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論理が破綻すると迷惑なことになります / 「キャッチ=22」

"They don't have to show us Catch-22," the old woman answered. "The law says they don't have to."
"What law says they don't have to?"
"Catch-22."
(「奴らは軍規22号を提示する必要がないの」老婆は答えた。「法により見せる必要がないのよ」「どの法律によって必要ないんです?」「軍規22号よ」)

Catch-22

世界の有名な小説のなかで、最も日本で知られていない作品といえば、間違いなく「キャッチ=22」だろう。ジョゼフ・ヘラーが1961年に発表してから映画化もされた本作は catch-22 という題名が英単語として認識されている。なぜ日本では売れないのか、その理由は以下の超解説を読めば分かると思う。
物語の舞台は、第二次世界大戦中のイタリア、ピアノーサ島。この島に駐留するアメリカ空軍のヨッサリアン大尉が主人公だ。この部隊は"キャッチ=22"と呼ばれる謎の軍規によって兵たちが次々と出撃させられる。"お前は出撃したら身の安全が心配か"と訊かれ、"はい"と答えると"理性がある、よって出撃しろ"となり、"いいえ"と答えればもちろん出撃である。また、周囲の理不尽な出来事は全て"キャッチ=22"によって説明される。ヨッサリアンは狂ったフリをして出撃から逃れようとするものの、やがて無理だと悟り、脱走を企てるーー。

日本語で書かれた「キャッチ=22」の解説や書評を見ると、"ジレンマ"や"矛盾"あるいは"不条理"などの単語が並んでいるものの、本作の趣旨が循環論法の怖さだと指摘している人がほとんどいないのは、この列島では論理学の基礎すら学ぶ機会がないからである。
オックスフォードやケンブリッジの辞書には、catch-22 とは"AのためにBをする必要があるが、BをするためにはAをする必要がある状況"と書かれている。また、循環論法とは大雑把に言うと"Aは真である、なぜならBは真だからだ。Bは真である、なぜならAが真だからだ"である。"共謀罪は一般人には適用されない、適用されるのは一般人ではない者だ"とどこかの政府が言っていたが、あれはただの循環論法である。
ヘラーはこの循環論法が組織、あるいは社会を覆う恐ろしさを「キャッチ=22」で訴えた。なぜなら、これがまかり通ってしまうと権力が濫用されるからである。そして、こうした論法は官僚型組織によって育まれる。作中でも、公文書さえ作成できれば事実などどうでもいいという様子が何度も描写されていた。これはまさしく今の日本列島そのものである。つまり、力を持つ者の論理の破綻が招く現実の歪みを指摘しているのだ。そして、戦争とはこうした論理によってこそ推進されているものなのだということがヘラーの主眼である。このことはジョージ・オーウェル著「1984」の doublethink (二重思考)にも通じる問題意識である。
ところが、そもそも論理より情緒ばかり優先してきたので、こうした論理の破綻に対して日本人は不感症になっている。いいじゃないか、論理なんか、俺たちには関係ない、と言うかもしれないが、その俺たちを歪めることになるのだ。"コロナワクチンは有効です"と言っている人に、なんで?と訊ねて"政府がそう言っているから"と答えたならば、"なぜ政府はコロナワクチンが有効だと言うんだろう"と訊いてみればいい。ただの循環論法になるだけだろう。このように、なにか言っている人に対して根拠を訊ねるクセがない。子どもの"なんで?"は最も崇高な問いだということを親も社会も分かっていない。"なんでじゃない"とか"口ごたえするな"などと言って論理から逃げているから、こんな国になったのだ。"なんで?"こそがあらゆる知性の出発地点なのだ。
「キャッチ=22」は1970年にアラン・アーキン主演で映画になった。ハリウッドでは珍しく、原作にかなり忠実に作られている。おすすめの一作だ。

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