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健全なジャック・ニコルソン / 「さらば冬のかもめ」

タイトルもまた映画の大切な一部だと思うのだが、とにかく邦題のひどい作品が多い。監督や脚本家、あるいは原作者があれこれと考えて付けたものを、どこの誰だか知らない奴が勝手に変えるなと言いたくなる。1973年の映画「さらば冬のかもめ」なんて、タイトルを聞いただけではデヴィッド・アッテンボローの動物ドキュメンタリーかと思ってしまう。本作は The Last Detail である。この detail という単語は"詳細"とか"内容"を指す言葉だが、軍隊の場合は"ある任務のために一時的に編成された小さな部隊"のことだ。つまり、この映画のタイトルは、"最後の特別派遣隊"のような意味である。この last が重要なのだ。バカな邦題である。
本作はこのnoteでも何作か紹介してきた New Hollywood、いわゆるニューシネマの一作に数えられている。ベトナム戦争への介入と高まる反戦運動を背景にしたアメリカの不安が投影された映画だ。
物語はヴァージニア州ノーフォークの海軍基地から始まる。通信兵のバダスキー(ジャック・ニコルソン)と黒人の下士官ミュールが、窃盗の罪を犯した18歳の水兵メドウズをメイン州にあるポーツマス海軍刑務所へ送致するよう命じられる。バダスキーとミュールはこの任務に1週間も与えられており、2人は"さっさと送り届けて遊ぼう"と同意する。ところが、道中の列車内でメドウズから話をきくと、募金箱に手を触れただけで何も盗んでいないという。それにも関わらず、募金は司令官の妻の肝煎りだからと、8年の懲役と不名誉除隊を言い渡されたことを知り、2人は絶句する。バダスキーはメドウズにいろんな経験をさせてやろうと、3人で途中下車して飲み歩き、海兵隊とケンカをし、ホテルに1泊する。翌日、ニュージャージー州にあるメドウズの実家を訪ねるも母親は不在だった。ニューヨークで降りると3人は日蓮正宗の信者たちが題目を唱えているところを訪れ、メドウズは南無妙法蓮華経を気に入って口ずさむようになる。ボストンで降りると娼館へ行き、メドウズは初めて女の身体を知る。いよいよポーツマスへ向かう日、3人が公園でバーベキューをしたところ、メドウズは逃走しようとするも、2人に捕まってバダスキーに銃で頭を殴られる。刑務所に送り届けたところ、メドウズの傷を見た海軍の士官は2人を詰問する。メドウズは逃げようとしたのかと士官が訊ねたものの、バダスキーは否定する。バダスキーは士官に悪態をつきながら、ミュールはもうこんな任務は懲り懲りだと言いながら、2人は刑務所を立ち去っていくーー。
この映画は、理不尽な経緯によって懲役8年と不名誉除隊という非常に重い罪をメドウズが背負わされている。映画が進むにつれてバダスキーもミュールもどんどん複雑な気分になっていく過程を撮ることで、その理不尽を生み出す"力"を批判する内容になっている。こうした軍や大企業など巨大な組織が必ず抱えている"訳の分からない論理"については、ジョセフ・ヘラーが「キャッチ=22」で扱っていた。

また、反戦運動に伴うヒッピー文化の時代らしく、日蓮正宗が登場している。おそらくキリスト教ではない異国の宗教のなかで、南無妙法蓮華経と何度も繰り返される響きが面白いと採用されたのだろう。日蓮正宗といえば1991年に創価学会を破門にしたことで有名な宗派だ。僕は浄土真宗なので南無阿弥陀仏だ。
さて、この映画のタイトルは The Last Detail である。何が last なのか。もちろんミュールの言うように、もうこんな任務は懲り懲りだ、という最後だろう。また、こうした理不尽は最後にするべきだ、つまり、軍でも当たり前のようになされている訳の分からない命令を止めるべきだ、という批判も込められているだろう。あるいは、"健全"なバダスキーはこの任務を最後に海軍を除隊したのかもしれない。そんな風にも感じられる映画だ。
これは「キャッチ=22」でも描かれていたことだが、組織が大きくなるほど理不尽なことが増えていくので、健全な人ほど不服従だったり、評価されなくなるという現実がある。日本人は服従こそ至上の価値だと思っている国民なので、基本的に不健全な連中であるから、"バダスキーは不真面目だ、ちゃんとさっさと送り届けるべきだ"という感想を持つ人が少なくないのかもしれない。
また、英語には to the last detail という言い回しもある。これは"隅から隅まで"とか"微に入り細を穿つ"という意味だ。額の傷がどうしたとか、書類にサインが無いなど、細かい点までいちいち"官僚的"になる大組織の姿をラストシーンで描いていたが、そんな詳細(detail)よりも、メドウズという1人の若者の未来の方が大切ではないのか、というメッセージとも受け取れる。「さらば冬のかもめ」という邦題では、こんなことを考える隙間もない。勝手な邦題を付けるなと何度でも言いたい。
ジャック・ニコルソンは"健全"な下士官を見事に演じた。この翌年に「チャイナタウン」、その翌年に「カッコーの巣の上で」に主演している。まさに脂の乗り切ったジャックを堪能できる佳作だ。

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