戦うリベラルはどこへ行くのか――誰も傷つかない優しい社会を目指して――

私たちリベラルが、生命至上主義に変わってしまったのはいつからなのだろうか?思えば、1960年代からその兆しはあったのかもしれない。1960年代を物語の出発点としておくのはベトナム戦争とそれによる反戦運動が始まりだったのではないかと思ったからだ。

20世紀前半は戦争の時代だった。しかし、20世紀後半はーー戦争はなお続いていたがーー反戦の時代と位置づけることができる。「反戦」とはもともと「反ー戦争」であり、私たちは戦わないこと、争いを起こさないことを意味していた。
しかし、反戦のあとに残った気持ちは、「人が死んでしまうのはとても悲しい。」「人が苦しんでいるのは見ていられない。」という優しい気持ちだった。戦争で人が死んでいく姿をテレビで見るのはとても悲しかったのだ。私たちは、この「反戦の気持ち」を胸に次なる戦いへと歩んでゆく。

戦争は起きなくなった。戦争で死ぬ人はいなくなった。しかし、私たちの戦いは終わらなかった。戦争が終わってもテロとの戦いがあった。突発的に起こるゲリラ的な無差別殺人が起こった。変態野郎が訳のわからない殺人を犯した。そんなニュースをテレビで見るのはもう懲り懲りだった。普通に暮らしていたのに、なぜ、、、。とても悲しかった。このあたりから、見知らぬ人間をなんとなく信用できなくなってきた。街を歩いているおっさんは危険なやつかもしれない。私たちの日常を脅かす敵は私たちの日常の中に潜んでいると皆気づき始めた。私たちはこれらをセキュリティの問題として対処した。IT技術の発達により、より強く正確に今後も対処できるようになるだろう。

こうして、日常の中の唐突な虐殺は未然に防がれていく。私たちは安心安全な生活をやっと楽しめるかと思っていた。しかし、私たちの戦いは終わらなかった。テロが私たちの目の前から後退しても、差別とハラスメントとの戦いがあった。インターネット上で悲鳴を上げる被害者をみているのはとても悲しかった。私たちは、徹底的に加害者を SNS でバッシングした。二度と起き上がれないように。誰もが悲しまない世界を作るために。そして、人とは深く関わらないようにすべきだと考えた。飲み会はアルハラ、セクハラ、パワハラの温床である。大学の先生と生徒も、会社の先輩と後輩も、そうしたことは行うべきではないのだ。そして、そんなことで誰かがトラブルを起こすなら、その機会を奪ってしまったほうがよい。誰かが悲しくなったり、辛くなったりするのならば、そんなことは止めてしまったほうが良いのだ。
この戦いは、まだまだ続きそうだ。SNS が存在する限り私たちは戦い続けるのだろう。誰も悲しまない世界を作るために。

そして、2020年からは、コロナウイルスと戦っている。もう誰も悲しい思いをしないように。辛い思いをするのは嫌だった。私だけがいいのではない。他の誰かが苦しんだり、悲しい思いをすることも耐えられなかったのだ。そういえば、50年ほど前は公害とも戦った。私たちは公衆衛生の向上によってこれに対処した。しかし、コロナに打ち勝つためには私たちのテクノロジーではどうも公衆衛生だけでは不十分のようだ。私たちは、徹底的に人に会わないことでこれに対抗した。この戦いはなお進行中である。

私たちは、この半世紀をかけて、誰も悲しませない社会を作るために、色々な戦いに勝利してきた。しかしその結果、私たちは、決定的にバラバラになろうとしている。

バラバラになってしまったので、自分の責任でつらい状況に陥ったり、自分のせいで大勢の人にバッシングされて、心を病み、そして、自ら命をたってしまう人については、まぁ、仕方ないかなという感じだった。

https://www.youtube.com/watch?v=mXpHvuT4BpM
この動画の東さんのお話がとても面白かったので書いた。

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