仕事でも余暇でもない日々を生き、指標がないと詰む職業への答え
美術作品をつくる人が自分の職業を説明するときの肩書きはたいてい「アーティスト」か「作家」である。(リアルな会話の中のワードとしては「作家」のほうがよく聞く。)
作家ときくと、一般的には小説家など文章を書く職業を連想しやすいけれど、美術の世界では「(美術)作家」という認識というか前提がある。
今回の記事のタイトルは、作家という職業の幕上げをしたら、人生においてこういうカラーリングになりますよという話をしたくて付けた(あくまで自分比。あと後半は少女革命ウテナについての個人的な話。)
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企業内デザイナーだったときのわたしの生活は「仕事」か「余暇」にすっぱりと分断されていた。
平日にフルタイムで仕事をして、週末は一日中泥のように眠る。
これの繰り返しだった。
生活が二極化されていたせいか日常も目的のない時間が無く、休日でも休むための余白がないというか、休める時間がタイムリミットで差し迫っている感覚で常に不安感があった。
翻って、いまは自由な時間がたくさんある。
逆に自分を律する能力or創作意欲が無いとかえって病むであろうことは明らか。
タスクが多くて余白のない日々をおくることも
タスクが無さすぎて余白の日々を過ごすことも、どっちも無理だなと思うわたしがいる。
この世での働き方にわたしが「ちょうどいい」と思うゾーンなんか無いのではないか。
贅沢にもそう思っていたところに以下のテキストが目に入った。
そうか。
この生活の凹凸は、表現する道を歩む者の日常であり運命なのか。
何がしかの〆切が迫って、はちゃめちゃに忙しい密な時間と描きたいものがまとまらないときの体感、表層ともになんにも動くものが無い空白の時間も、その2つを行き来して当たり前なのか。
成功してる人はきっと他の職業についたとしても成果を出すバイタリティに溢れている。
有象無象に欲しいものもたくさんあるのかもしれない。
そう思い込んでいたわたしに、誰あろう、
あの幾原邦彦氏が「実際表現する人の生き方って、こんなかんじ」と発信している。
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「少女革命ウテナ」はほんとうに素晴らしかった。
もしも天国にひとつだけアニメ持っていっていいとするなら迷うことなくこれにする。
リアルタイムで観ていた9歳のわたしにこの難解な作品の真意は掴めていなかったけれど(現在も)、子供心に、なにか見逃してはいけない重要なことがこのアニメには描かれているということは直感的にわかっていた。
どこまでいっても理不尽で不均衡なこの世界に危機を感じた大人が、子どもにその事実をそっと耳打ちするようにつくられた切実さがあった。
子どもながらに、作品に込められた知と美を受けとっていたのだと思う。
メッセージとしては、
この世界は実はとっくに荒廃しているけども、おまえは自分を忘れずに荒むことなく落ちることなく生きよ。
そんなふうに解釈している。
物語は日常に埋没されずに頭の中の別の引き出しにしまわれてあるから、いつまでもずっと大切なまま。
アニメの最終回は自己陶酔を排除した、ほんとうの自己犠牲の末に起きた結末だった。
それについていけず飲み込めず、当時のわたしは胸いっぱいウテナロスに陥ってその日の夕食を残した。
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一流の人がその人生のハレとケの落差の体感を端的に表したこのテキスト、目にしてとっても勇気が出ました。
必要以上に卑下せず、自分を平気で生きられるための平素の言葉としてずっと大事にいたします。いつまでも応援しています。
(いつか幾原氏がこのnoteをご覧になるかもしれない、そのときのために)
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