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自分自身の中の「常識」や「価値観」を疑うことからすべてを始めよう

自分のやりたいことを思う存分できたとしたら、たぶん人生は幸福なはずです。いや、少なくとも不幸ではないのでしょう。

しかし、それがわかっていても毎日に充実感を持てなかったり、漠然とした不安を抱えている人は少なくありません。もし自身がそうなら自分を捉えて窮屈にしている自分の中の「常識」「価値観」を疑ってみましょう。ひょっとすると外的要因ではなく、原因は自分の中にあるかもしれません。

IT業界に横たわる暗く歪んだ思い込み

たとえばITとはInformation Technologyの略であることは、まぁおそらく周知の事実だと思いますが、これを直訳すると『情報(を取り扱う)技術』となります。

しかし、それを知っていても、

情報を取り扱う技術 ≒ プログラミングする技術

だと誤解したままでエンジニアを名乗っている人たちはごまんといます。多くのIT企業も、新人が入社してくるとまずプログラミングを学ばせます。採用にしたってプログラミング経験者を優遇する傾向があります。

そして「OJT」と言う名の現場放置が行われ、まともなエンジニアリングなんて誰も教えてくれないまま目の前の作業にいっぱいいっぱいで歳だけが重ねられていきます。そうして先輩・上司となった子たちは、エンジニアリングの本質を知らないまま経験を重ね、新人たちが入ってきてもやはり教えてあげることができないのです。

これは偏に

 「企業にとって収益を上げることだけが目的として優先されている」

からでしょう。もちろん目的の1つとして収益を上げることはとても重要です。しかし、本来企業の目的には「継続性」が求められます。しかもその収益にしたって常に横ばいでいいのではなく常に右肩上がりの成長性が見込める状態であることが求められます。上場企業の経営などに触れたことがある人は、投資家が何を求めているか身に染みてわかっているはずです。

しかし、組織内の従業者をより効果的に成長させる仕組みを知らないまま、目先の収益のみを追いかけることで本来の目的は果たせるのでしょうか。

ただプログラミングだけという狭い視野ばかりかまけてきた子達では大きなビジネスのマネジメントができません。ビジネスチャンスを広げることが困難なのです。結局、1人分の仕事を任せるのが限界というエンジニアばかりになります。このような中で収益を右肩上がりにしようと思ったら

  • 報酬少なめでほどほど単価を上げられる子を残し、優秀で報酬高めの子は放出する

  • とにかく人数規模を増やす

といった派遣中心の自転車操業を繰り返していくしかありません。もちろんそれはそれでよくできたビジネスモデルではありますが、業界全体でみるとある種病のような存在で、どんどん勘違いしたエンジニアばかり増え続けることになるのであまり歓迎できません。中途採用などを意欲的に行っている企業では、せっかく待遇や環境などを強化しても「なかなかいい子がいない…」と嘆くことになるでしょう。

そもそも情報を取り扱いさえすれば、そのスキルはすべてITなわけですから、アプリケーション開発のみならず、極端にいえば

 会話等のコミュニケーションも音声情報を取り扱う技術なので、「IT」
 ネットなどの通信も、信号情報を高速で伝達する技術なので、「IT」
 政治屋やマスコミが情報統制によって扇動するのも、ある意味「IT」
 視覚や嗅覚、味覚などの感覚情報を用いて、判断するのも「IT」

です。世の中のすべてを"情報"として取り込み、その取り込んだ情報をもとに思考や判断を行い、行動に移すものは広義の意味で全て「IT」と言えるわけです。その証拠に優れたITエンジニアはプログラミングだけでなく、ほぼ例外なく万(よろず)に精通しています。

 説明や説得が上手なエンジニア
 ボキャブラリが豊富なエンジニア
 文書作成が得意なエンジニア
 様々なことを論理的に証明できるエンジニア
 受け身にならず、提案していけるエンジニア
 失敗を恐れず、どんどん攻めるエンジニア
 お客のニーズをとらえるのが上手なエンジニア

周囲にそういうエンジニアがいたらよく観察してみてください。たいていは会社や顧客から一目置かれていることが多いと思います。ITと言う技術をプログラミングのみのことを指しているとは考えておらず、「開発」のために、問題を「解決」するために、あるいはお客さまの「ニーズを満たすため」に、必要なスキルはすべて同じスキルを用いたITだと考えているからです。

それを勝手に「アプリケーションを作成すること」をITだと思い込む、あるいは周囲の情報に踊らされてそう信じこむと狭義のスキルしか身につけなくなってしまうわけです。

まぁ、実際の開発を知らない学生ならば、仕方のないことなのかもしれませんけどね。

先日も、採用した学生の履歴書やエントリーシートを見て気になってたんです。

私が今いる会社は、どちらかというとSIerです。派遣で出ている人も若干名存在していますし、情報セキュリティの関係で客先に常駐している人もいますが、半数以上は社内で開発しています。

ですが、当社に就活に来た学生のエントリーシートを見ると、

 ソフトウェアベンダー
 ソフトウェア派遣業

も同時に受けていらっしゃいました。「開発」するという点では全く同じなのですが、SIerとベンダーと派遣会社では、その内容はまったく異なります。おそらくは…まだ学生なのだから知らないのだろうとは思うのですが、同じ開発に携わるとしてもその後のキャリア形成に大きく影響を与えますので「なんでもいいや」ではなく、それなりに調べてから選ばれるといいかと思います。


「常識」と言う思い込みに流されるな

たとえば、コーヒーを飲む時、カップが皿の上に置かれるでしょう。
あの皿は何のためのものか考えたことはありますか?

大抵の人はあまり深く考えていません。この皿はなぜあるのかといろんな人に聞くと、「スプーンを置くから」とか「何となくおしゃれだから」とか色々な答えが返ってきますが、皿がついていない喫茶店もありますしおしゃれかというとそうでもないのが事実です。

実はあの皿は、中世ヨーロッパが起源です。

当時お茶や紅茶を飲めるのは上流階級だけだったのですが、当時のカップには取っ手がなかったので、熱くてそのまま手で持って飲むことはできませんでした。だから一度平たい皿に少し入れて、冷まして飲んでいたわけです。

そのうちに取っ手がつくようになって、カップを持ってそのまま飲めるようになりました。となると皿は不要ですが、今でもただの慣習として残っているのです。

こういう話を聞くと、あの皿は実は特に必要のないものだとわかりますが、ほとんどの人はそこに疑問を持つことはありません。これこそが上記の書籍でいうところの「バカシステム」です。

世の中には、こうしたバカシステムが溢れています。

週刊誌の報道をそのまま信じてしまったり、他人から口コミで広がってきた情報を検討することなく受け入れてしまったり。人は案外、思考することなく物事を鵜呑みにしてしまいます。

ビジネスでもそういうことはたくさん存在していて、社員は会社に出社して顔を合わせてコミュニケーションを取りながら仕事をするのが常識だという価値観は、最近は薄れつつあるものの未だに強固に残っています。

たとえば、スーツやネクタイなども欧米からの輸入文化ですが、2000年ごろにはネクタイが頸動脈を圧迫し、仕事の効率を落とすことが証明された論文が発表され、当時のNYでは皆ネクタイを廃止するか、フック式のネクタイに変える運動が広まったりもしました。

以来、日本国内でもスーツ着用を義務化する企業は徐々に減ってきてはいるものの、いまだに多くの企業が、スーツやネクタイをビジネスマンの戦闘服として有難がっている風潮が残っています。

私個人としては、スーツを義務化する必要性も、廃止する必要性もないし、何を勝負服にするかは個々人で異なるものだと思っているので、人それぞれ

 "最もパフォーマンスが出やすい、
   効率的なものになっているのが一番じゃないの?"

と考えているのですが、そう言う本質的な発想にならない人がまだまだ多いようです。

実際、2019年はメガバンクをはじめ、多くの金融でドレスコードが廃止されましたよね。IT系だと、NECや富士通、伊藤忠、パナソニックなどが廃止されたでしょうか。

東京ではいまだに何かしらドレスコードがある企業が66%くらいあるそうですね。裏を返せば、既に大手を含む34%近くの企業がドレスコードの廃止を実施していると言うことです。

見た目と効率に因果関係が存在せず、また企業としては社員にパフォーマンスを最大化して欲しいはずなのですから、人それぞれに個性がある以上、ある程度自由にした方がいいに決まっているんですけどね。


本当に怖いのは他人に押し付ける行為

このバカシステムの怖いところは、そういった常識や価値観、思い込みが正義であると妄信していて、意図的に他人を巻き込み、自分の思い通りにコントロールしようと他人を縛ろうとする人が出てくることです。たとえば

 「ここをやめたら絶対仕事なんてないよ」

といって社員を辞められないように縛り付けておいて、過酷な仕事を要求するというのはブラック企業のやり口としてよくある手口です。もし、私の周りでそんなこと言っている人を見かけたら、相手がだれであろうが小一時間説教してしまうかもしれません(いや、私の人生がもったいないからしないけど)。

逆に、

 「この業界に向いてないんじゃないの」

等と言って、精神的に追い込み、使えないと見限った社員を退職に追い込む上司…と言うのもブラック企業やハラスメントが横行する企業としては珍しくありません(私の今いる会社でも、部長級で1人いますね…)。

何の根拠もない言説を、『誰の利益になるのかを考えさせないようにしながら、巧みに信じ込ませること』これを意図的に仕掛けてくる人がいて、注意しないといつの間にか信じさせられてしまう。思考停止に陥る人間と、思考停止に陥らせようとする人間が成立してしまうのが「バカシステム」です。

ここでいう「バカシステム」は、先にも記述した通り

 自ら思考停止に陥り、
 かつ他人をも思考停止に陥らせようとする人間

がいることで成立するシステムですので、こういった人を重用すると組織が著しく停滞/減退し、最悪の場合は壊死することも珍しくありません。

エンジニアの多くも、他人まで巻き込むかどうかはともかく、個人の強い思い込みによって、他の技法や手法を否定する人が多いですよね。

以前、会社にいたある主任くんは、Microsoftが好きで、Microsoft製品をこよなく愛し、Microsoftの提供するプログラム言語(C#等)の信者になっていました。

曰く、

 「Javaなんてクソ。C#に比べれば…うんたらかんたら」

こういう言葉を日々吹聴し、後輩や新人を洗脳していました。まぁ、私に言わせればプログラム言語にも向き/不向きがありますし、要求仕様次第で薬にもなれば毒にもなる…だからこそシステム構成の設計などをしっかりするわけですから、人も金も時間も環境も、そしてプログラム言語も、すべてのリソースはお客さまの要求にあわせて適材適所すればいいだけです。自分の好きなモノのためにそれ以外を貶める必要性なんて皆無のはずです。

結局、あるプロジェクトでMicrosoftが提供している新しい技術を「ついでに学びたいから」という理由でロクに知りもしないまま無理やり導入し、他に有識者もおらず、開発パフォーマンスは最低になり、過去最高の大赤字を起こして、居心地が悪くなったのか会社を去っていきました。

思想はかなり危険でしたが、とても技術力は高いし、彼の好きな技術要素と上手くマッチングする仕事をあてがってあげれば、もっと素晴らしい結果が残せたかもしれません。噂では新しい会社でまたエンジニアをしていると言っていたので、そこでは趣味と合致していればいいな、と思います。


常に「考える」ためには何事も疑ってみるとよい

たまに新人教育などでも話すことですが、世の中のすべてのことは一度疑ってかかるくらいがちょうどいいのです(最近の若い子は「素直」の度が過ぎていることも多いので…)。

もちろん、疑う対象には自分自身も含みます。

自分を疑わず、自分に自信を持てることは素晴らしいことですが、自分の言動を振り返ることなく「自分の行いが常に正しい」と思い続けることは非常に危険です。それはすなわち独善的であるということと同義だからです。

どんな人間でも「完璧」ということはありません。

どんなに優れた人間であってもです。人間が「人間」という存在である限り、完全・完璧になるなんてことは天地がひっくり返ってもあり得ません。人間はその存在自体が不完全の塊です。だからこそ自分自身ですらも"誤っている可能性"から目を逸らしてはならないのです。

誤って、問題を起こして、周囲に迷惑をかけて、あまつさえ人生取り返しのつかない状態になってから初めて後悔するのもいいでしょう。オレオレ詐欺などにひっかかるのも、疑うことを疎かにした結果…と言えなくもありません。

しかし、そうなるのが嫌なら、ほんの少しでも失敗をしたくないのであれば、自分自身の中の「常識」や「価値観」を疑う慎重さを疎かにしないようにしましょう。

私はこれを『攻めのネガティブ』と呼んでいます。

ネガティブと言うと、非常に後ろ向きに見えるかもしれませんが、失敗したくない(つまりは成功したい)のであればとても重要なことです。なによりも、成功するための前向きな慎重さを指す言葉なので「攻め」+「ネガティブ」と呼んでいます。

たとえば、計画に対して実績を監視するというのは、すなわち

 自分で立てた計画が、
 本当に計画通りに進められているか

を疑っているからこその監視であり、監視しているからこそ計画とのギャップを発見できるのであり、発見できたからこそ早期に改善コントロールが可能となるのです。

 「自分の考えこそが全てで、自分が絶対的に正しい」

と思っている人は、監視をしません。
絶対的に信じているからです。

よくアニメやドラマ、時代劇などで私腹を肥やしていた悪役が、物語の終盤で

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 「そんなバカな!」
 「まさか、そんなことが…っ!」

なんていうのがお決まりですが、自分を信じて疑わないと言うのはこういう人たちとレベルが同じであると言うことです。

しかし、そんな人がいたらその人にはついていきたいとは思いませんよね。何を根拠にしているかわかりませんが、パーフェクトな人間なんてこの世に存在しないのですから、明らかに異常な過信をしたKYでしかありません。

こうした「疑ってみる」「(仮説)思考する」その結果、自ら「検証する」と言う行為は、氾濫している情報社会の中で常に最適解を模索し続けるITのプロを名乗るのであれば当然の行いであり、これができずにバカシステムに捉われる人はITのプロとは呼べないことを意味します(まぁ、なんでもかんでも全部疑うってわけにもいかないでしょうけど)。

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