短編:【夏は鰻と、】
金がない。まったくない。いやウソだ。ポケットには374円ある。
「あちぃ〜」
なんて猛暑。いや酷暑。真夏日。記録的暑さ。殺人的な夏の日差し。どんな言葉に変換しても同じだ。
「あちぃ〜ょ〜」
暑いだけで涙が出る夏は、人生で始めてだ。いやウソだ。去年も、その前の夏も、たぶん10年に一度の異常な暑さだった。
公園の水飲み場で蛇口をひねる。チョロチョロと申し訳程度に水が出る。
「…節水制限」
脳裏に現れる四文字。そうですか。そうですよね。税金もまともに払っていない人間には、こういう仕打ちをするんですよね。
「バイトしなくちゃな…」
デリバリーの仕事をしていたが、自転車を盗まれて、職も奪われた。
ソフトクリーム。氷。冷やし中華はじめました。目に入る文字が威圧的に攻めてくる。
「お兄さん、スイカどお?甘いよ!」
買えるはずもない。愛想笑いだけ返す。
焼き鳥の油が炭に滴り焦げた薫りが風に乗り商店街中に広がる。
「公然わいせつみたいに…取り締まれないのかねぇ…」
変な汗が出る。遠くでセミが鳴いている。いや耳元で鳴いているのか?
「このニオイ、…犯罪だよ…」
「西川くん?」
不意に女性の声。
「やっぱり西川くん!」
どっか小銭落ちてないか…と、下を向いて歩いていて、前方からの視線に気づかなかった。
「覚えてない?中学の時、同じクラスだった…」
中学。まだ人生に絶望する前の話だ。
「山崎マユキ」
「山崎…あ、マユキ…」
「そう、マユキ」
ドラマや映画だったらここで走馬灯のようなプレイバックがあって、中学時代、マユキと始めてデートした淡い記憶が蘇るのだろうが、今の俺がそんなモノを見たら、死に損ないのそれになってしまい、そのまま連行されそうで、かろうじて耐え忍んでいる。
「西川くん、ちょっと時間、ある?」
こんな身なりの俺になんの用だ?
「お昼ご飯食べ損ねてね。ご馳走するから…」
ご馳走。
「何食べる?」
「う」
「う?」
「うなぎ…」
「鰻かぁ。夏だしね!」
第一希望指名の選手が、まさかノーマークで獲得出来るとは…
「私ね、中学卒業してすぐ引っ越ししてね。で、いままたこっちに戻って来たのね…」
話が入ってこない。
「西川くんはずっとこっち?」
コクッとうなずく。
「あ!まだあったんだね、この鰻屋さん!」
喉仏から大きな音が鳴る。
「ここでいい?」
コクリコクリコクリと大きく3回。
店に入るとマユキは「2人」と二本指を立てる。
「良かった。予約してないのに入れた…」
ランチタイムを過ぎたせいか、世の中が不景気だからか。ふたり以外に客はいない。1階テーブル席、向かい合わせに座る。
「せっかくなら、ちょっとイイヤツにしようか…」
戸惑いながら、1回頷く。
「スミマセン、この“竹”のお重を2つ。お新香と肝吸い付けてください」
怖くてメニューの値段が見られない。ポケットに入れた手をギュッと握りしめ、374円あることを再確認する。
「でね、こっち戻って来て…」
屈託のない笑顔のマユキがひとりで喋っている。なんだろう。この展開。宗教の勧誘か?何かの詐欺?どう考えても、いまもまだ好き、なんて展開はないだろう。シングルマザーで帰郷して父親代わりの相手を探している、…とか?
…そうだった。あの頃この笑顔が好きだったんだ…
「はい、お待たせしました。竹、2つですね〜」
上質な脂が焦げた薫り…
「このニオイ…」
「え?」
目を閉じて真っ暗になる。
「…犯罪だよ」
細く開いた視線に入る、回る赤色警光灯。
「大丈夫ですか!?」
救急隊員が声をかける。
「お名前言えますか?」
商店街。…マユキは?
「二十代男性。ひとりで倒れていたようです。水分不足、熱中症と、栄養失調…気を失った様子…はい、一度救急に…」
鼻腔に焼き鳥の焦げたニオイ。
山崎マユキの実家。仏壇に、笑顔の彼女がいる。
「わざわざ、ありがとうね」
台所から女性の声。手を合わせる西川。
「いえ…」
申し訳程度に黒いTシャツに、黒いパンツ。
「…2年前、…ですか?」
マユキの母親が氷の入った麦茶を置く。
「あっちで事件に巻き込まれてね…」
「事件…、犯罪…」
「でも忘れてた…あの子…それ好きだった」
お供えにウナギパイが2本。
「バラ売りので…すみません…」
「いいの、ひとりだと一箱食べれないし」
「鰻とウナギパイ…似てないですよね…」
母親は窓の外を見る。
「夏だからあの子も戻って来てるのかな…」
鼻腔をくすぐる線香の薫り。涙が溢れた。
「つづく」 作:スエナガ
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