仕事の属人化を許せば差は開くばかり
「それはケースバイケースです。」
「一概には言えません。」
「いろいろです。」
―――業務プロセスの仕組み化を検討しようという際に、必ずと言っていいほどこうした意見を言う人が出てきます。いわゆる"現状を変えたくない"と言う人たちのそれらしい意見です。
そんな人たちからしたら、毎度毎度難しい状況を頑張って対処しているわけで、それをパターン化・仕組み化すると言われたら「そんな単純じゃない」と言いたくなる気持ちもわかります。
しかし、「ケースバイケース」と言っていたら、いつまでたっても仕組み化なんてできません。毎回特定の人物によるその時々の判断となり、場当たり的な対応となってしまいます。
というか、「それはケースバイケースです」と言ってる暇があるなら、目の前のケースに対して方策を言うべきなんじゃないかな?といつも思ってしまいます。
長く経験してきた人や「有識者」と呼ばれる人たちであれば、それでもなんとかできるかもしれません。
しかし、そんな組織に若い人材を投入しても、よほど優秀なポテンシャルを有していない限り、期待通りに成長するという保証がどこにもありません。
「ある層の人材が不足している」
と言う嘆きの多い組織は、要するに「属人的」で「仕組み化」から縁遠い運用をしてきた証でもあるのです。そう言うと
「自分は場当たり的な対応などしていない。」
「勉強会や育成はしている」
との反論も聞こえてきそうですが、そもそもどんな場合にはどう対処するということが言語化できないのですから、仮に頭の中にはそれらしいプロセスがあったとしても外部の人間から見れば「場当たり的な判断」と言われても否定できません。
ケースバイケース…もちろんそうです。
世の中にあるすべての物事や事象に何ひとつ同じものなんてありません。世の中の誰もがケースバイケースで対応していることでしょう。
同じ商品を同じお客さまに提供したとしても、最初のケースと次のケースでは、お客様の状況も、世の中の情勢も、なにひとつ同じことはありません。
しかし、抽象度を上げていけば必ず共通項は出てきます。
もしくは共通項を自分たちでつくっていけばいいのです。
今日食べた「りんご」と昨日食べた「りんご」は味も色も形も微妙に違います。世の中に同じ「りんご」は一つもありません。しかし、それらを抽象的にまとめて「りんご」と呼ぶということに決めてあるわけです。
仕組み化とは、
都度、人の判断でやっていることを事前に場合分け、パターン分けして、
どう対処するかという判断やその条件をあらかじめ決めておき、
それをルール化、フロー化したものをそして言語化(文書化)する
ことです。このことが理解できていない人が、属人化をいつまで経っても止めないのです。
たとえば、この世の中は『法律』で社会のルールが決められています。これがなければ、全ての行動はその都度人の感情や気分といった"何か"によって裁かれなければならなくなってしまいます。そしてその判断基準もその都度人によってい違うということになれば、何が全で何が悪かまったくわからなくなり、怖くて何もできないということになってしまいます。
企業も同じです。
「こういう場合はこれをやる」
「こういう場合にはこれをやってはいけない」
という条件ごとのアルゴリズムをあらかじめ決めておかないと、場当たり的で当てずっぽうの経営ということになってしまいます。当然、企業でも、部署の運営でも同じですし、チームによるプロジェクト活動においても同じことが言えます。
結局ケースバイケースと言っている人は
抽象化に向き合っていないか、あるいは
仕事のプロセスやノウハウといったものを自分に帰属させておきたい
…つまり「自分にしかできない仕事」にしておきたい
ということです。
組織を束ねるものは、リーダーであれ課長であれ、部長であれ、もちろん社長であっても、そんな社員の自己重要感を断ち切り、個々のケースを抽象化して仕組み化し、「誰でも」できるようにしていかなければいけません。
そうしない限り、ごく一部の「有識者」頼りの組織となり、どんなに新人を増やしたところで、ここで言う「誰でも」に加われず期待した通りの仕事ができないまま「使えない」というレッテルだけを貼られることになってしまうわけです。
言語化されなければ情報として知識に変換することもできません。
知識として吸収する機会が無ければ、当然「有識者」になることもありませんから、組織全体の能力向上を阻害する確信犯としていずれ大きな歪みに飲み込まれていくことでしょう。
「それはケースバイケースです。」
「一概には言えません。」
「いろいろです。」
冒頭の発言の後、たまたまひとつの特別な事例をあげてパターン化できないと主張する人がいたら、私ならこう言います。
「それはたった一つの例でしょ。
通常のケースはこう、イレギュラーとしてはこういうパターンがある、
というように言語化してくれないと俺もわからないし
他の人もわからないでしょ。」
と。
なぜ仕組みが必要かを言語化すれば、そういうことです。
仕事が属人化していると、その人がいなければ仕事は回らなくなりますし、属人化しているものは他人からは手を出しにくく、意見も言いにくいので、その手法や進め方が改善されていきません。
「あの人のやり方」がずっと残ってしまいます。
それはもう組織活動とは呼べません。個人活動です。
これでは、時代や市場の変化に対応できません。対応したい人がいても、限られた「有識者」以外には手が出せなくなってしまうからです。
一方、業務が仕組み化されていると、誰にでもできるようになりますし再現性が担保されます。さらに知識や技術が特定の人に張りついていないので、問題や課題を発見した時に現状否定しやすいし、修正・進化が容易となります。
また、業務を標準化して仕組みでまわしていると、イレギュラーなことが起こった時には当然ながら「これはイレギュラーだ」と誰もが認識できるようになります。
仕組み化された"通常パターン"に存在しないわけですから、気づけないはずがありません。そうなれば、どうすればこのイレギュラーな事象を事前に予防することができるか、という発想を持てるようになります。
もし、仕組みにしていなければ「有識者」以外はイレギュラーであることも認知できず、問題や課題があることにも気づけません。そのままスルーしてしまって大きな事故に発展することだってありえます。
さらに仕組みという「型」「フレームワーク」があるとイレギュラーな事態が発生したと認知できるうえに、「このイレギュラーが発生した原因や背景はなんだろう」と俯瞰して考えることができ、これまで気づいていなかった顧客側の事情の変化や新たなビジネスの種に気づくということにもつながります。
改善を繰り返し、冗長的なコストや労力を削減していくと、当然『利益率』が向上します。
企業の成長は「売上」ではなく「利益」の大きさで決まりますので、利益が多く出せる企業は、成長率も比例して大きくなるのは道理です。その「利益」を上げるために最も効果的な方法が
(機能的)仕組み化
なわけです。
つまり、
業務を標準化・仕組み化で回している会社と、
属人的・場当たり的に対応している会社とでは、
差はどんどん開く一方
ということです。
みなさんは
業務の流れを言語化し、仕組み化をすすめて
個人に依存しない組織的能力を進化させますか?
それともただただ
業務を人に張りつけて「辞めないでね」と祈りつつ、
個人の啓蒙活動による成長に頼りますか?
わかりますよね。
後者がただの他力本願、ただの個人事業主の集合体でしかないということに。
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