仕事が遅い理由
仕事にスピードが重要だとわかってはいても、実際は多くの人が仕事の遅さに悩んでいます。私も、20代の頃はそんなことがよくありました。同じ仕事、同じタスクを長期間繰り返すことが無く、日に日に新しいことを実施していたので特にそうだったかもしれません。
まず仕事において絶対的な真理を1つお話しておきましょう。
みなさんも子供のころに算数で「みはじの法則」「はじきの法則」などと学んだことがあるかもしれません。
そう、今ではこんな図もあるほどです。
こんな小学校で学んだ基礎的な式も、ビジネスには十分応用できるんです。
道のり = 成果
速さ = 時間あたりの業務効率
時間 = 時間
とした場合、
成果 = 業務効率 × 時間
となるわけです。
通常、ビジネスでは成果(=ゴール)は先に決まっています。特に「契約」によって始まるビジネスであれば間違いなく先に成果(=ゴール)が定義されているはずです。仮にできあがるのはこれからだとしても、どんな形でできががるべきかは先に決まっているものです。
もし決まっていない場合は、まず「成果(=ゴール)を決める」ところから始めましょう。
次に時間ですが、これもあらかじめ定められているものです。先ほどと同じように「契約」によって始まるビジネスであれば「いつでもいいよ」とはなりません。期限を定めなければビジネスは成立しないのです。上司から部下に依頼するとしても、期限はやはり定めるでしょう。
このように、ビジネスというものは成果・時間・業務効率のうち、先に成果と時間は固定化されていることがわかります。どうしても難しい場合は再調整させてもらうことも可能かもしれませんが、調整しようとすればするほど評価や満足度は下がっていくことになります。
なにはともあれ私たちが、私たち自身の手によってコントロール可能となるのは
業務効率
だけなのだということは知っておきましょう。
そのうえで、それでもどうしてもスピードが遅い…すなわち業務効率が悪い人はどのような特徴があるのか、一つひとつ見ていきたいと思います。
すぐ始めることができない
仕事が遅い理由のかなりの部分が、じつはスピードの問題よりも、
「すぐに着手しない、着手できない」
ことに起因することが多々あります。もちろん正しく成功を収めようと思ったら準備や段取り、関係者との足並みを合わせるための調整なども必要なことがあります。ただ我武者羅に始めればよいというモノではありません。ですが、そういった準備や段取り、調整すらも始めようとしない人がいます。
「できればやりたくない」
「面倒くさい」
「やったこと無いから不安」
等、色々な理由を経て「No」と言ったことがある人も多いことでしょう。目先の仕事にかまけて遅れる、何だかんだ理由をつけて始めようとしない、ということはないでしょうか。
緊急時や本当に急ぐときはすぐに対応するのですが、そうでもないときはもっと目先の、本当はそこまで重要ではないがちょっと急ぐこと、誰かに急かされたことにかまけ、本当は大事でとっくにやってないといけないことを1日、また1日と後回しにしてしまうことがあります。
一度後回しにし始めると「遅れたからちゃんとやらなくちゃ」と思い、ちゃんとしようとするからさらに遅れるようになります。そして遅れた分、挽回してよりよい結果を出そうと焦ってミスを増やすから、その手戻りでさらに遅れていきます。
こう思ったらほぼアウト。
遅れている段階で質を上げて挽回することは大変むずかしくなるでしょう。
他の仕事も待ってはくれるわけではないため、十分な時間など決して使えないからです。
挽回することは、無理してでも最初にやってしまうことより何倍もつらいし大変です。遅れ始めると、「もういいや、しょうがない」となってさらにずるずる延びていきます。
一度遅れた、後手になった、というだけで悪循環が始まります。
ストレスを感じ、仕事全体のスピードにも影響し始めるようになっていくわけです。
ちなみに、私の場合は大抵のこと…たとえば、一般の社会人から見たらほぼすべてのことに対して「No」を言わず、早々に取り組むのがポリシーです。
「ビジネスに"No"はない。
ビジネスはすべて"条件付きYes"でしか成立しない」
は、新人教育などでよく説明するセリフであり、私の持論でもあります。どうしてもやりたくない場合は断るのではなく、相手に諦めてもらうのです。
相手が、指示・依頼する以上、条件を設定する権限はこちらにあります。
その条件を満たす場合に限って、依頼を受けることができるのです。言い換えれば、確実に受けるための条件を提示する義務がこちらにはあるわけです。
条件さえ満たしてもらえれば、あとはグダグダ言わずに着手するだけです。満たされている以上、やらない理由もやれない理由もありはしないのですから。
やるべきことに集中できない
すぐ始めることができたとしても他のことが気になったり、上司・部下・同僚・顧客などの依頼に応えたり、応対したりで集中できないことが非常に多い…ということがあります。
私も大抵の仕事は、完全に集中できる環境にありません。
過去を振り返って、
「完全に集中できれば、もっとパフォーマンスが出てたはずなのに」
と思うこともしばしばです。
人は何かに集中すると、他のことがおろそかになってしまう、おろそかというか後回しになってしまうものです。しかも、真面目で勤勉な人ほどそれを嫌って、ついこまめに対応してしまう傾向にあります。
そうした対応は生産性を落としますし、本当に大事なことから片付けられなくなるので、仕事がたまり悪循環になっていきます。大事な仕事がどんどん後回しになって、その結果また仕事が増えて収拾がつかなくなるのです。
こまめに対応したくても、そこはその場の気持ちに流されず心を鬼にして、今最も重要な課題に取り組む必要があることを肝に銘じましょう。
ところが、それを頭では理解していても、私も含めてほとんどの人は集中できず、悪循環にはまっていくんですよね。
これには「周囲」の協力が必要不可欠です。
最も問題となるのは、「周囲」の都合だけが優先されて振り回されてしまうケースです。たとえば上司。上司は部下の仕事よりも上司の指示や命令の方が優先度が高いと思い込んでいます。だから
上司「〇〇をお願いしたいんだけど、今大丈夫か?」
と聞いてくれて、しかも双方のタスクから優先度を見極め、再配分する…なんて上司はなかなかみかけません。
他の人も「お時間大丈夫ですか?」「ちょっといいですか?」と割り込んでくるとき、どんなに忙しそうにしていてもとりあえず聞きに来たりしますよね。それ自体が集中を乱すとわかっていても。
たとえば私がよく行っていたのは、本人の机の上に
といった付箋を置いておくとか、本人のタイムスケジュールを確認してタスクとタスクの切れ目を狙ってお伺いに行くとか、自分の方を最大限調整する…なんてことをしていました。
それは同僚相手でも、上司相手でも、もちろん部下相手でも変わりません。そうした「ちょっとした配慮」で相手の集中力が途切れることなく、高いパフォーマンスを維持できるのであれば、それもまた事業や企業、組織への間接的な貢献といっていいのではないでしょうか。
段取りが悪く、後手後手になる
仕事を比較的すぐ始め、集中できたとしても、段取りが悪いと稚拙あるいは愚直な仕事のやり方になってしまいます。
生産性を大前提とした場合、真っ先にすべきは『段取り』です。
段取りとは、言い換えれば
計画と準備
を指します。
といったように、あらかじめわかっていることであれば前倒しでやっておくべきなのに、その場その場の後追いで必要に迫られて動くことになると、結果として数週間から数か月の時聞を口スしてしまうことになります。
この原因はおそらく想像力や先読み力の欠如にあります。
言い換えればリスクマネジメント力の欠如と言ってもいいでしょう。
リスクとは常に危険を指す言葉ではありません。プラスに転じる予期せぬ事態も同様にリスクと言います。なぜなら、リスクとは「計画にない予期せぬ事象」を意味するからです。
よって、「良いリスク」と「悪いリスク」の両方があるものと考えます。
あらゆる仕事は
「誰がすべきか」
「いつまでに何をすべきか」
「そのためにはいつまでに何を仕込んでおくべきか」
「どこに何をいつまでに依頼すべきか」
等を考えながら進めなければなりません。
これは子供たちが経験する"遠足"にも同じことが言えますし、日々お母さんが作ってくれる"料理"でも同じことが言えます。
たとえば、数品のおかずを冷めずに手際よくつくるには、時間のかかるものから先に茄でておくとか、塩もみしておくとか、下ごしらえしておくとか、
段取りをよく考えて進める必要があります。ゆえに、最小単位のマネジメントにおいて、最も優れているのは主婦だという声もあるほどです。
「段取り」が悪いと、前に進めるために必要なステップをすぐに踏むことができず、あらゆるところで待ちが生じて悪循環になり、後手後手になっていきます。
残念ながら、段取りを軽視したり、段取りが悪い人は、マネージャーには向いていません。なによりも、そのマネージャーの下に就いた人たちが振り回されるだけで、誰も幸せになれません。
優柔不断、迷う
仕事が遅い大きな理由として、優柔不断があります。
優柔不断とは、さっさと決めて動けばいいのに決めることができない状況を指します。
迷うことに迷う。
こうなると、
顧客候補にどういう提案をすべきか
来期の目標をいくらにすべきか
一応成果を出すものの、部下の評判が非常に悪いマネージャーをどうすべきかなど、素早く情報を集め、判断し、動くべきところで何もできなくなります。
優柔不断になる理由には、一般的には
などがあります。
自分の判断に自信が持てないと、過去の失敗体験や、仕事に対する知識・経験不足、あるいはその不足への過剰な意識から、決定し動くことができません。動けないからといって仕事の精度や質が上がるわけでもなく、ただただ時聞を無駄に費やしてしまうことになります。
情報をいくら集めても意思決定できない場合には「いつまでに何を決定し何をすべきか」という目的意識/切迫感がなく、だらだらと情報だけ集め、具体的なアクションを先延ばししてしまうことが多くなります。
情報はたとえば「右に行くべきか、左に進むべきか」といったいくつかの選択肢に対して意思決定するための単なる手段であるはずなのに、不安であるがゆえに情報を集めること自体が目的化してしまうのです。
問題は、こういう情報収集をして、仕事をした気になってしまうことにあります。
自分の意見があっても、反対意見が出た瞬間におろおろしてしまう人もいます。「自分の意見に自信がない」という以前に、全体像や過去の経緯、今回の仕事の背景を全部考慮しておらず、自分でもそれがわかっているために引け目を感じてしまうのです。
要はきちんと宿題をやらずに「こうかな? こうしよう」と決めてしまっているので、反対意見に対して前向きに議論することがうまくできなくなっているのです。
このような人は、双方の意見のよいところを取り入れて新しいアイデアとしてまとめることもできません。結果として優柔不断になり、仕事のスピードが一向に上がらない、ということに陥ってしまいます。
書類・資料作成が遅い
書類・資料作成に時間がかかりすぎることは、仕事が遅い理由の筆頭かもしれません。一言でいえば「ドキュメンテーション」。ですが、メールやSNSに慣れてしまうと、とにかく短文で仕上げる癖がついてしまって、
「相手目線で誰が読んでも理解できる」
ようなものになっていないことが多々あります。そうやってダメ出しを何度もされると、どんどん相手の顔色ばかり気にするようになって、特定の人にだけわかるものを作るようになるからさらにつぶしが利かなくなっていきます。
というケースもよく見かけます。大抵は、おそらく上司もどういう書類、がほしいのか、肝心のところはよくわかっておらず、出てきてから指摘すればいいと思っているのです。
そうして手戻り工数が増大すればその分、生産性が低下し、仕事がより遅くなるのに、そのことに対して上司が責任意識をまったく持っていないのです。自分の要望を的確に、暖昧さなしに伝えられる上司と言うのは、ほとんど見たことがありません。
もっと悪いことに、上司に言われた(と思われる)通りに書類をつくっていったら、
「そうじゃない。そんなこと言ってないだろう?」
とか、指示をきちんとしていなかったにもかかわらず、
「センスがないなあ。一から十まで全部言わないとわからないのか」
「〇〇はこのくらい言っておけばちゃんとやってくれるけどなあ」
とか言われることも珍しくありません。
後出しじゃんけんで修正を要求されることもしょっちゅうです。
そして、このことからわかるのは、
こういうことを言う人に限って、自分はまともにできない
こういう人の周りは常に、生産性が低い仕事の仕方を推し進められる
こういう人は大抵の場合、部下に嫌われる
ということです。
書類・資料作成に時間がかかるのは、もちろん上司のせいだけではありません。上司に何を指示されたのかよくわからないとか、またどうせ怒られると気にやんだりして、つくり始めるまであれこれ悩んでしまう側にも問題があります。タイトルも中身も、考えすぎてしまうのです。考えること自体はもちろんよいことですが、それは内容が深まっていくときだけです。
自信なく考えても、要点も決めずに考えようとしても何も改善はしません。下地をゼロのままにしていても、何も積み上げていくことができないのです。
何とか仮の方針がまとまって作成モードになったとしても、全体像が必ずしもはっきりしていないため、作成中に次々に迷いが湧いてきて、半分以上書いたあとで一からつくり直すことも珍しくありません。
また、会社の業務である限り、書類・資料を作成する際に、過去の書類・資料を参照すべきことは多々あります。
ところが、
参照すべき資料がなかなか見つからない。
バージョンがいくつもあり、どれが最新だかわからない
ことも頻繁にあります。こういった理由から、仕事時間のかなりの割合を書類・資料作成に取られる人が多くなります。
しかも、企業規模が大きくなればなるほど、多くの書類・資料作成を要求されていきます。本質的な部分について考えることを止め、書類・資料の細かな部分までチェックして、フォーマット通りに完成させることが「正」と考えているような事務的なスタッフの存在も、時間を取られる大きな要因になっていると言えるでしょう。
メールに多くの時間を取られる
メールの対応にも多くの時間を取られます。
メールが毎日数十通なら少ないほうで、数百通以上来る人も決して稀ではありません。読むのに時聞がかかるうえ、返事を書いているうちに、さらに次々にメールが届きます。未読メールがどんどん増え、気が滅入ってしまう方も多いのではないでしょうか。
私も、会議が終わってPCを見ると数十通追加で溜まっていたりする…というのも珍しくありませんでした。
メールを書いている最中にふと見ると、さらに10通以上増えていたりする。
返事ができないうちに仕事が増えてしまうことが多く、思わぬ方向に展開して困惑することもあるのです。問題点への対応が遅れ、状況がさらに悪化したりもします。
こちらにも都合があり、段取りもあるのですが、問題が起きたときは後手になりがちです。
一度後手に回ると、悪循環で問題が広がり、関連部署が動かざるを得なくなり、メールがどんどん増殖していきます。
初期に対処していれば数通のメールに対応したりすぐ謝罪したりしておけばよかったことでも、数十通、数百通に対応せざるを得なくなったりするのです。
そういう悪循環でなくても、メールを書くこと自体がそもそも苦手で、ちょっと込み入ったメールだと1通書くのに数十分以上取られる人も多かったりします。
メールを書くのが遅い人は、
というようなことがあります。
タイピングが遅い人は、ブラインドタッチができずワンフィンガーだったり、ツーフィンガーだったりします。またしょっちゅうキーの押し間違いをしたり、メールの基本に驚くほど不慣れだったりもします。ある程度慣れた人に比べると、時聞がかかっていることがわかると思います。
言葉が浮かばない人は、ミーティング設定など簡単で定型的なメールは何とかできるものの、依頼したり、お詫びしたり、交渉したりする際に大きく詰まってしまいます。
状況に応じてこう書くべき、という基準を普段から考えておかない人は、いつもゼ口べース、かつ手探りでメールを書くことになります。毎回おっかなびっくりで書くから時聞がかかるし、内容もどうしてもぶれてしまい、何かと揉め事になりやすい傾向があります。
具体的にどこまで何を書いていいのか見えず、いつもだらだら書いてしまう人は、頭の中が整理されていないのです。整理する前に動いてしまっているのです。
何のために何をどう書いて、相手にどうなってほしいのか
どのくらいまで細かく書かないといけないのか
を考える癖がないので、延々と悩みます。
メールは慣れれば慣れるほどスムーズにやり取りできるのですが、仕事の幅が増え、責任が重くなると、スピードが上がる以上にメールに書くべき内容の難易度が上がり、結局1通を書く時聞があまり短縮できなかったりもします。まさに、いたちごっこです。
会議が多い、時間が長い
ほとんどの会社では、
など、色々あると言います。
みなさんの会社はどうでしょうか。
1時間半、2時間程度の会議はざらで、もっと長い会議も頻繁に開催されることもあるかと思います。しかも、1時間半の会議だと思ったら延々と続き、2時間たっても、2時間半たってもいっこうに終わる気配を見せない、ということもあるでしょう。
上長が時間を気にせず続けるものだから、誰も終わらせることができない。
結果として、予定を大幅に超過し、1日の大半が会議で終わってしまうケースもあるかもしれません。
会議の目的、期待成果が明確ならともかく、それが暖昧で招集だけされるというのもよく経験することです。「出ておかないと不安だから、念のために出る」、でも出たところで何か貢献できるわけでもない…というのもよくあることです。
そもそも発言の機会さえ与えられないまま終了する会議も傾向として多くあります。なかには笑い声が頻繁に聞こえてくる会議もあって、仕事しているのかどうかさえ怪しいものも散見されます。
多くの会議ではてきぱきとした議事進行はあまり見られず、「糸の切れた凧」状態になりがちです。最初だけ事前の議題に沿って進むが、誰かが脱線し始めたらもう収拾がつかないアレです。
事務局、司会進行(ファシリテーター)が元に戻そうとしてもなかなか言うことを聞いてもらえないか、議題に戻そうとすること自体を批判されたりすることもあります。
結果としてだらだらと話が続くが、何も決まらない…という状況に陥ります。
誰も決めようとしないし、誰かが決めようとすることに対して単に反対のための反対をしたりもする人もいます。反対することで、自分の賢さを示したり、自分の立場を誇示したりするためです。
自分の賢さを示せるどころか、周囲の失笑を買うのですがそれでも止めることはありません。だいたいは立場がそこそこ高いの人が、誰かに反目しあってそういう動きをするため、事務局や司会進行がやきもきしてもどうしようもできないのです。
結局何も決まらないため、再度会議が設定されることもままあります。
「いったいこの2時間半は何だったのか」と思いつつ、元々の目的だった議題も後回しになる。時間切れの場合、翌日ならまだしも「翌週の定例会議で」となることも多いため、本来はすぐ決めて行動に移すべきことがいとも簡単に1週間先送りになることも往々にして起こります。
私の周りではなかなかみかけませんが、下手をすると参加者の時間調整のため、2週間先あるいは1か月先になってしまう…というのんびりした会社も少なくないはずです。
さらに、大きな会社になればなるほど似たような会議がいくつもあって、誰もその違いをよくわかっていないということが普通に起きてきます。
よほどおかしな会社でなければ数年に一度、会議簡略化、会議コスト削減運動などがトップから指示され減らすものの、しばらくすると必ず増殖し、元に戻ってしまいます。
元に戻るだけでなく、何か問題が起こるたびにまた新たな会議が追加され、本当の問題解決の時聞が取れず、そのためさらに問題が起きて会議が追加されるというのが悲しく馬鹿げた現実です。
会議の本来の趣旨は、
というものです。
しかし、なかには自分の情報収集努力が不足していたがために、他人を巻き込むためだけに開催し、結果として自分は何の発言もなく、誰かに依頼して、楽をする…と言うケースまで生まれます。参加する側も他人の栄達のためだけに呼び出されるので、自分事としてとりあわず無責任気味となります。
会議は、本来なんでもかんでも有識者を揃えればいいというものではなく、当事者同士で解決するための糸口を探るものです。
「三人寄らば文殊の知恵」とすることが目的であって、
「文殊」を呼び出して丸投げするのが目的ではありません。
そして、会議の最大の問題は『会議をすることで仕事をした気になる』ことです。何も結論が出ていなくても、雑談で終わったとしても、何も発言していなくても、です。
会議が終わって「ああよかった。ここで一服」とか、「コーヒー飲んで一休みしよう」と休憩モードに入る人は非常に多いといわれています。
何も決まっていないときや、決めた方針をさらにブレイクダウンして直ちにアクションを取らなければならないときでも、長時間の会議を1つこなすと一休みモードになってしまいます。
これでは仕事の速さも早さも、どちらも大きく損なわれることにつながりかねません。
差し戻し、やり直しが多い
さんざん上司やお客さまに文句を言われ、意見を入れてつくった書類や企画案なのに、その上司やお客さま自身に会議で簡単にひっくり返されたという方も多いと言われています。
暖昧な指示や依頼しかしていないのに、
自分の意に沿うものが自然にできあがることを期待している
と言う人が世の中どれほど多いことでしょうか。自分も何がほしいかはっきりイメージできず、したがって指示や依頼も「あれ、よろしくな」とか「あれやっといて」とか「あんな感じで」程度で終わってしまう。
しかも、そのことに何の疑問も感じていないのです。
指示された側は、相手の期待を推察して書類や企画案をつくるものだと思い込んでいます。いわゆる「忖度」重視で、発信者側の責任意識が低い…と言う日本文化の典型的な悪例となっているわけです。
自分が部下だった時にそういった上司にどれほど悩まされたかは、不思議なほど忘れているのです。
指示された側のほうはもちろん困って、何とか相手の考えを探ろうとしますが、相手のほうはそもそも自分が何をほしいのかきちんと考えていないし、それは自分の仕事ではないと思っていることも多いので、指示内容を確認する質問すらあまり喜びません。
自分の指示が暖昧なことを棚に上げ、
「そんなこと自分で考えろ。金をもらってるんだろ!」
などと、平気で言ってしまう人もまだまだ多いと言います。「自分ならどうするのか」を普段から考えていない、考えられない人がほとんどなので、書類や企画案を仕上げるまでに不毛な時聞が延々と過ぎていくことになります。
何度も何度もつくり直しをさせられ、そのたびに嫌昧を言われた経験を持っている人もいることでしょう。
何度か直された最終的なものが、自分が提案した最初の案だったということも決して少なくないでしょうし、それに対して「やはり俺の案が一番だな」と自慢する馬鹿な人に嫌気がさしたことがある人も、世の中にはいらっしゃるのかもしれません。
そういう無駄な時間を膨大に費やした結果、いつしか書類や企画案はできあがります。
しかし会議で発表する場になると、ここからがまた一騒動です。
相手の意見を無理矢理反映した書類や企画案なのに、会議の場で全体の意に染まないとわかった瞬間、手の平を返したような態度を取るのです。
全体の意見に完全に同調して、それが自分の元々の意見だったかのように、元々自分が指示して変えさせた書類の内容を節操なく非難してくることもあります。
実際、そういうケースは私も過去に何度かであった場面があります。
「彼の経験がまだ浅いものでして、まあ大目に見てやってください」
と言ってくれるならまだしも、こちらが反対したにもかかわらず持っている権限で押しきってきた点を100%指示された側の責任にしたりすることもままあります。
こういうことがあると時間を大きく口スするだけではなく、相手が無能であればなおのこと、そういう人を評価している組織へのロイヤリティや仕事に対するやる気も一気に下がってしまうことになります。
「手戻り」コストは、単純に工数や予算を圧迫するだけでなく、社員一人ひとりの心も大きく疲弊させます。
そのため、上司や先輩、あるいは指示者、依頼者は、この手戻りが極力発生しなくてもいいように、手堅く準備を進め、段取りを見直し、指示・依頼を遂行しなければなりません。
むしろそれができないのであれば、他人に指示・依頼するべきではないのです。
私は、某IT企業が持つ、
"一本目チェック"
という概念と似たような仕組みを以前から持っていました。同じような考え方を導入している企業がいると知った時は、なんとなく嬉しくなったものです。
個人的にこの方法は、コンサルティングの世界では常識とされる「Quick and Dirty」の概念を取り入れ、問題の早期発見と手戻りの最小化を図っているのではないかと解釈しています。
すなわち、
「この理想をどうやって体現するか?」と言うことが、生産性向上において最重要と考えています。方向性だけ唱えても、具体的手段が無ければ"絵に描いた餅"ですからね。
もちろん、某IT企業がそう考えているかどうかは確認したことが無いのでわかりません。私自身が個人的に続けていた取り組みが「Quick and Dirty」と同じであると知ったのも随分と後のことです。最初は随分感覚的だったと思います。
しかし、そうやって
というやり方を推進してきて、他の人よりも仕事のスピードで後れを取ることは無くなりました。
スピードを確保できるということは、
与えられた期限まで、有効時間に余裕ができる
ということです(旅人算的に)。余裕ができれば、失敗してもやり直しができる時間を確保できるということです。やり直しOKの余裕ができれば、心の余裕もできます。失敗が怖くなりません。ますます伸び伸びと仕事ができるようになります。
上司やお客さまに『口では言うけど、自分では作れない』という人が多いことはよく知っています。
…と言うのはよくあることです。そういう性分なのか、自分の案に責任を取りたくないのか、それともきっかけを与えないと記憶から引きずり出せないのかはわかりませんが、『たたき台を作って議論した方が捗る』のはどこでも同じだと思います。
ですから、時間的な無駄遣いをなくすためにも、相手を都合よくコントロールし、最小コストで最短の道を進めるのであれば、あれこれと考え、悩むではなく、間違っててもいいのでさっさと作って持っていき、確認してもらって指摘をいただいた方が良かったりするのです。
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