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今を生きる。自己の向上発展

12月31日、お節料理を作っている最中に、おじいちゃんがなくなった。
まるで、2020年春になくなったおばあちゃんの後を追うようにして。

数日前まで施設で歩いていたぐらい元気だったのに
突然で悲しかったけども、悲しさよりも
ただただ、感謝でしかなかった

私が物心ついた頃から、
独学で学んだ英語を教えてくれたり、洋画を見せてくれたり
その延長上でホームステイでオーストラリア人連れてきたり
海外に行ってはお土産話してくれたり
海外が好きになった影響は間違いなく祖父譲りであろう。

そのほかにも
歴史が好きで、定年退職後には大学にもう一度行き
わざわざ東京まで行って、7年ぐらいかけて卒業。

化学が好きで、家で太陽光パネルの代わりに
ペットボトルを黒塗りにしたもので、水のリサイクルができるように
正直今でもよくわからないけど、面白い実験たくさんしていたり

ものを作ることが好きで
英会話サークルで英語もするし、小道具も全部作っったり
庭に小鳥が過ごせられるようにコヤを作ったり・・・

とにかく好奇心旺盛だった。

また、いつも遊びに行くたびに
「よおきてくれた」と大歓迎で迎えてくれたり。
一方的に最近の出来事があったことを話していると
「うんうん、そうか〜」と、話遮らずずっと聞いてくれたり
さりげにお茶を出してくれた。
帰るときは、足腰弱くても、わざわざ外まで出て見送ってくれる。


「なあ、なんでそんなになんでもできるん。」

と、幼い私はおじいちゃんに問う。


「今を生きるんや。」


また宿題が嫌だな〜と言う話をしていると


「ちょっと先頑張るんや」


本当にシンプルな一言しか返ってこなくって

何なのかさっぱりわからなかったけど、
大人になっても覚えてると言うことは、
この言葉の答えを見つけ出したいから、ずっと覚えているんだろうなと思う。


おじいちゃんがちょっとずつ物忘れが出てきたとしても、

「今が大事やからな、今を生きるんや」
「ちょっとだけ頑張ったらええんや」

ただただそれだけは、私たち孫にずっと言ってた。


歳を重ねるにつれていろんなことを経験していく中で

予期不安の方が多かったりする。

「今が大事・今を生きる」
「ちょっとだけ頑張ったらいい」
と言う、
おじいちゃんの言葉がふと現れて、

「こんなに悩んでてもなんもないよなあ」
「まあいいっか。今できることやればいい」
「罪悪感より今楽しんどこ」
「こんな経験も今しかないしな〜」
「やる気ないけど、ちょっとだけ頑張ろっと」

と、今にフォーカスできるようにできるようになってきた。

今を楽しむことで、また目の前にあることを取り組むことで
充実感や達成感が生まれたり、思わぬところで繋がったりしての喜び
ちょっとした未来に進めていたり、いつの間にか継続できていたり
いろんなものことを生み出せることもできるし、得られることもできる。

シンプルで大切なことを教えてくれたおじいちゃんには感謝ばかりだ。

最高の遺言・最高の遺産を私たちに残してくれたものだと思う。

またここ最近、よく書店や記事に
「今を生きよう」と言うフレーズを目にすることが多くなったけど、
おじいちゃんが言っていたことが、20年以上前から先取ってるなあ。
おじいちゃんすごい。と、しみじみ思う。


そんなおじいちゃんの遺品整理中に
理系だったおじいちゃんが文系にも挑戦しようと始めた
エッセイ講座の添削で提出した、エッセイが出てきた。

その中で、おじいちゃんの生き方で大事にしていることが書かれていた。


「私が一番大切にしている事は、自己の向上発展で、そのために考え方や行動を
昨日よりも一歩前進させること」


確かに。今を生きる延長上で昨日より進んでいるか。自分の変化に気づけているかと言うことをおじいちゃんは意識して生きていたんだろうと思う。

ほかにも、見たことがなかったおじいちゃんのスケジュール帳もあり
日々の出来事が書かれたよこに、自分は何ができたか、また嬉しかったことなど感情や考えをシンプルに書かれているのを見て、

だからおじいちゃん、こんなになんでもできるんや・・・。
と、答えがわかったような気がした。


年齢重ねるとともに
日々成長。日々自己の向上発展。

今を大切に。

そうあっていきたいと思う。

おじいちゃんに感謝。


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