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最も暗い時は夜明け前 / 「ウィンストン・チャーチル」

The darkest hour という英語の表現は、イギリスが第二次世界大戦中に最も追い詰められた1940年から41年にかけての時期を指している。ウィンストン・チャーチルが首相に就任した1940年5月といえば、イベリア半島を除くヨーロッパのほぼ大半はナチス・ドイツとイタリア王国によって掌握され、イギリスも継戦するか、ナチスと和平交渉に臨むか、チャーチルの戦時内閣は意見が分かれていた。
この5月から6月にかけての約1ヶ月をゲイリー・オールドマン主演で撮った映画が Darkest Hour である。「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」というセンスの欠片も感じない邦題はなんとかならないのだろうか。
さて、この映画は、閣僚たちから突き上げられ、議会からも不人気だったチャーチルの日々を撮っている。1940年5月といえば、イギリス軍はカレーとダンケルクまで追い込まれ、いよいよナチス・ドイツによる侵攻が目前に迫っていた時である。アメリカのルーズベルト大統領は当時は"我関せず焉"だし、ヨーロッパにおいて枢軸国に対して戦闘を継続している国はイギリスだけとなっていた。
そして5月26日、イギリスはダンケルクからの撤退(ダイナモ作戦)を決行する。この撤退だけに焦点を当てた映画がクリストファー・ノーラン監督の「ダンケルク」である。この撤収は10日ほどかけてイギリス兵だけで20万人近くが祖国に帰還した。悩めるチャーチルは劇中で地下鉄に乗り、市民たちの声を聞く。また、国王ジョージ6世とも話をする。そしてダイナモ作戦が完了しようかという6月4日、チャーチル内閣が閣僚によって倒されようとしていた日に、議会において"We shall fight on the beaches"(我々は海岸で戦う)と今日呼ばれている演説を行い、議会と閣僚の支持を取り付け、チャーチルはこの darkest hour を切り抜けようとするーー、という映画である。
こうした政治、しかも内閣と議会に関わる映画は、観客がある程度の知識を持っていないと楽しめないため、頭の中がバーベンハイマーな人たちは見向きもしない。それは日本における興行収入に如実に現れている。しかし、歴史の中の重要な1ヶ月を映画にしようという試みにゲイリー・オールドマンをはじめイギリスの名優たちが集まり、地味ではあるものの良い作品に仕上がっていると思う。ちなみに、北米とヨーロッパでは"ヒットした"と言って構わない成績である。
ゲイリー・オールドマンはこの映画のオファーを受けた時、メイクアップアーティストの辻一弘に連絡し「君が特殊メイクを担当してくれないなら、このオファーを断る」と言って説得したという。辻一弘はこの仕事によってアカデミー賞のメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞し、ゲイリー・オールドマンの熱演は主演男優賞に輝いた。ちなみにこの数年後、辻一弘は"個人としてのアイデンティティ"を理由に日本国籍を捨ててアメリカに帰化している。"個人"として仕事のできる者にとって、現在の日本列島は監獄である。同情したい。
さて、例によって、本作も"こんなエピソードは史実にない"などと、ノンフィクション系の映画にセットとして付いてくる批判を受けた。僕は何回でも言いたいのだが、これ映画なんですよ、映画。主人公が必要だし、面白くするための編集も不可欠だ。映画や小説のようなフィクションに対して史実との差を問題にしたいような方々は、発掘調査もせずに古墳を○○天皇陵と決めて立ち入り禁止にしている宮内庁にぜひ猛抗議していただきたい。
地味だし、クライマックスもヘッタクレもない映画だが、力作である。僕はこういう映画も好きだ。

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