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「仕組み」を疎かにすれば待っているのは衰退

ある街に、おいしいハンバーグを出すレストラン「A店」があります。
住宅街にあって、十数人も入れば満席になってしまう小さな店です。
この店には腕利きの達人シェフがいて、彼がフライパンをふるうと中身はほどよくジューシーで、表面には香ばしく焦げ目のついたハンバーグが焼きあがります。これが絶品の味わいで、私のような素人が家でやろうとしても、とても同じようにはできません。

「A店」には、この達人シェフのほかにもうひとり若い料理人がいます。
ふたりは週の半分を交代で厨房を担当していますが、若い料理人は達人のように上手にハンバーグを焼くことはできません。達人もたまに若い料理人を指導していますが、それでもなかなか同じレベルには届かないようです。

またシェフのほかに、ホール係として数人のパートさんが交代で務めています。
なかにはよく気のまわる客あしらいの上手なベテランもいるのですが、人によってはお冷やを出すのを忘れたり、後から注文した客に先に料理をだしてしまったりなど、接客の技術にはずいぶん個人差があります。オーナーは気づいたときに注意をしてはいるものの、基本的にはパートさんそれぞれのやり方にまかせているようです。

達人のハンバーグが評判をよんで「A店」はそれなりに繁盛しています。しかしそれ以上に店の規模を拡大したり、店舗を増やしたりすることは難しそうです。

一方、同じ街の駅の近くに、ファミリー向けのレストラン「B店」があります。
「B店」には、先ほどのような達人シェフはいません。それどころか調理を担当するのは主に学生アルバイトです。ですからハンバーグの味も達人の店にはかないません。

しかしこの店では、誰が調理場に立っても同じ味になるようマニュアルがつくられています。調理担当になったアルバイトは研修をしっかり受けて、調理の手順やコツを教わっています。

ホール係にも、同じようにマニュアルがあります。とりわけ愛想良く客に接するスタッフもいますが、そうでないアルバイトの人たちも総じていつもてきぱきと動き回っています。

「B店」は、近隣のエリアに順調に店舗を増やしています。

この2軒のレストランについて、皆さんはどのように感じましたか。

 「レストラン『A店』はもったいない。
  もっと指導をちゃんとすればいいのに」

と思われる方もいるでしょう。
あるいはグルメの方なら、こういう感想を持たれるかもしれません。

 「でも、達人のハンバーグを食べてみたい。
  ファミレスは所詮ファミレス」

私も食べることはそれなりに好きなので気持ちはよくわかりますが、しかし「一度行ってみたい」とは思ってもその後「また行きたい」「今度は同僚や知り合いを連れていこう」となるかというと、利便性や費用対効果などを考慮するとそれはまた別の話です。

さらに「A店」の達人シェフが、

 「もっと大きな舞台で仕事したい」
 「自分だけが負担を被るのは割に合わない」

と思っていると「B店」へ転職と言うこともあり得ます。そうなると世間は厳しいもので、「A店」からはすぐに客足が遠のき、閑古鳥が鳴くようになるでしょう。

一方「B店」はと言うと、達人シェフのハンバーグを学生でもつくれる簡単なレシピに落としこみ、「達人の味・絶品ハンバーグ」としてさっそくすべての店舗のメニューに入れることでしょう。

マニュアル化すると言うことは、仕組みを読み解き、理解し、形式知として周知・展開すると言うことだからです。

そうすれば「B店」の人気料理のひとつとして、定着することになります。


人間に絶対はありません。

病気や退職、プライベートな事情など、何らかの理由で急に仕事ができなくなることは、誰にでもありうる話です。そのとき、その人が現場からいなくなった途端に何もまわらなくなるようでは困ってしまいます。

私も過去、ブラックな環境で仕事をしていたことがありますが、その際には上記のような状況に陥ったことがあります。

肺炎になっても仕事が落ち着かず、入院が必要となったけどそうも言っていられないので病院に「自宅療養」させていただくよう交渉し、実際には出勤して週1で通院…ということをしていました。

腸閉塞になってさすがに救急車に運ばれてそのまま緊急入院となりましたが、「見舞い」と称して毎日のように仕事を持ち込んでくるプロジェクトマネージャーがいました。私1人でほとんどの情報整理/意思決定を行っていたため、いなくなった瞬間から現場が回らなくなってしまっていたわけです。

事業/業務で問題となるのはいつの時代も実務において個人の能力に頼りきりで、何かがあったときに他の誰かが対応できる「仕組み」をつくっていなかったことです。

これは、先ほどのレストラン「A店」にも同じことがいえます。

安定しているときはたった一人の達人に頼りきりになるのもいいかもしれません。ですが、そうでない瞬間が来たらあとは慢性的に自転車操業状態が続き、目の前の仕事にあくせくするばかりで、先のことを考える余裕など皆無となることでしょう。

そうなってから後悔しても後の祭りです。

開発などで起きるトラブルも基本的には、そうして起こります。

たしかに仕組み化すると言うことは「型」や「枠」が用意され、判断や行動に制限がかけられることにもなります。プライドが高い人や自己流でパフォーマンスが出せる人にとっては自由意思がない状況を好ましくないと思うかもしれません。

しかし、会社は組織であって、個人事業主の集合体ではありません。
烏合の衆では困るのです。
個人の自由意思が、組織的仕組みより重宝されてはならないのです。

そもそも個人と言うのは組織よりもはるかに限界が小さく、できることも限られています。組織は組織であるからこそ、個人では為しえないような成果を出せるようになっているはずです。

にもかかわらず、個人を優先するような思想はかならず将来、組織にとって必ず毒となっていくことでしょう。

達人シェフがいれば店が安泰なのではなく、達人シェフの知見を活かし、達人シェフに頼りきらなくていい仕組みを作ることで、いざ達人シェフが不在となっても困らない、安泰な店が出来上がるのです。


そもそも「仕組み」とは、いったいどういうことでしょうか。

「仕組み」とは、「誰が、いつ、何度やっても、同じ成果が出せるシステム」のことです(System とは、直訳すると「仕組み」や「制度」のことです)。

以前、再現性と言う話をしましたが、覚えていますでしょうか。

「同じことを実施すれば、同じ結果となる」と言う正確性を保証するための品質特性です。さきほどの2軒のレストランにあてはめて考えてみると、よくわかります。

「A店」は、せっかく腕のいい達人シェフがいたにもかかわらず、その技術は結局達人シェフだけのもので終わりました。店がすごいのではなく、達人がすごいだけです。店に対して信頼感があるわけではありません。だから彼がいなくなったら、店の売上げはたちまち落ち込んでしまいます。

他方、「B店」では達人シェフのハンバーグを、学生アルバイトでも味を再現できるような簡単なレシピに落としこみました。そうすることで、「シェフ個人の味」を「店の味」にすることができたわけです。

これこそが「仕組み化」です。

達人にとっては、自分の価値が下がってしまった気になってしまうかもしれませんが、それは誤りです。価値が高いということは希少性が高いということでもあるのですが、だからこそその人にばかり負担が集中し、おそらくは報われない扱いを受けることでしょう。

ほかのメンバーやアルバイトの100倍働いたら、100倍の待遇を受けるかというとそうはなりません。少なくとも日本の法律では「時間」に対してのみ一律同じ条件が課されるだけですので、店側が100倍の待遇を与えると定めない限り、8時間働けば達人もアルバイトも同じ8時間という扱いしか受けません。よくて数倍程度の待遇しか受けられないでしょう。

では数倍分しか仕事の負担を負わなくていいかというとそうもなりません。属人的であることを許容し、仕組化を施さなければ結局頼れる人が限定されてしまうため、ほかの人が負担を分担できないからです。

このケースで考えたとき、「仕組み」をつくることのメリットは3つあります。

まずひとつめは、店の料理の味が良くなること。
次に、同じく料理の味が安定すること。
そしてもうひとつは、達人シェフの才能をより活用できるようになることです。

どういうことかというと、「仕組み」をつくらないかぎり達人シェフは看板メニューのハンバーグを毎日繰り返し焼きつづけなければなりません。しかし、他の誰もが同じ味のハンバーグを焼けるようになれば達人シェフは新メニューの考案や、若い料理人の育成に力を使うことができるようになります。

組織を拡大することも、強化することも容易になるでしょう。

休暇だってとりやすくなりますからワークライフバランスが向上し、従業員満足度の低下を防ぐことにもなりますし、仕事への集中力だって上がるに違いありません。

「仕組み」をつくること、「仕組み」を遵守することによって、仕事は単調な日々の繰り返しから次のステージヘ進むことが可能となるのです。


さて、ここで質問です。

「できるビジネスマン」と聞いたとき、みなさんはどのようなイメージが頭に浮かんできますでしょうか。

 ものすごい量の仕事を、誰の助けも借りずに、
 ストイックにバリバリとこなすような、
 スーパーパワフルなビジネスマン

なんてのを思い浮かべるかもしれません。

それは半分あっていますが、半分は不正解です。

半分あっているというのは、どんな仕事をするにも当然のことですが、最低限の能力は必要だということです。そしてもちろん最低限では困るわけで、高ければ高いほどいいのです。

これは当たり前ですね。

しかし、能力が高いだけでは「できるビジネスマン」とはいえません。
それが、半分不正解ということの意味です。

たとえば、3万円の商材を扱っている販売会社で毎日コンスタントに10件の契約をとってくる営業マンがいるとします。パーソナルな営業スキルの高さと実績だけを見れば、彼はかなり優秀ということができます。

しかし、自分の営業成績を上げるだけではなく、そのノウハウをマニュアル化するなどの「仕組み」づくりを行って、毎日コンスタントに8件の契約をとれる部下を10人育てている営業マンがいるとしたらどうでしょう。

自分の能力だけで、毎日30万円を売り上げる営業マン。
自分が営業に出なくても毎日240万円を売り上げる「仕組み」をつくった営業マン。

どちらが本当に「できる営業マン」でしょうか。

言うまでもありません。

 ①高い能力を身につけていること
 ②そしてそれを「仕組み」にすることができること

この2点を兼ね備えていることが「できるビジネスマン」の条件です。
そしてそういうビジネスマンを増やせる組織が、本当に「強い組織」と言えるのです。

こういう発想や思想は「自分さえよければいい」「自分以外のことは知ったことではない」という考え方の人には絶対に根付きません。自分を取り巻く周囲とバランスを考えようと言う発想が必要なのです。

 自分(達)だけができてもダメ
 誰かに任せきりで放置するのもダメ
 能力不足を補う姿勢が無いとダメ
 できる奴に仕事を集めると言うのもダメ
 できない奴には仕事を任せないと言うのもダメ

相互にフォローアップしながら仕事の質や量を平準化させていく意識が無いと絶対にできません。仕組み化できる仕事にとって凸も凹も不要であり、悪なのです。

このことがわからないまま自分の能力不足を補わない人は、それこそ本当に将来はAIに取って代わられることになるでしょう。

もちろん、仕組み化できない仕事というものもあります。

仕組み化できないものを無理に仕組み化しようとすると、それも事業や業務の破綻要因となりますので、その点だけは注意しなければなりません。

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