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同僚の娘が亡くなった

同僚の娘が誕生の数分後に亡くなった


前日、同僚が職場に5才の娘を連れてきた。理由は学校が長期休み中で、同僚の奥さんが破水して入院しているためだった。

今日、明日には赤ちゃんが産まれそうなので、同僚もそわそわしていた

話を聞いてみると、娘がいるから目を離せないため出産には立ち会えないそう

その日は産まれず、明日の朝また来るねと伝え帰宅した


出産当日 

いつもより少し早く7時半に家を出て活動先でもある病院へ向かう

そこには病院から(船で約1時間半かかるところに住む)同僚の父やいとこもお祝いに来ていた

産まれたと聞いたので、同僚におめでとうと笑顔で伝えた

同僚は何も話さず、親指で首を切るジェスチャーをした

なんて軽率な言葉を発したんだろうと、自分にひどく後悔した

乳幼児死亡率が日本よりも高いことは知っていて、悪い環境で病気などにかかって死んでしまうと思い込んでいた

産まれてくる瞬間も死ぬ確率が高い


みんなで棺を待っている間の立ち話の時、どんな顔をして良いか分からず、ずっと悲しげな顔しかできなかった

理解できないトクピシン語で笑顔になる話と悲しい話を行ったり来たり。みんなが悲しい話をしている時に自分が笑顔だとなんで笑ってんの?となるので、ずっと悲しげな顔で居心地が良くなかった

一緒に笑いたいし、悲しみたいからこそ、どんな顔をして良いのか分からなかったのは辛かった


棺に入れて実家の近くに埋めるそう

船に乗って帰る前に米、パン、魚の缶詰、子ども服、花の買い出し

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赤ちゃんを服でおめかしして記念写真

日本では赤ちゃんが亡くなったら服を着せる人が多いのかな


船で運び、実家の島へ

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家に着くと人が30人強集まっており、泣いている同僚の兄弟や近しい人、静かに見守る人がそこにはいた

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40分程度、亡くなった赤ちゃんに想いを馳せた後

この村では墓地があり、そこに埋めるためみんなで徒歩10分程度歩いた

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もうすでに埋葬用の穴が準備されていて、みんなが揃った時点で牧師が「人はみんな死ぬがタイミングを選ぶことはできない」など10分程度語りかけていた

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その後、棺を綺麗な柄の布で包み参列者が花を添え、埋まるのを見守った

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買って帰ってきたご飯やパンなどをそれぞれのグループに振り分けて、食べる時間となった

特別な葬式のご飯はなく、いつもより少し豪華な印象


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その日はもう遅かったので同僚の実家に泊まり、次の日の朝帰ることになった

朝起きると同僚は見当たらなかったので、どこに行ったか聞くと帰る前にお別れしに行ったよと教えてくれた

帰りのボートの上で横に座っていた同僚の奥さんは泣いていた


心のどこかで妊娠したら産まれてくることが、当たり前と思ってしまっている自分がいる

死んでしまう可能性が大いにあることを記憶に残しておこう

そして、今生きている人との会話を大事にしなくてはと、おばあちゃんに電話をかけた

元気そうな声で嬉しくなった

最後まで読んでもらえて嬉しいです