです。

【対象者】
○ 就労移行支援等の利用を経て一般就労へ移行した障害者で、就労に伴う
環境変化により生活面の課題が生じている者
【支援内容】
○ 障害者との相談を通じて生活面の課題を把握するとともに、企業や関係機関等との連絡調整やそれに伴う課題解決に向けて必要となる支援を実施。
○ 具体的には、企業・自宅等への訪問や障害者の来所により、生活リズム、家計や体調の管理などに関する課題解決に向けて、必要な連絡調整や指導・助言等の支援を実施。
引用:
新サービスの基準について - 厚生労働省

その定着支援員さんからこんな言葉をいただきました。
「お金を稼ぐ手段はどんな形でもよいと思うんですよね」

その頃はコロナウィルスの感染が広がりつつある初期の段階で、企業がテレワークを始め出した頃でした。
ついでに会社はわたしにとって、厳しい雇用条件を出してきたのです。

タイミングと社会の働き方の変化に伴い、わたしは支援職の仕事を辞め、在宅での働き方というものを模索し始めるのでした。

障害者のためのアウトソーシングサービスでの在宅ワーカー

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ハローワークを通しても、まだ感染の初期段階だった当時は障害者雇用でのテレワーク求人は少なく、内容も厳しいものでした。
雇用関係に捉われずに、わたしは在宅ワーカーとしてSNSで見つけた障害者のためのアウトソーシングサービスを利用することにしました。

障害者のためのアウトソーシングサービスでは簡単な事務処理などの単価の低い件数をこなしました。
在宅ワーカーだけでなく、就労支援事業所も登録しており、事業所vs在宅ワーカーの件数の取り合いで、仕事はいかに件数をこなすかにかかっていました。

連絡はチャットでの連絡。
何も契約書もなく、どのような流れで入金されるかも説明もなく、不安ながらも仕事をしていました。

その月の仕事を終えて、業務の受注件数などの請求書を作成し、入金された金額を見てびっくりしました。
ほぼ週5以上10時間以上の労働で得たのは3万程度。

あまりにも時間と業務量のコスパが悪い仕事と見極めました。

そのアウトソーシングサービスは現在やっておりません。
わたしは次の段階へと足を踏み入れるのでした。

自力でパソコンで稼ぐ道へ

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実は在宅ワークを始めるときに、クラウドワークスにも登録をしていました。

わたしは文章を作ることが好きでした。
情報を集め、文章を組み立てていくは職業評価でも勧められたことでした。

かつて、作業所の運営元のNPO法人の会員向けの会報誌編集の業務を任されていた時期もありました。

そしてクラウドワークス内で初心者向けのWEB記事の書き方を教えてもらいながら、記事を書く仕事をWEBライター修行としてやることにしました。

また、自分のサイトを作成し、記事を書いていくことにも興味を持ち始めました。

わたしはWEBライター修行を通して、体調に配慮させてもらいながら実績を作っていきました。

自分の記事が公開されて、狙ったキーワード検索で上位1位になったときは跳ね上がるように嬉しかったです。

文章を書く技術は奥が深く、たくさんの学びが必要でした。
しかし、それを今こうしてアウトプットしながら今も文章の技術を学び続けています。

WEBライター修行を通して、自分のメディアでの発信に力を入れていくことにも自信がつきました。
これからは自分のメディアで発信していくことを目標にしていきたいと思っています。

精神障害者が無理なく働くこと

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先日まで実は入院をしていました。
入院は急変によるもので、自分でもまさか入院になるとは思ってもいませんでした。

入院の時の記事はこちらよりお読みいただけます。

精神障害者は急に体調が悪くなることも多く、継続して働くにはかなりのセルフマネジメントができる状態であることと症状が落ち着いてる状態をキープしなければなりません。

残念ながら、わたしの障害は重く、急に体調が悪くなってしまうことが多いのです。

しかし、そんな精神障害者でもお金を稼いでも良いのではないでしょうか?

必ずしも作業所で少ない工賃をもらいながら、障害者雇用を目指して会社で働くという、王道を目指さないといけないわけではありません。

障害者にも色々なお金の稼ぎ方があってよいと思うのです。

わたしは自分の障害と付き合いながら、今自力で稼ぐために奔走しています。
コツコツと続けていくことが必ず実を結ぶを思いながら、ライターとして一人前になる努力をしています。

わたしにとって、精神障害を抱えながら無理なく働くためにはライターという仕事が必要でした。

「お金を稼ぐ手段はどんな形でもよいと思うんですよね」

今この言葉を胸にライターとして成長していくことを目標にしている次第です。

ではでは、またね。


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