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いじめって犯罪だよね?

スガカオルです。

わたしは小中学校でいじめを経験しています。

少し過去を振り返りながら、いじめがもたらす影響とその時にしてほしかったことなどを振り返りながら、いじめがどういうものかを考えていきたいと思います。

結論から言えば、いじめは学校内で起きた陰湿な犯罪。
わたしはそう思っています。

いじめの記憶は消えない

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わたしのいじめの記憶だけは割と鮮明に覚えています。
抑圧することがなかったのかもしれません。

今もその記憶は残っており、彼女たちとは極力距離をとっています。

わたしは同じ学校内の人たちとミニバスケットバールクラブに入っていました。
主にいじめはそこで受けたものです。

休み時間に他の人たちと遊ぶことを禁止されていました。

鬼ごっこをするといつまでも私が鬼にさせられました。
私が誰かにタッチして鬼をかわっても。その人は他の誰も狙わず私だけをターゲットにして鬼にします。
終わりは休み時間を知らせるチャイム、それまで鬼になって意味もない鬼ごっこを続けさせられました。

この記憶は今では一番古い記憶となっています。
4年生までの記憶がないわたしは、一番古いその記憶を絵にしたとき、木よりも高いところからその情景を描きました。
自分は校舎の上の屋上を見上げています。
その時のわたしは自分がそれを受けていると思わないために解離させていたのだと思います。

わたしはその鬼ごっこの最中、もう死んだら楽なんじゃないかと自殺を考え屋上を見たことを覚えています。

クラス内でも男子や他の女子に自分の容姿を揶揄したあだ名をつけられ、からかわれることもありました。
男の子に殴りかかり力ずくの喧嘩になって、担任に「どうしてそんなことをしたんだ」と言われることもありました。
わたしはどこかへ怒りをぶつけなければやりきれなかったのでしょう。

ちょうどその頃、ぜんそくが初めて出て、保健室から連絡されて病院に向かったこともありました。
そのとき、小児ぜんそくではなく、ストレス性のぜんそくだといわれました。
「大人がなる喘息です。何か大きなストレスを抱えているのではないでしょうか?」
医師が母に告げたことを聞いていました。

その頃は母からの虐待もあり、病院に行く途中にも「こんなことで呼び出すな」とも言われていました。
先生たちは不登校の子の心配ばかりでクラス内で行なわれていることや他の生徒のことに目を向けず、職員会議ばかりをしていました。


わたしは「大人は信用ならない」と思い込んでいたため、先生に今受けているいじめのことを告げることはありませんでした。

逃げればよかったのかもしれませんが、他の生徒はバスケットボールクラブの人たちは私たちとは違うと感じており、関わりも少なかったのです。
他の生徒たちは私たちバスケットボールクラブの人たちをどこかで恐れていました。
私以外の彼女たちは負けん気が強く、体力もあり、目立つ存在でした。

実際に地区大会を完全優勝しており、県大会も常連だったわたしたち。
わたしは先天性の心臓病もあったため、彼女たちよりも体力面で劣っていました。
心臓病は良くなっても彼女たちのような強気で負けん気のある女の子ではありませんでした。
長いいじめという名の仲間外れで、疲れていたのかもしれません。

わたしは他に友達を作り、彼女たちと休み時間を過ごすことをやめたのは5年生の頃でした。
あえて正反対の友達の仲間に入れてもらい、室内で絵をかいたりマンガをかいたりして遊びました。

中学はふたつの学校に別れましたが、私はバスケットボールが好きだったこともあり、同じ部活に5人が集まりました。
一つ上の先輩たちは他の小学校から入った弱小チーム出身の先輩しかおらず、3年生が抜けると一人残らず2年生はやめました。
私たちと一緒にやっていくことができないという理由でした。

一つ上の先輩よりも私たち5人の方が実力で上だったのです。
私たち一年生5人だけのバスケ部となり、いじめはエスカレートしていきました。

顧問はそんないじめに気づかず、むしろ顧問にも問題があり、高圧的な対応をしていました。
そんな時、他の4人から「顧問をどうにかしろ」と、やめさせるためにどうにかすることを強制させられました。
わたしは帰りのミーティングでいつも高圧的に話すことに着目し、ミーティングで話す顧問の言葉を録音しました。

他の親からそのことがバレて、わたしがそんな行動をとったことが顧問のせいとなり、問題視されました。
実際に顧問は自宅にわたしたちを車に乗せて連れていき、バスケのビデオを見させたり、部活時間外に校外へ連れていき、駅伝の練習をさせたりとしていました。
その顧問は保護者の一人ともみあいになり暴力沙汰となり、懲戒処分となり学校に来なくなりました。

顧問が居なくなったバスケ部はパラダイス状態で、いじめはますますひどくなりました。
いっぺんに4人がボールを投げて当てられたり、パスをされずいないものとされたりしました。

2年生になり、わたしは委員会活動に逃げることにしました。
出来る限り部活にいる時間を削ったのです。

2年になると着任した新しい先生が顧問になりました。
その先生は私が他の4人から受けていることを分かっていました。

「困っていることはないか?」
そう尋ねられたこともありました。
しかし私は「ないです」と答えました。
4人からの仕打ちが怖かったのからです。

その顧問は年賀状でこんな言葉を私に送りました。
「一生懸命にやっていれば、悩んだり苦しんだりすることもある。でもその頑張りで道は開くよ」
この言葉は全て見ている、ちゃんと見てるからという顧問のメッセージだと思いました。
初めて大人を信じようと思った出来事でした。

いじめがもたらした影響

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いじめがもたらした影響は今でもあります。
絶対に彼女たちと遊ぶことはありません。

女子の集団の恐さ、陰湿だという決めつけがあります。
実際に仕事で女性の多い職場では構えてしまっていましたし、緊張感を持っていました。
女性だけの職場を避ける傾向が今でもあります。

気の強い女性を避ける傾向もあり、うわべだけの関係しか築けないことも多いです。
深く関わりを持ちたくないという潜在的な願望を持っているため、本音で話せる同年愛の女性の存在は少ないです。

近くに住んでいる友人でさえ連絡をとらないことで身を守っています。
本当は話したい、けれども怖いという感情を持っており、人付き合いの悪い人間になりました。

FBも本名のアカウントを消しました。
私自身を消すことで、過去のつながりを断つことにしました。

彼女たちはキラキラした日々を送っていることをFBにアップしています。
もちろんそれは生活の中の一部だと分かっていますが、そんな写真たちを見ると苦しい状態になりました。

その反面、私は精神障害をもちながら、生きることに必死な日々を送っていることに自己卑下してしまったのです。

いじめは影響を大人になっても何らかの形で跡を残します。
大人ならパワハラ、差別、脅迫、何らかの形で訴えることもできることが子ども同士のいじめにになると重症になったり死ぬことにならないと表面化しないのです。
大人なら犯罪になることが学校内で行なわれていることが現在になっても続いています。

果たしてこのままで良いのでしょうか?


今、いじめに苦しんでいる人へ

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いじめは犯罪だと思っていいです。
我慢するのではなく、信頼できる人を探してほしいし、なんなら児童相談所、警察に言っても良いことです。

反撃が怖くなりますよね。
そんな時は死なない方法を取って下さい。

学校なんて社会が決めただけのコミュニティでしかないです。
逃げて生き延びてほしいと願います。

戦い必要なんてありません。
逃げてほしい、ただそれだけです。

行き場がないときには、図書館や図書室に行ってみてください。
自分の知らない世界という名の本たちに癒しを得て、世界が広いことを知ってほしいです。

学校が全てではありません。
どんな形でも大人になることができます。

大人になればそんな学校のことなど関係ない世界があります。
大人になっても出会いはあり、友達もできます。

いじめは犯罪です。
だから、あなたは守られて当然なんです。

私が伝えたいことはそれだけです。


スガカオル

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