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V、今なんつった? / 「Vフォー・ヴェンデッタ」

I dare do all that may become a man; Who dares do more is none.
(俺は男としてふさわしいことは何でもする覚悟さ、それ以上のことをするなんて男とは言えないね)

Macbeth, Act 1, Scene 7

英語で男を意味する guy という単語の由来をご存知だろうか。これは Guy Fawkes (ガイ・フォークス)という名の男のことで、17世紀の初めに当時のイギリス国王ジェームズ1世や貴族院の連中をまとめて議会ごと火薬で爆殺しようとした事件の実行犯である。11月4日の深夜に陰謀が発覚したことから、現在でも11月5日はガイ・フォークス・ナイトと呼ばれる焚き火や花火のイベント日である。ちなみに、もう当時の背景などは特に言及されることもなくなっているが、元々はイングランド国教会によるカトリックへの苛烈な弾圧が動機である。
このストーリーを下敷きにした漫画とその映画化が「Vフォー・ヴェンデッタ」だ。全体主義によって抑圧される人びとというプロットに変えて、「1984」や「華氏451度」のメッセージを分かりやすく伝えている。それらの作品よりも主人公による vendetta (血の復讐)を描くことに重きを置いているので、親しみやすい作品でもあるだろう。本作で主人公の V が顔に着けている仮面がガイ・フォークスの面である。この映画によって一躍有名になり、今やハロウィンの仮装でもお馴染みとなった。
映画の脚本はウォシャウスキー兄弟姉妹の手によるもので、同性愛など流行の要素が入れられ、シェイクスピアからの引用が多数散りばめられている。おかげでしばしば聞き取りにくい、"なんつった?"と言いたくなるセリフによって、Vあるいはガイ・フォークスの歴史的な背景が浮かび上がってくる。しかし今日、ガイ・フォークスはまだしもシェイクスピアの台詞なんて通じにくいだろう。イギリスの素地の上に成り立つ話なのでシェイクスピアを選ぶ気持ちも分かるが、もう少し効果的に、いくつかに絞っておくべきだった。"なんつった?"では意味がない。
低予算映画「バウンド」で名を揚げて、サイバーパンクを分かりやすくパクった紹介した「マトリックス」で成功したように、ウォシャウスキー兄弟姉妹はそもそもじぶんたちでキャラクターを造形する才能がないので、原作を多くの客に見せることが得意なのだろう。性転換した兄弟という本人たちも話題になりやすく、要するに過大評価されている脚本家だと思う。
かつてカトリックが弾圧されていたように、20世紀の、特にイギリスの作家の多くはじぶんたちの"自由主義"が脅かされることを恐れた。血を流して勝ち取った自由を再び失ってしまうのではないかという問題意識は、勝手にどこかから憲法や自由が降ってきた日本列島には存在しないものだろう。ディストピアとは、かつて何かを勝ち取った者がそれを失うからこそ成立する世界なのだ。
ガイ・フォークスの仮面をつけた群衆が政府を倒すのは、人びとが血を流して得たものを政府が奪おうとするからだ。"People should not be afraid of their governments. Governments should be afraid of their people."(民衆は政府を恐れるべきではない。政府が民衆を恐れるべきなのだ)という V のセリフに、ヨーロッパの自由主義の本質が表されているだろう。
蛇足になるが、本作のヒロイン、ナタリー・ポートマンは本当に大根役者である。

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