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この閉塞感は一体なんだと思っていたら、スマホが煙をあげていた

 真夜中、部屋で本を読んでいた。勿論独り。本を読んでいると物凄く綺麗な言葉を見つけた。物凄く興味深い知恵が載っていた。君に見せたい。君はどう思うのかを聞きたい。

 秋葉原で昔好きだったサブカル系を眺めていた。アニメ、漫画、ゲーム。勿論独り。今はもう昔ほど興味はない。でも君は喜んで物色するだろうなと、昔の景色を思い出した。

 池袋のラウンドワン。喧騒の中で気持ちよくなる午前零時。勿論独り。朝まで一人で遊ぶのもいい。でも始発で帰らずに、明日の昼頃までは今日を続けていたい。誰かと一緒に。

 呼び出したくて堪らないわけではない。本当に呼び出して一緒に時間を過ごしたい訳でもない。でも貴方がいまここにいたらどうなるかなと、ほんの少しだけ思う。

 一人の方が自由で、好き放題ができる。だから私は一人で遊び呆けている。しかしその中で、彼女が喜びそうだな、これは彼が好きそうだなと思うことがある。

 見せたいからといって、実際に見せる訳でもプレゼントする訳でも会いに行く訳でもない。ただ、迷惑なのを承知で急に、私が貴方を誘いたくなったことを、思い浮かべたことを知って欲しい。

 スマホとSNSの普及によって世界は随分便利なものになりました。ワールドワイドに連絡が出来るようになったので、ビジネスも光の速さで成長しました。それによって技術も発展したのです。相互作用です。いいことばかりです。

 そんなわけあるか。技術発展の陰で、私たち不器用の民はスマートフォンの文字に囚われることになりました。ネットでも現実でも、「重い」「面倒くさい」という言葉が飛び交っています。簡単に連絡できるから連絡しただけなのに。何してるのかなって、気になっただけなのに、です。

 ラインの返事がないのにインスタ更新されてんじゃん。定番です。貴方が何してるのか、何してたのかわかる。公開されているから、自由に見れる。そして不安になる。公開している側も、公開している癖に見られることを好まなかったりする。見られたいくせに、あまりに見られると気だるそうな顔をする。

 あまりの利便性が閉塞感を生んだのではないかと思います。こちらは素朴な気持ちなのに、相手からしたら鬱陶しいのかもしれないと、不安に感じてしまって、簡単な話が出来ない。一緒に遊びたいなとほんの少しだけ思っただけなのに、ほんの少しの気持ちも口に出せない。

 なんでこんなに距離があいてしまったのだろうと、私は深夜のスナックバーでドライアイに苦しんでいました。もう他にお客はおらず、私は煙草も吸わない。なぜだろうかと、周りを見回すとスマホから煙が上がっていたのです。そうか、これが原因か。スマホがない時代は口約束を互いに固く守っていた。会おう、行こう、喋ろう、もう少しだけ、全部口に出していた。口に出せない時でも、同じ空気を無言が繋いでいた。

スマホは一番大切なところを、何一つ伝えてくれないのです。


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