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思ったこと、詩、備忘録。

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最近の記事

短歌 「屋根」/「みどり」

2023年6月3日の詩人の会で「屋根」、「みどり」をテーマにその場で作った短歌 「屋根」 肩車 つま先歩き 塀の上 頭の上の 物知り隣人 守り守られていること 気付けないの 日々が進んでゆくことも 「みどり」 今日はね 私少しね 特別なの 皮肉にも君は汚れるけれど ゆりかごは 命を包む 土の上 空のどこか 海の中にも あなたがね 連ねる言葉 想像するの 風と花と命あるもの

    • 水仙

      薄く張られた湖の氷のような静寂 針一本を落としたら 吐息を吹きかけたら まつ毛がはらりと落ちてしまったら この世界はきっと消えてしまう 水の反映のアラベスク そっと手を差し伸べる 世界が壊れないように、 きらめきを捕まえるように、逃さないように この一瞬は永遠のもの この世の全てに思えた水鏡 落ちた涙は水面を揺らす 世界は乱れ、壊れてゆく 君の姿はもう見えない それでもきっとまた君と巡り会う 根付いた場所で一生を終える花 死後の世界の再生史を知らないまま 早朝の涙が水面

      • 『盲目と少女(と、)』

         川端康成『掌の小説』という短編集の『盲目と少女』という作品を読んで大事なことを思い出したので記録する。  『盲目と少女』は特にここで取り上げたい点を簡単に言えば盲目の人が指先に目が付いているように物の位置や建物の場所などを把握しているという話だ。私はこれを読んでいる途中に去年だったか、一昨年だったかに渋谷駅の構内で点字ブロックから大きく逸れた場所で立ち往生している白い杖の男性に、念のためと思って声をかけたこと、そしてそこで感じたことを鮮明に思い出した。  男性は実際困っ

        • 夢を見た、それだけ。

          ノスタルジーな夢を見て 溶け出す記憶 解け出す時間 遠くで、深層で、声が響いた 今さら僕が呼ばれた理由 今から君が伝える杞憂 きっとわからないままだけど。 ノスタルジーで夢を見て 忘れてないの あなたの足音 消えてないの あなたの形 ぼんやりと色を持ったセピア色 永遠の色彩 声が遠のいていく。 今日はきっと、もう二度目のおやすみなさい またきっとどこかで会えたら、 懐かしい歌を口ずさんで。 

        短歌 「屋根」/「みどり」

          備忘録、音楽。

          高校1年からバンドを始めて、本格的に始めてからは早4年と言ったところだろうか。 ずっと私はギターとボーカルを変わらずやっているけれど家族からはお前は歌が下手だから歌うな、とかヘタクソとか聞いてらんないとか、昔ほどじゃないけど今でも言われ続けている。 これが全ての原因ってわけではないんだけど、これがかなり引っかかってて音楽に対する自己肯定感が著しく私は低いし、事実、元がすっごく下手なので褒められるのは得意じゃない。 でも最近は結構褒められることも多くて、正直どんな顔したら

          備忘録、音楽。

          東京

          東京通い2年目。通学時にしているイヤホンからはいろんなバンドの"東京"が流れてきて、それぞれのフィルターで東京は全然違うものだからそれが面白いと思っていて、だから私も"東京"歌おうとか、簡単に言えたらどれだけカッコ良いかな。

          東京

          出会い

          何十億の人がいて、 何千という言語がある。 めまぐるしいそんな世界で ただ一人の君に出会えた。 それなのに 君の言葉がわからない。 私は君の言語を知らない。 語法も、文法も知らない。 掬っても、掬ってもこぼれていく。 掴めない。 それでも君が私を呼んだ。 君の足跡を辿る。 新しいものに出会う。 それを辿って、ほどいて 君の言葉を知っていく。 君の魂を知っていく。 そして、また君と巡り合う。 出会いは続く。 たまには各駅停車で行こう。

          出会い

          何かに取り憑かれたように眠る。 何かが私の中に入り込んできて 何かに私は支配されてゆく。 見たことのない世界 うっすらと見覚えのある世界 馴染みのある世界 嘘みたいな世界 いろんなところへと連れ出される。 その世界にはたくさんの登場人物がいる。 こんにちは。 私たちどこかで会ったことありましたっけ。 いや、私たち本当はこれから会うはずなのかしら。 夢の中で出会う、顔も名前も、どこに住んでいるのかも知らない人たち。 目覚めたら不思議と忘れてしまうのだろう。 いつも夢から覚

          春の始まり

          温かな日差しと、生ぬるい風が 氷の中の新たな命をくすぐる。 この季節になると私は幼い頃から 早咲きの河津桜に呼び寄せられる。 昔は届かなかったはずの枝が、今は目前にある。 植物は例え老いたとしても 再び生まれ変わって 何回も新たな命を芽吹かせる。 新たな花を咲かせる。 そして永遠の美しさを保ち続ける。 だけど人間は生まれ変わらない。 生まれ変われない。 ただ、ひたすら歳を重ねて、老いてゆく。 若さや美しさはきっと消えていってしまうだろう。 私はあれから歳を重ねたから背

          春の始まり

          鬼は外、福は内。 桃太郎は鬼退治へと出かけました。 鬼はみんなから隔てられて、忌み嫌われて、 私たちの知らない未知の場所に住んでいる。 それなのに私たちの言葉では人を鬼に形容することがある。 "心を鬼にする" "鬼の目にも涙" "鬼の霍乱" これらは人間の陰の部分を鬼に例えているようにも見える。 もしかしたら、本当は鬼の住処は人の心の陰にあるのしれない。 私たちは節分には 心の邪気が消えますように 少しでも、綺麗な人になれますように、 と願って鬼を外へ追い出す。

          おはよう、 早起きの君に起こされて あの丘に登りに行く お寝坊な朝日に照らされた天女の羽衣が 目下の景色をぼかしてゆく 紫色に染まってゆく 午前5時前のまどろみ もしかしたら、まだ夢の中にいるのかもしれない いつもみたいに布団に引き込まれて溶けてゆく 今が何時だとかもうどうだっていいよ おやすみなさい、おはよう、また会おうね 私たちだけの言葉で私たちだけの話をしよう そろそろ私たちの朝が来るよ

          斜光

          斜光、それは 写真を撮る時に対象に立体感や質感を与えてくれるものらしい。 もしも真っ直ぐ、真上からの光だったのならば、 対象はどこか味気ないものになってしまうかもしれない。 世間では、真っ直ぐでいることを善とする風潮がある。 真っ直ぐでいることはとても疲れるし、時には斜めに、捻くれたくもなる。 斜光はそんな私を肯定してくれる。 斜めの方が良いことだってあるし、時に美しく、誰かを救うということを。 真っ直ぐでなくても良い。私らしく、道は照らせる。

          斜光

          姿

          私に目線が向けられる 平面上に姿が抽象的に縁取られて 次第に顔、腕、足が生まれる そして私の姿が描き上げられる。 あなたが捉えた私の姿。 風が吹く陽が差す窓辺 カーテンが私をさらう そこに影が生まれて、 そして私の姿が浮かび上がる。 カーテンが捉えた私の姿。 魚が跳ねる音がする 好奇心に手繰り寄せられて 底の見えない池を覗き込む そして私の姿が映し出される。 水面が捉えた私の姿。 鳥もまだ鳴かない早朝 悪夢から目を覚ました 乱れた布団から這い出る すると私の姿が形作られ

          私の大罪

           皆様、ご機嫌よう。TKGです。突然ですが「大罪」と言われたら何を思い浮かべますか?人を殺めたことでしょうか。人を傷つけたことでしょうか?窃盗でしょうか?今回は私の大罪を告白したいと思います。  端的に言うと私の罪は「死体遺棄のお手伝い」です。ね、大罪でしょう?私はこの大罪を背負っていることが辛いです。死体遺棄はしたくてしているのではありません。それが仕事なのです。仕事にせざるを得ないのです。  私は夜から深夜にかけてのスーパーのお掃除、雑用係のようなアルバイトをしていま

          私の大罪

          ふれた

          雨に触れた 雨足は次第に加速して 我が足も比例する 空色のワンピースが雨に包まれて 真夜中色に染まった 心が振れた 感情がとぐろを巻いて 雨と共に流れる 優しさの雨に打たれて 未練未酌の雨を降らせた ここに降れた 感覚が研ぎ澄まされて 全てが私のものになる 雨の煌めきも、匂いも、リズムも、 吸った空気の味わいも 雨にふれた 君にふれた 時計の針は午前1時に振れた

          ふれた

          夏の終わり

          長い長い夢から覚めた 時刻は18時 薄暗い部屋で夏至からもだいぶ遠ざかったのだと知る 空が次第に闇に染まっていく 形容し難い寂しさと虚無感に囚われて 私はどんどん闇へと吸い込まれてゆく もう君は隣にはいない 私ぼっちの世界 得も言われぬ違和感の中で気づく もう秋めいているのだ 小さい頃、昼寝から目覚める度に 涙を零していたことを思い出した それはきっと闇に包まれゆく世界への恐れだったのだろう 季節は巡り、また次へ移る 変化の中で私は変わらないままだ あの夏に忘れた貝殻

          夏の終わり