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カリスマとは何か / 「ダンケルク」

6月6日は毎年恒例の D-Day イベントだ。BBCやCNNなどかつての連合国のメディアはイベントに出かける政治家たちのニュースで持ちきりになる。「プライベート・ライアン」をはじめノルマンディ上陸作戦を取り上げた映画はいくつかあるが、映画「史上最大の作戦」の名の通り、歴史上、最も大規模な”海からの侵攻”である。このちょうど4年前、進撃のナチスによってダンケルクに追い込まれたイギリスとフランス軍は、駆逐艦や民間の船での撤退を余儀なくされた。クリストファー・ノーラン監督の映画「ダンケルク」はこのダイナモ作戦と呼ばれる撤兵を描いている。
トム・ハーディやキリアン・マーフィーなど役者は揃っているし、どうやって撮ったのかと映像に感心するものの、ケネス・ブラナー演じるボルトン中佐の存在感しか記憶に残っていない。そもそも”ダンケルクから撤収します、以上”という映画なのだから、よほど腕の良い脚本家でない限りこの主題で2時間も客を楽しませることは不可能に近い。途中で飽きていたところ、ケネス・ブラナー登場である。
男の役者のなかでも、ケネス・ブラナーやデニス・ホッパーのように威厳をまとうことのできる俳優は数少ない。これは努力でどうにかなる事柄ではなく、天賦の才、gifted である。
そもそも制作費が1億ドルを越える映画は「ヒットすることが大前提」であり、ダークナイトの三部作で名を揚げた”あのノーラン監督”が撮る”ダンケルク”なのだから、内容の是非にかかわらず、かつての連合国だけで回収が見込めるわけだ。ケネス・ブラナー演じるボルトン中佐が不時着したドイツ軍の戦闘機に乗り込んで、ワルキューレの騎行が流れるなか「はひふへほ〜!」と錯乱してイギリスからの民間の船を撃沈しまくる、という映画だったとしても、制作費を賄うことができただろう。当時のパンフレットに押井守監督は”映画を超えた巨大事業”という賛辞を載せたそうだが、これは揶揄も含むであろうことをどれだけの関係者が気付いたのだろう。
さて、天性の威厳あるいはカリスマとは何だろうか。社会学者として有名なマックス・ヴェーバーは、支配の正統性の根拠とは”カリスマ”か”伝統”か”合法”か、この3つだと述べたが、宗教でも軍事でも演説でもなく、役者は立ち振る舞いだけで観客を説得せねばならない。僕が思うに、カリスマを帯びる人がいるというより、ある人にカリスマを見出すよう人類がプログラムされているという方が正確なのではないだろうか。ダンケルクから英仏軍を追い払ったドイツ軍兵士たちの多くは、あの口髭の男にカリスマを見出していた。演説のおかげだろう。
ケネス・ブラナーを見ていると、いつもカリスマについて考える。
「ダンケルク」は別に大した映画ではない。もちろん多くの映画評論家やライターたちは手放しで”傑作”だなんだとノイズをばら撒いているが、こういう大掛かりな全国公開の作品ゆえ、”映画村”の人たちの群集心理がはたらいているだけである。

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