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岸田奈美さんの『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』を読んで|読書感情文

会ったこともない、知り合いでもない家族を、こんなにも大好きになってしまった。
人生でそんな経験あるだろうか。

このnote、最初は「読書感想文」で書こうとしてみたけれど、どこからどう見てもこれは「読書感情文」だった。


岸田さんについて

私はnoteでたびたび、岸田さんの記事を読んでいた。


まるで目の前に彼女とちゃぶ台を挟んで、氷の溶けてしまった麦茶を傍らに向かい合ってずっとお喋りを聞いているような感覚のする彼女の不思議な文章は多くの人をぐっと惹き込んでいたわたしもその一人だ。

岸田さんは、歳も私と近くて、わかるわかる!なんてことや、いやいやそんなことある?!なんてことを電車や街中、家や仕事の休み中の合間に読んでは、なんだか笑ってしまったり、考えさせられたりと様々な時間をくれた。

本が出る、というお知らせを聞いて「そうなんだ」と思っていた。
なんとなく試し読みをしてみる。気づくと何故だか「読みたい」と思い、あれよあれよという間に本を手にしていた。それが金曜日のことだ。
本に惹きつけられる、という経験が何度かあって、そのうちのひとつのように思えた。

そして、つい先ほど『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』を読み終わったわたしは、母に「元気?」とラインをしていた。
そして「よかったら読んでみて」と家族のグループラインに送っていた。
わたしが色々選んで、好きに勉強ができて、そうしてわたしを信じてくれている家族に。

大事な人に読んでもらいたい本

わたしは、落語家になりたい。
わたしは、コントの脚本家になりたい。
わたしは、ドラえもんになりたい。
わたしは欲張りだから、それらを全部ひっくるめた、作家になりたい。
                                       (本文より)

この本、なんの本なの?と聞かれたとき、私は
「なんの本…?作家の岸田奈美さんっていう人のお話?」とまずラインで書いていた。次いでは言わずじまいだったが「大切な人に読んでもらいたい本」と言って、今なら「読んでいると、きっと自分にも他の人にも優しくなれる本」だというかもしれない。

岸田さんの家族は、車いすユーザーのお母さん、ダウン症の弟さん、まだ彼女が中学生の頃に亡くなったお父さんだ。

なんじゃそりゃあ!大変だと最初は思うだろう。
でも不思議と読んでいると、ふっと心が軽くなるのだ。
岸田家の面々は世界規模で強い、それは根源的な力強さというか、ことばにするのがむずかしいのだけど、気がつくとずっとポケットに入っていた本当に大切な宝物みたいな力強さを感じる。
そして、読んでいくにしたがって、彼らを大好きになってしまうのだ。

飾らない、どこか愛嬌のある岸田さんの言葉たちは、彼女の人生や言葉を通して、私自身の語りかけてくる。
まるで自分の話を聞いてもらっているような感覚がするのは、自分にとって解らないことや、感情、出来事だったりをどこか感じるからなのかもしれない。

笑って、泣いて、また笑うんだ

『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』を読んでいるとき、私はよく笑って、泣いて、そしてまた笑っていた。
そう、泣きながら笑ってしまうし、笑いながら信じたいと思うのだ。

どのお話もすごく好きで、きっとこれからもなんども読み返すんだろうなという予感めいたものを感じながら、紙をめくっては笑っていた。
泣くというと、ものすごく悲しいことがあったとか、悲痛なことが書いてあったとか思われるかもしれないけれど、この本は、泣きながら笑ってしまうのだ。

後から、情景も、感動も、においすらも、思い出せるように。
つらいことがあったら、心置きなく、忘れてもいいように。
父のときみたいに、もう忘れたりしないように。どうせ後から読み直すなら、苦しくないよう、少しばかりおもしろい文章で書こうかと。
無意識にわたしは、選択していたのだと思う。
       (P116-P117 忘れるという才能より)

彼女の言葉はどこかきっと自分と重なる部分が少なからずある。
実際出会ったこともないし、話したこともないけれど、心のどこかでそう感じるのだ。

そして帯には阿川佐和子さんのコメントがある
これまた不思議な縁で帯を書いてもらうことになったという話だったけれど
「この本を読んだら強くなれる、多分。泣きながら笑う技と、怒りながら信じるコツがたっぷり書かれているからね。」というこの言葉がまさにぴったりな本なのだ。

選ぶということは、信じることなのかもしれない

愛ってなんだろう。
わたしは、「選び続ける勇気」という話で出てきたとある話がぐっと心に残っている。

わたしは家族を信じることを、自分で選んでいいのだ。
逆もまた同じで、家族はわたしを信じることを、選んでくれたのだ。
                                                  (本文より)

なんとなく、この歳になって、まわりには色々な人が増えた。
そして少なからず、焦燥感だったり、劣等感だったりを抱くことになる。
もちろん、そんなことは当たり前で、わたしもきっと無意識に誰かと自分を比べていたのだと思う。

この文を読んで、信じる人や信じてくれる人は、ちゃんとわたしが選んできた道で、それが今に繋がってるんだと思えるようになってきた。失敗も含めて、だ。
そして、これからもっと自分の愛する人、そして信じるということを選んでいいんだ、と思えた。

さいごに

冒頭で「会ったこともない、知り合いでもない家族を、こんなにも大好きになってしまった。」と書いた。だって本当に大好きになってしまったから。
そんな経験、人生でなかなかないかもしれない、そう思ったわたしは読み終わって、母とラインをした後すぐにこのnoteを書きはじめた。

しかしながら子供の頃からわたしは読書感想文がすごく苦手だった。
うまく言葉にまとめられないし、ありきたりなほぼあらすじのような感想文を出していたような気がする。本を読むようになったのも最近のことだ。
このnoteは読書感想文とは言いがたいかもしれない、だから「読書感情文」と名付けることにした。

そういえば、初めてのnote投稿の時こんなことを書いていたことを思い出した。「言葉というカタチにすると、自分の中に少なからず積み重なる気がしている。」
…というわけで、少し初心に戻って、今回は読書感想文ならぬ、読書感情文を書かせてもらった。今更ながら、こんなに書いてしまって読む人はいるのか、謎ですが…ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!

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