他の人に認められるためだけに自分を変える必要あるの?

紹介されたYouTubeを見ていると、感情が動かされ涙が2度伝っていた。

その容姿や生活習慣の違いから、とかく侮蔑や差別の対象とされがちのアエタ族。そのアエタ族として初めてフィリピン大学(フィリピンの最高学府)を卒業したノーマン・キング学士。彼は本当に卒業式の晴れ舞台で、アエタ族の正装(ふんどし)を着て証書を受け取った。
=和訳= (一部抜粋)
首都マニラで、フィリピンの東京大学でもあるフィリピン大学に進み、テレビに出てくるバスケットボール選手のような服や髪型で田舎の自宅に帰ったら、「服も髪型も、アエタ族のものじゃない。」と言われます。
「でも、この格好で、人気者になってるよ」と伝えると、「他の人に認められるためだけに自分を変える必要あるの?」と語られます。
最後に、
「ママが教えてくれたことは、ありのままの自分を受け入れた時、さらに素晴らしい人生に向かうことになるということ。自分はフィリピン人、アエタ族であることを誇りに思う。」

パプアニューギニアではどうだろう?私が住んでいる州が田舎ということもあって、他の人に認められるために自分を変える人は少ないと感じる。

また、パプアの人たちは自分の部族に誇りを持っている人が多いと感じる。

というのも、独立記念日(1975年9月16日)では毎年各部族が集まって、踊りを披露する祭りがかなり盛り上がるから。

パプア人には部族があって強い繋がりがあり、羨ましいなと思う部分もある。一方で繋がりが強すぎるため、他の部族とのトラブルで殺し合いになるという、やりすぎな部分もある。


私は他の人に認められるために、無意識に自分を変えていないだろうか?と疑問に思った。

私はむしろnoteに素直な考えを書き、認めてくれるみなさんのおかげで自分の考えに自信を持てるようになった。

自分に自信を持てたから、もっと自分を知りたいと思う好循環が生まれている。

ただnoteの閲覧数やスキの数が増えると、「良い事を書かないと」と見栄を張る、取り繕ろうとする自分が出てきそうになるのは確か。

他の人に認められるために自分を変えようとしている時は、このノーマン・キング学士の話を思い出そうと思う。

他の人に認められるためだけに自分を変える必要あるの?

最後まで読んでもらえて嬉しいです