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「上司は部下よりも偉い」という勘違い

いらっしゃいますよね。

けっこーな数で。

結論から言いますと、何も上司と部下の関係において

 「偉いか偉くないか」
 「実力が高いか低いか」

というのは関係ありません。
当然、実力的には上司のほうが劣っているという環境は普通に存在します。

ではなぜこんなにも世の中は捻くれた勘違いをしてしまっているのでしょう。

それは偏に人事権を持っているがゆえではないでしょうか。
そう、ただの権力です。

仮に各企業において権力の悪用や濫用を諫めていたとしても、実際には止められません。そもそも経営者自身が適切に活用できていないこともフツーにあることです。

たとえばガバナンスとして役割定義のようなものが定められており、その一定の条件を満たさない限り昇格する資格さえないものだとしても、適当にごまかし、言いくるめ、実体のないものをあるかのように見せかけて社内政治に長けた人物やお気に入り、派閥の人間を昇格させるなんて話はマンガやドラマにもあれば、実際に目の当たりにしたこともあります。

本人の実力等は一切関係ありません。

もちろん何らかの形でより上位の存在の目に留まらないと昇格させようという気にもなりませんから「そこそこ」ではあるのでしょう。

しかし、そもそも人の力量を正しく測定する術も存在しない、また360度評価のようなものもほとんど普及していない現在、上司という一方向から見て「コイツならいいかな」と思わせてしまえば上司の仲間入りが果たせてしまいます。


私も長年「管理職」という立場を務めてはきましたが、個人的には

後継となりうる人材を複数名育成し、ある特定の分野ごとに
『sudaでなくてもいい』
『sudaはもういらない』
と言われるようになる

ことを目標としていました。

私自身が部下にとってのキャップ(上限)となるのは本意ではありません。

私だっていつまでも組織の中で先頭を走り続けるわけにはいきません。いつかは息切れもするでしょうし、そのせいで後ろからついてくる子たちが前にも出れず、ぎゅうぎゅうに詰まってしまう様などみたくもありません。

ですから、私に追いつき、追い抜く存在を育成することが、上司としての私の使命だと思っていました。


しかし、中には正反対のことを考える上司もいます。

「上司は常に部下よりも偉い存在であり、
 部下が上司よりも優れているなんてことはあり得ない」

「部下が自分よりも優秀になり、
 上に上がっていくことを積極的には認めようとしない」

という思想が原因で部下を潰してしまうのです。
とにかく部下に対する言葉が乱暴/粗雑な人はたいていこのタイプです。

こんなことをしてしまえば、その上司の実力次第で組織の実力の上限が決定してしまいます。収益はとにかく人が多ければなんとなく上げられるかもしれません。しかし、その上司の力量をはるかに超えるような新しい価値創出や新しい事業への展開などは、いかに組織が大きくてもおそらく難しいでしょう。

その上司の力量を超えてしまう課題である以上、その上司ではマネジメントできません。しかし、当の本人は「自分が一番偉い」と考えているので、

 「自分に無理なら、部下にもできるわけがない」

と考えます。さらに卑しい人であれば、

 「部下の中から責任者を選出し、
  問題があれば部下に責任を取らせ、
  うまく完遂出来れば自分の上司としての功績に加え
  うまく終わらせた人を延々自分の下に置き続けよう」

と考えることでしょう。

「いやな上司だな」「そううまく事は運ばないよ」と思うかもしれませんが、案外こうしたことはいたるところで実現されています。それほどまでに経営層からは何も見えていないのです(まぁたいていの経営層は数字しか見てませんしね)。

実力や能力、役割の定義として上司が部下よりも常に上位であり続けるためには、部下がどれだけ努力して能力や実績を上げ続けても、それ以上の能力や実績を上げ続ける必要があります。

しかし、すべての上司がそれを行うのは無理な話です。

 「部下は、いつも、いつでも、いつまでも、自分より下にいるべき」

という勘違いをしてしまった時点で、その上司は組織にとって癌細胞となり果てます。


顕著にあらわれる傾向として"部下に自己批判させる"と言うものがあります。

部下を潰しまくる上司というのは、部下に「自己批判」をさせる傾向があります。
上司である自分のメンツをつぶしたことを認めさせ、反省させるのです。

たとえば、1対1で話し合うときなどに、こう詰め寄ります。

 「今、どう思っているんだ?」
 「どこがいけなかったのか、わかっているのか?」

部下が何かを答えると、さらに追及する。

 「その言い分は、俺へのあてつけか?」
 「何を言っているのか、わからない」

要は、部下が何も答えることができないところまで追いつめて何も言わせないようにする、「正しいのは俺で、間違ってるのはお前」というわかりやすい構図を何かしらの形で明確に線引きするのです。

これで、論破したと思い込んでいる節があるのが、部下を潰す上司の典型です。

しかし、注意しましょう。

相手に「納得」してもらうための説明責任を果たすのは、お客さま相手であっても、部下相手であっても同じことです。これを行わずに最初から「相手が悪い」と決めつけて、自己批判させるように誘導し、精神的にも立場的にも追い込もうとするのは自己中心的で他責することに全力を尽くす

 パワハラ上司

以外のなにものでもありません。

実力のほどはともかく、すくなくとも精神レベルにおいては無能(±0)を通り越して害悪(<0)でしかありません。

実際には結果論的に部下に問題があったとしても、そう認めさせるために手順を省いて決めつけ、押し付け、責任を1人に集中させようとしても、意味は全くありません。企業貢献にもなりません。

そもそも「責任を取る(取らせる)」ことに固執しようと躍起になるからこういうことしかできないんです。以前からも何度かお伝えしていますように、責任は取るものではなく負うものです。

責任は"何か"を判断するその瞬間から生まれます。

「する」と決めれば行動する責任を。
「しない」と決めれば行動しない責任を、その瞬間から負うことになります。

責任を常に意識し、負い続けていれば常に責任を最大限考慮した采配ができるはずです。これが本当に実践できていればそうそう簡単に「責任を取らなければならない」状況にまで発展することはありません。「責任を取る」というのは、取らなければならない状況に至るまで、その責任を負い続けられなかった『無責任』の結果でしかないのです。

その程度の日本語を正しく理解することもできないような人物を『上司』なんて存在に選抜するから、このようなこともできない組織が増え続けていくわけです。

一方的に決めつけ、責任を押し付け、部下にすべて悪いのは自分を考えさせるのではなく、

 「なるほど、確かに自分に非があったんだ」
 「その失敗を反省に活かして、次からはどのように改善しようか」

と納得してもらうための努力が必要なのです。

部下に説明責任を果たすのは、上司の義務です。
それができなければ、その義務を果たせない程度の上司ということです。

こうして『納得』が得られないと、人はなかなか改善に進めません。
悪いことしたと、心の底から認められていないわけですから当然です。

納得もなく、無理やり自己批判させることに「百害あっても一利もない」のです。


こういう上司は、部下がストレスを抱え、精神疾患などになったとしても、態度をあらためることはほとんどしません。そりゃそーですよね。自己中心的も極まっているので、むしろ「あいつは元々心の病だった」「元々そういう素養があった」などと言い、挙句

 「だから俺のせいじゃない」
 「むしろそういう人材を採用した側に責任がある」

と自己正当化することすらあります。
問題や課題を解決する方向に目線が一切向かず、責任のなすりつけ愛にばかり話が進むのも、こうした害悪となりうる上司の特徴です。

仮に本当に「心の病」であったことをあらかじめ承知していたとすると、他の部下に対しても同様のことを行って再発は免れないことになり、事態は一段と深刻になります。

いずれにしろ、「常に自分は正しく、常に部下が悪い」という考えに凝り固まっているから悪びれることはありません。

むしろ、何かがあると必ず「あの社員は前の部署のときから、こうだった」などとうそをついたり、ねつ造をしたりして自分がいかに正しいかを押し通そうとします。

一方で、自分よりも上にいる立場の人の前では、常日頃から「いい上司」を実践しているアピールをします。

 「私は最大限、彼らに歩み寄っている」
 「それでも問題が起きるのは彼らに責任がある」

という言い訳を最大限発揮できるように、日ごろからの努力を惜しみません。

上の人の顔色をうかがうことは会社員という立場である以上、多少は仕方がないとしても、それが行き過ぎるとやはり問題となります。

上司が部下を厳しく鍛えることそのものは、会社の成長のためにもむしろ当前のことであり、責められるべきものではありません。上司が部下を育てることは会社から望まれていることなので、重要な役目の1つでもあります。

大切なことは、

 自分が所属する組織のために真剣に育てようとする気があるのかどうか。
 そして育つということは、いずれ自分よりも上に行く可能性もあるということ。

これを本気で認めることができるか否か、にあるのだと私は考えています。

逆に、その程度のこともロクに理解できていない凡庸未満の上司が多い企業は、見ていて辟易します。なぜなら「上司」を名乗る多くの人たちが皆一様に自己中心的で、自分の所属する企業やそこで一緒に働く人たちのことなどこれっぽっちも考えておらず

 「自分さえ都合がよければそれでいい」

と思っているわけで、そういう人たちを重用するような人事制度しか持たない組織だということですから。それはこれから目を輝かせて入社してくる新人、あるいは中途採用者にとって本当に幸せなことなのかな…と、日々モヤモヤしてしまいます。

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