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禁煙3日目、依存症を知る。

頭がタバコにとらわれている。

支配されている。

それでも踏みとどまっている。

踏みとどまっていられるのは、身体の離脱症状がないからかもしれない。

要はメンタルの問題です!

メンタルはタバコ一色

禁煙3日目は訪看さんから始まった。

訪看さんには内科受診の知らせが伝わっているようだった。

訪看さんもかかりつけの精神科病院からやってくるから情報伝達も早い。

ハッキリと訪看さんに伝えた。

「タバコのことばっか考えてます。」と。

ニコチン依存症だからねと訪看さんは笑顔で返す。

そうなんですよ!ニコチン依存症なんですよ!

悲しいけれど、認めざるを得ない。

タバコのことばかり考えている。

そのことがバカバカしいけれど、しんどいのだ。

メンタルではタバコを吸いたくて仕方ない。

頭の中でタバコのことばかり考えてしまうのだ。

街を歩けば、あそこの喫煙所で吸ってたなとか考えてしまう。

でももうやめたのだから関係ないだろうと言われても考えずにはいられない。

タバコの匂いがすれば、警察犬のようにその匂いの元を辿ってしまう。

辿ったところで誰かが吸ってるだけなのに、それを確認せずにはいられないのだ。

何故か?

たぶんそれがニコチン依存症なんだと思う。

頭の中がそれだけで考えが占めている。

タバコのことばかり考えてしまう。

それがやめられないのだ。

依存症のことをようやく理解したような気がする。

そのことだけになってしまうことを実感している。

地活で他のことをやって過ごす

今日は訪看さんのあとは地活に行こうと決めていた。

地活でサークル活動があったからだ。

サークル活動をして気分を紛らわそうと思った。

何かをしていると、他のことを考えなくても良いのが嬉しい。

不安なことやとらわれていることから逃れられる。

サークル活動ではギターをやっている。

今日は弦を張り替えようと考えていたので、時間より少し前からギターを取り出して弦を張り替えていた。

ギターの弦の張り替え作業は楽しい。

古くなった弦からきれいな弦へと変貌するのが嬉しいのだ。

ギターも触ってあげないとなぁと思いながら弦を張り替えていた。

そのときはタバコのことはほとんど考えていないことに気がついた。

わたしにとって何かの作業をするということはとらわれることからの逃避になるのだと思った。

リスカでも同じことだった。

何かの作業をして誤魔化すことがよくある。

それと同じだった。

他のことをやってとらわれていることから目を離すというのはわたしにとって馴れた手段だった。

こうしてタバコのことを書いていても、吸いたいという気持ちまではならない。

今はニコチンパッチが身体に貼ってあるので身体では離脱症状は出ていない。

しかし精神的な離脱症状はすでにある。

それでも何かをすることで考えをそらすことができるというのは良いことなのかもしれない。

休むって何?

その上で困ったことがある。

うまく休めないことだ。

今まで一服をして休んでいたが、それが無くなった。

どうやって休めば良いのかわからないのだ。

まるでゼンマイを回せる限り回したおもちゃのようにがむしゃらに動いてしまう。

そしてゼンマイが切れて動けなくなってしまうかのようだった。

周りはどうやって休んでいるのだろう?

明日はそれを見ながら地活に参加しようと思っている。

明日もボチボチやっていこう!

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