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短編:【3号棟のその先で】

「スミマセン、この住所の所に行きたいのですが…」
夏の暑い日、必要以上に叫び鳴くセミの声。小さなハンドタオルで汗を拭いながら、白い半袖のYシャツを来た女性が声をかけて来る。
「ここの住所で間違いないようだけど…4号棟って…」
たまたま2号棟の前でバケツで打ち水をしていたシニア女性が答える。
「やっぱり、3号棟の先って、5号棟…ですよね」
「う〜ん、ウチはもう50年、ここの2号棟に住んでいますけど、4号棟は…」
「そうですよね…いやウチの父も転勤が多くて、私も昔、しばらくこんな感じの集合住宅の3号棟に住んでいたことがあって…そこも4号棟は無かったように記憶してまして…」
昭和の集合住宅では「4」という数字を嫌う風習が根付いていた。縁起が悪るかったり、入居者も敬遠されるなど理由は様々である。

「失礼ですけどこの住所にどんな御用が?」
「申し遅れました、役所の者ですが…」
彼女は首からかけたIDを見せる。
「児童虐待の恐れがあると匿名の連絡がありまして、その際に頂いた住所がこちらの…」
「4号棟…」
「もしかしたら電話を受けた役所の者が聞き間違えたのかも知れません」
「聞き間違えねえ…私も最近は耳も遠くなって…あ、でもあれのことかなぁ…?」
「え?」

シニア女性が手招きをして、3号棟の先、5号棟の手前に連れて来た。
「あの…この場所…?」
「ゴミの収集場所」
それぞれの棟には自転車置場と背中合わせにゴミ収集所があり、昔ながらの作りで入口以外には電灯がない。
「窓はあるんだけどね、ほら、建物の横に大きな木があるだろ?あの鬱蒼とした葉っぱが、窓の光を全部遮断してしまってね、3号棟のゴミ捨て場は真っ暗なんだよ…」
「ですけど、この場所が4号棟とは…この暗さと木の伐採を管理人さんにご相談した方が良いのでは?」
「もう随分前から管理人なんていないよ…3号棟の住民も半分以上いなくなっちゃって、気味が悪いんだよ、この空間…」

他の棟ではゴミ収集場所に外光が入り、そこまで気味悪さは無いと言う。
「たまに夜な夜な鳴き声が聞こえるような気がするんだよ」
「泣き声!?…子供ですか?」
「あー!あー!って寂しそうな…」
「でも…見たことないんですよね?」
「ほら他の棟に入って不法なゴミを捨てられると困るだろ?だから昔ね、よその住人が入らないってルールを決めてね…私たちは気になっても入れないんだよ…」
現在のように至る所に監視カメラがついている時代とは異なり、住民同士で話し合ったのだろう。いまはかつてのような横の繋がりが希薄になってしまった気がする。
「役所の人間だったら大丈夫だろ?」
「役所も縦割りですし担当が…」
「ちょっと覗いて見てくれよ。連絡があったんだろ?」
大義名分、錦の御旗を手にしたシニアは強引だった。

仕方なく、その真っ暗なコンクリートの中に入ってみる。
「失礼…しま〜す…どなたか…うっ!!!」
目が合った。真っ白い1メートルくらい、耳の横にピアスをした、おカッパ頭の女の子。まっすぐ立って大きな目でこちらを見ている。完全に目が合った。
「うわ〜!」
慌てて外に飛び出す。
「なに!?なにがあった!?」
シニア女性は反響した声に驚き、後ろに飛び退いた。
「子供がいます!白い…女の子」
「女の子!?」
「大きな目の…目が合いました!」
「もう一度もう一度!ちゃんと見て!人形かも知れないから!」
「人形なんかじゃないですよ!こんなこんなこんな」
1メートルくらいあると手でサイズ感をアピールする。
「宇宙人じゃないの!?」
「でも…白いおカッパの…」
「カッパ?」
「違う!おカッパです!」
「ちゃんと!ほらもう一度!」

渋々再度挑戦する。
「失礼…します…」
怖さが先行して目を閉じて入室。目を開く時が怖い。
「い!」
やはりいた。
「スミマセン、驚かせてしまって…」
そしてしゃべった。
「いる!いた!」
腰を抜かして這い出でようとする。
「ちょっ、ちょっと待って!」
動けない。結果、ゆっくりと観察する。人形なんかじゃない。うっすら光を放った白い少女。
「ありがとうございます…」
「あなたは…」
「猫です」
「猫…?…化け猫?」
「人から見たらそうかも知れません」
「何で人の風貌なの!?」
「猫の姿で話しかけたら怖くないですか?」
いまでも十分怖いような気もするが…
「こうした暗い所で人と会う時に一番不自然じゃない姿ですから…」
少女は丁寧にゆっくりと語り出した。
「もう15年くらい前でしょうか、ここの集合住宅に住んでいた女の子に助けて頂き、ご自身の部屋でしばらく内緒で餌をくれました。ところがすぐに引っ越ししちゃったんですよね。秘密だったから一緒に連れて行くことは許されない。その子が旅立つ時にきっと迎えに来るからと、この暗い部屋に置いて行きました…」
「捨てられた…ってこと?」
「約束です。絶対に来るからと。一宿一飯の恩義もありますしね…」
子供心に、人に見つかって欲しくない感情と、それでも無事に生き続けて欲しいという想いがあったのだろう。間違っても捨てたワケではない。その気持ちが、なぜだか分かった気がする。そしてちゃんと伝わっていたのだと安堵する。猫も15年も生きれば人にも化ける。きっとその時助けてくれた少女の姿で立っていたのだろう。
「ずっとここに?」
「そんなワケないじゃないですか!少なからず人の出す残飯もありますけど、ここにいたら他の住人に見つかってしまうでしょ。それにここは姿を隠すには持って来いです。あの大きな木があるおかげで、上の窓からも出入りができるし、暗いから人はあまり寄り付かない。どうやら私も間もなく旅立たなくてはいけない」
「人をおどかすためにために隠れていたワケではなく、待っていた?」
「街に住み着く猫たちは、案外情報共有していてね。どこで餌がもらえるとか、誰がいなくなったとか、誰が戻ってきたとか…」
「猫って自分勝手で気分屋だと思っていたけど、そんな一面もあったんですね…」
「…そろそろあなたが来るんじゃないかと思ってお待ちしていたんです…」

ひと通り事情は聞けた。
児童虐待ではないが、動物虐待、飼育放棄になるのだろうか…

落ち着いたので、とりあえずシニア女性に説明しようと収集所の外に出る。しかし入口の前に女性はいなかった。もう一度ゴミ収集所の中を振り返ると、おカッパ少女も消えていた。

2号棟まで戻ると、さきほどのシニア女性がいくつかの小皿に猫の餌を入れて建物から出てきた。それに合わせて周辺から数匹の猫が現れる。
「ダメですよ、野良猫に餌をあげちゃ!」
「いいんだよ。この辺の猫は地域猫で、去勢の手術もしてあるし、耳も切ってある。集合住宅ではペットは飼えないけれど、居着く猫も多くてね…可愛そうだから今いる住民で面倒みているんだよ…」
白い猫が近づいてきた。老猫だ。耳が切ってある。私をジッと見ている。
「あ!」
切られた耳の位置が、さっきの少女のピアスに見えた。
「で?白いカッパはどうだったんだい?」
「カッパじゃないですよ…まあ、あの…」
猫の餌を食べて舌なめずりをしている白猫。耳を立て会話を聞いている。
「少なくとも児童虐待とは関係ないかと…」
「そうだよね。ここら辺にはもう小さな子どもがいるようなお宅はほとんどいないし…」
「でもなら誰が通報したんでしょう…」
「この場所の状況を役所に伝えたかった誰かだろうさ…」
再び白猫を見たら、知らん顔をして尻尾をピンと真っ直ぐ立てて、お尻を見せながら3号棟の奥へと歩いて行く。
「または猫の思念によって操られた老人かも知れないね…」
シニア女性は餌を食べているトラ猫の頭を優しく撫でている。

15年程前。3号棟に住んでいた少女時代の記憶。
…野良猫は死期が近づくといなくなる。
「そろそろあなたが来るんじゃないかと思ってお待ちしていたんです…」
暗闇で語った猫の言葉。それは役所の私が来ることを待っていた?…
「あのおカッパ…との約束。律儀な猫もいたものだ…」
手の中でミーミー鳴いていた子猫を抱えた感触が甦っていた。

     「つづく」 作:スエナガ

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