「燃ゆる女の肖像」(12/15夕方追記)

「燃ゆる女の肖像」を観てきたので感想文です。ネタバレがあるのでご注意ください。数日経った今も思い返すだけで涙が出そうになる作品です。あまりにも気持ちが暴走しているので自分の思いをうまく書けません。ごめんなさい。感情のままに書き殴っています。

まず、この映画では絵画が大きな役割を果たしていますが、わたしには映画自体が絵画のように見えました。どこを切り取っても本当に構図と色が素晴らしい。甘美なもの大好き。それから、映画内の音がいい。とにかく良すぎます。音楽は、女たちの歌声、マリアンヌが弾くチェンバロ(ピアノじゃなくてチェンバロ!時代!ヴィヴァルディ!!)、そしてラストのオーケストラの演奏だけ。あとは炎の音と、波の音と、生活音。セリフもかなり少なかったですね。わたしは、その中で感じる人の息遣いが好きでした。


内容の感想にやっと入ります。

炎/海、赤/緑、観る/観られる(これは逆転もする)、色んな所でマリアンヌとエロイーズは対比されますが、どれだけ親密になっても二人が「あなた」と呼び合い続けるところがどうしようもない距離と終わりを感じさせます。二人は画家/モデル。フランス語を聞き取れなくて、はっきりとは分かりませんでしたが、二人はtu(君)ではなくvous(あなた)を使っていたのではないでしょうか(誰か教えてください)。
わたしはスペイン語なら少し分かるので、tuとvousに当たるtú とustedの差は感じ取れます。結局どちらを使うかは相手との関係性や話し手の相手に対する捉え方によるのですが、だからこそ二人きりの時でもvousのマリアンヌとエロイーズが本当に悲しい。あえて一線を引いているようにも見えます。言葉の使われ方や文法は時代によって違いますし、わたしはフランス語基礎レベルも怪しいので何とも言えませんが、言語とその歴史が分かればもっと感じられることがあったのではないかと悔しいです……。

(先々月観た「スパイの妻」では、戦時中の話だったため、主人公を筆頭に登場人物が古めかしい話し方をしていました。「燃ゆる女の肖像」でも当時のフランス語が話されていたのでしょうか……分からん……悔しい……)


それから、この映画では女の結婚、月経、中絶、仕事についても取り上げられています。幸せな修道院生活から、姉の代わりとして望まない結婚を強いられたエロイーズ。この結婚もそうですが、私は肖像画が先に送られることにも残酷さを感じました。ここでも「観られる」ということが出てきます。自分より先に自分の肖像画が到着し、自分が知らない男に、自分を絵だけで判断される。そして、エロイーズが到着した時、彼はいったいどんな目で彼女を見るのでしょうか。もう、ここはあまり想像したくないです。苦しいです。女は観られる。そうなのです。

女は「女」なのです。

また、エロイーズの母も、肖像画が先に届けられ、結婚し、育った場所にはほぼ帰っていないようです。話しぶりから、彼女もその結婚を心から望んでしたわけではないのでしょう。なのに、彼女はエロイーズに内緒でマリアンヌを雇う所業。しかし、こればっかりは当事者の女だけを責めていい問題ではないというのがわたしの意見です。「82年生まれ、キム・ジヨン」や「シターラ」でも辛い思いをしたはずの女が負の連鎖を生み出すシーンがありました。特に「シターラ」では、児童婚を強制され苦しんだ経験のある母親が、幼い娘の結婚を止められずに話が終わってしまいます。エロイーズとはまた事情が違う結婚ですが、どちらも舞台は男性中心の社会で、女はそれに従うしかなかったのでしょう。今だってそれは残っています。


一方、マリアンヌは父の仕事を継いで生きていくと決めていました。彼女には選択権がありました。しかし、その時代に女が結婚せずに仕事をして生きていくということにも困難はあったはずです。それが、後述の展覧会のシーンでありありと浮かび上がります。どちらにせよ、男性中心ということに変わりはないのです。もし、エロイーズにも選択権があったらーーあっても、彼女は幸せになっていたのでしょうか。


ソフィとマリアンヌの月経についての会話から堕胎のシーンでは、アフターピルの件を思い出しました。わたしはアフターピルを薬局で販売すべきだと強く思っていますし、今、話が停滞していることが腹立たしいです。(これについて話し始めるとかなり長くなるので割愛)。そして、この身体を持って生まれた者の苦しさが今も昔も変わらないことが恐ろしいです。苦しみながら堕胎するソフィの横で笑顔を見せる赤ちゃん。一つの画面に映る生と死。相手の男は一切出てこない。


最後の展覧会のシーンでは、マリアンヌが父の名を使って絵を出品しています。そうしないと、女の作品は見向きもされないそうです。そして、たまたまそこに出されていたエロイーズの肖像画には、彼女の子供も描かれていました。その手には28ページが開かれた本。もう……。この数分のシーンだけで、女の職業と権利について、女と母性について、エロイーズの思いについて、色々と思うことがありました。特にマリアンヌの絵と名前については、冒頭の泳ぐマリアンヌを助けもせず見る男たちのシーンもそうですが、女がことごとく無視されていたということを実感します。憤怒。

あ、わたしはセリフの少なさから秘めた(しかし、心の奥底では燃え上がっている)愛を感じたのですが、静かな女=抑圧された女って感じもする。今ふと思いました。ああ、その分、祭の歌や、エロイーズ、マリアンヌ、ソフィがオルフェウスで盛り上がるシーンが切ない。見当違いかもしれませんが。

そう、この映画では女同士の連携も濃く描かれています。女だけの祭、ソフィの堕胎に付きそうマリアンヌとエロイーズ、手術をするおばあさん、楽しく遊ぶソフィ、マリアンヌ、エロイーズ。男性中心社会故にある意味際立つ女の存在でした。その女たちがいたのは、いつだって暗い場所でした。しかし、そこには火がありました。

2020年現在、少しずつ女を取り巻く事情が変わっている流れが、ムーブメントが、これからも止まらないことを願います。そして、わたしもずっとそれを支援する一人でありたいです。


ラストシーン、オルフェウスの大きな伏線と、エロイーズの表情と、大音量の「夏」のせいで、わたしは泣くこともできないくらいに息が詰まっていました。段々変わっていく表情は物語の全てを語っているようで、そのエロイーズが振り向かないという終わり方は、もう、筆舌に尽くしがたい。劇場を出てから、しばらくわたしは言葉を失っていました。ため息だけは何度もつきました。エロイーズありがとう。



そういえば、この映画を観る数日前、国立国際美術館で開かれているロンドンナショナルギャラリー展に行きました。そこでもわたしは何人かの女性の肖像画を見ました。もしかすると、あの中にもエロイーズがいたのかもしれません。

そこに飾られていた絵は、全て男性画家によって描かれたものでした。



本当はまだまだ書けそうなのですが、疲れてしまったのでここで一旦終わります。この映画の衝撃が大きすぎたせいで、言語化するのが難しい……!また追記するかもしれません。皆さんの感想も是非聞かせてください。(早速追記)なんとなんと!!サポートをいただきました!ありがとうございます!!
結婚を取り扱った映画としてパキスタンの「シターラ」を挙げましたが、同じくパキスタン映画の「娘よ」も児童婚をテーマにシターラとはまた違った展開をする話なので、よかったら観てください。

こんな風に紹介してくださる方も……!本当に、書いてよかったです。

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