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あまりに人間的な「ブリキの太鼓」

第二次世界大戦後にドイツ語で書かれた文学でもっとも重要だとされている作品は「ブリキの太鼓」だろう。もう記憶が曖昧だが、たしか大学のドイツ語の授業でもその一部を読まされたような記憶がある。僕は集英社文庫の翻訳を買ったものの、何度も読みきれず、本の山に積んでいた。
というのも、3歳で成長することをやめた主人公オスカルが、太鼓を叩いて叫び声を上げてガラスを割りながら、戦前から戦後のダンツィヒ(現代のグダニスク)を描くストーリーなのだ。こんなものは背景が分からないと読めない。当時の僕は物理を専攻する麻雀学生だったので、ナチスとヨーロッパの歴史についてあまり知識がなかった。
「水晶の夜」と呼ばれる事件が1938年の秋にドイツ各地で起きた。パリでドイツの外交官がユダヤ人によって暗殺されたことに端を発し、シナゴーグやユダヤ人の学校や病院、商店などが壊された暴動だ。主に突撃隊と親衛隊が実行し、街の通りは破壊された商店などのガラスが散乱して水晶のようにきらめいていたことから、ドイツ語で Kristallnacht (クリスタルナハト) と呼ばれている。
オスカルが叫ぶとガラスが割れる、という描写はこの事件を踏まえたものだろう。ただ、オスカルはユダヤ人ではなく、母親はカシューブ人(ポーランド北部の少数民族)であり、父親はドイツ人なのかカシューブ人なのか判然としない。何れにせよ少数の立場だ。
さて、1927年にドイツの内務省によって”影響力がない”と見做されていた NSDAP (いわゆるナチス) があっという間に合法的に権力を手中に収め、1933年にヒトラー内閣が成立し、ものの10年ほどで国ごと瓦解した過程において、ドイツ国民も、その周辺にいた民族も、ハイルしたり抵抗したり何らかの形で関わらざるをえなかった。「ブリキの太鼓」はそうした”市民”たちの姿を全篇にわたって描いた。ナチスの幹部たちをテーマにした映画はごまんとあるが、本作はそうした政治ではなく生活がテーマである。不倫や近親相姦、小児性愛と思しきシーンもあり、それを問題視した連中もいたようだが、この”生活”は大量の戦死や強制収容と同じ時の話である。たくさんの死があるなかでも生活は続く。
本作の著者ギュンター・グラスはオスカルと同様にドイツ人の父とカシューブ人の母をもち、本人は自らをカシューブ人であると認識していた。1999年にノーベル文学賞を受賞した後、2006年に出版された自叙伝において武装親衛隊の隊員であったことを告白して袋叩きにあった。なぜずっと隠していたのか、と。
僕はそれもまた menschlich (人間的) なことだと思った。

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