フィラデルフィアの思いやりのある男 / 「ロッキー」
1975年3月24日、オハイオ州で行われたモハメド・アリ対チャック・ウェプナーの試合を観ていたホームレス同然の俳優志望の男が、3日と半日をかけて脚本を書き上げた。これがその翌年に公開された映画「ロッキー」である。本作はアカデミー作品賞を受賞し、シルヴェスター・スタローンはまさしくアメリカン・ドリームを成し遂げた人物となった。
主人公のロッキー・バルボアはフィラデルフィアの貧民街に住むボクサーである。パッとしない成績で食うにも困り、高利貸しの取り立ての仕事もしているが、持ち前の優しさのせいでなかなかうまくいかない姿が描かれる。親友のポーリーの妹、エイドリアンに好意を寄せているものの、不器用なせいで恋仲になることができずにいた。ある日、ロッキーはヘビー級の世界チャンピオン、アポロ・クリードと対戦することを決められてしまう。弱音を吐きつつもエイドリアンに励まされ、過酷なトレーニングを積んだロッキーはチャンピオンと激闘を繰り広げる。判定の結果は僅差でチャンピオンの勝利となったが、ロッキーとエイドリアンは結果に目もくれず抱き合うのだったーー。
これは欧米のストーリーでよく現れる underdog story (勝ち目のない人の物語)である。なぜこうした類型が人気になるかというと、旧約聖書におけるダビデとゴリアテの説話に親しんでいるからだ。ペリシテ人で最強の戦士と呼ばれた巨人ゴリアテに挑んだダビデは、杖と投石器だけを手に巨人と対峙し、見事に勝利した。勇敢なダビデは後にイスラエルの王となり、現在でもダビデに因む David という名前は人気である。勝ち目がなさそうでも戦う男というキャラクターは、ロビン・フッドなど多くの物語の原型となった。ロッキーはボクサーとしての力がアポロに圧倒的に劣る上に、現代の世で生活をしていく抜け目のなさも持ち合わせていなかった。
そのかわり、映画「ロッキー」すなわちシルヴェスター・スタローンは、主人公に"思いやり"という心を持たせた。これがベトナム戦争で疲れきったアメリカ人の心を貫いた。人に優しく、ということを生来の気質として持っているロッキーがフィラデルフィアのスラムでくすぶっている姿を見れば、どんな人でも"ロッキーがんばれ"となるはずである。同年に公開されたロバート・デ・ニーロ主演の「タクシードライバー」ではなく「ロッキー」がアカデミー作品賞となったことは、社会が疲弊していたアメリカが再び立ちあがろうとする狼煙のようなものだ。
そしてこの映画の成功によって、オーディションに落ちまくって食うにも困る生活をしていたシルヴェスター・スタローンという underdog が、アメリカン・ドリームを体現し、ハリウッドの王の1人となった。この成功がなければ「ランボー」もなかった。たとえば、今日、日本で売れない俳優志望の男が良い脚本を書いたとして、どこへ持ち込めばいいのだろうか。仮にどこかへ持参したとして、それを読んでくれるだろうか。ましてやそれを買い付けるという組織になっているだろうか。邦画がくだらないのは映画会社のせいであり、教育レベルが下がったのは教員のせいであり、政治家がバカなのは国民のせいである。スタローンのような境遇の男の脚本がアカデミー作品賞を獲れる国は、何をしても強い。当たり前である。
さて、思いやりのあるボクサー、ロッキーはエイドリアンに支えられ、そして試合の勝敗にかかわらずエイドリアンの愛を勝ち取った。自分にとって大切な人に誠実であれというメッセージである。こうした誠実さは、ロッキーがイタリア系アメリカ人として描かれたことと関わっている。「ロッキー」の2年前のアカデミー作品賞は「ゴッドファーザー PART Ⅱ」である。イタリア系の人たちは"身内"の付き合いを重んじる。エイドリアンの兄、ポーリーはロッキーの親友だ。シルヴェスター・スタローンは父親がイタリア系であり、エイドリアンを演じたタリア・シャイアはフランシス・フォード・コッポラ監督の妹、すなわちイタリア系である。ヒッピーなどの文化を通じてアメリカ社会に"奔放"であることが浸透してきたなかで、映画「ロッキー」の誠実さは現代の聖書のようにも見える。
劇中でロッキーがトレーニングのために駆け上っていたフィラデルフィア美術館の正面階段は"ロッキー・ステップ"と呼ばれる観光名所となった。現在ではロッキーの銅像が階段の傍に設置されている。本作がこれだけ多くの人に愛された理由は、やはりその思いやりと誠実さにあったのだろう。
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